
2010年8月22日。教会設立8周年記念礼拝で岡崎 裕兄の洗礼式が執り行われました。
また、裕兄は当教会77人目の受洗者です。
教会がラスベガスに立てられから、今まで沢山の魂が主の導きによって、救われてきました。新しい魂が教会に与えられると、多くの祈りが積まれ、主と共に魂が救われる日を待ち望みます。そして、裕兄の救いの日を、私たちも待ち望んでいました。
裕兄が教会に運ばれたのは今から約4年前の2006年6月でした。その頃、教会の礼拝賛美リーダーをされていたご夫妻が日本へ赴任が決まり、新しい賛美の奏楽者を必要としていました。教会では新しい奏楽者を与えて下さる事を、神に祈っておりましたが、そのご夫妻の帰国日が迫ってもなかなか奏楽者は与えられませんでした。しかし、神様のご計画は完璧で、帰国2週間前に、教会の姉妹の知り合いの方の紹介で、教会でピアノを弾いてくださるという方を紹介いただきました。その青年が裕兄だったのです。
裕兄は絶対音感の持ち主で、楽譜なしで、どんな曲でも弾きこなすことができる音楽青年でした。本人はピアノを弾くのが大好きな事と、教会でピアノを弾くことが自分の将来にもプラスになると思い、この奉仕を引き受けてくださり、それから4年間、教会から離れることもなく、礼拝賛美チームの奏楽者としての奉仕を続けてくださいました。
しかし、クリスチャンでも長い間、奉仕を続けていく事が簡単な事ではない事を思うと、裕兄の上には絶えず神の守りと導きの御手があった事を思います。
裕兄の奏楽者としての奉仕を、私たちはとても感謝しておりました。しかし、神を褒め称える賛美を、神を知らない裕兄が奏でることが、私たちの祈りをまた更に強めるものとなり、「神様、どうか裕兄が賛美をささげるクリスチャンになるように導いてください」と祈り続ける数年間でした。しかし、裕兄にとっては神様も信仰もぼんやりしたものでしかなかったのです。
そして、去年(2009年) の7月に神様からの強い導きを受ける機会が与えられました。ホーリネスクワイヤーが礼拝で奉仕をする為に訪問をしてくださったのです。そのとき、クワイヤーのメンバーは大人も子供も教会に寝泊りし、一つしかない洗面所を使い、寝るときは床の上に寝ておられました。しかし、彼らは愚痴など一つもなく、驚くばかりに輝き、喜びにあふれる姿で神を賛美していたのです。
裕兄は、彼らと自分との違いをはっきりと知り、一体どうして、彼らがそんな風に生きているのかを知りたくなり、彼らとの交わりを通して、その違いが彼らの中に働かれるイエス・キリストである事を知ったのです。また、音楽が大好きな裕兄は、クワイヤーの賛美にも大変心を打たれ、賛美自体へも今までにない興味を持ち始めました。
その後、すぐにWLAホーリネス教会を訪問しました。そこでは自分と同年代のクリスチャン達が、教会の奉仕に積極的に参加し、責任を持ち、教会の働きの一部を担い、なくてはならない存在として働く姿を目にし感動しました。また感動した気持ちを自らが認め、クリスチャンであった友人にも告白し、WLAのクリスチャン達も裕兄による励ましを受け、裕兄は神様を個人的に受け入れる準備段階へと入っていきました。
そして、今年の4月から入門者クラスを受け、4年間の月日を経て受洗の恵みにあずかりました。裕兄の救いは、天にあっても、ラスベガスにあっても大きな喜びであります。
洗礼式の日に裕兄が神様を褒め称えた礼拝賛美に、私たちも心あわせ主を賛美しました。この日を主はどんなに待ち望んでおられたかと思うと、私たちの心もまた感動で震える思いです。
これから更に素晴らしい賛美を奏で続け、賛美の中に住まわれる主を証する信仰生活を歩まれる事を心からお祈りしています。

(ブログ制作チーム: 薫)

8月21日(土)に教会の初の試みとして、LVJCC主催の夏祭りが行われました。
教会員を初め、外部からも沢山の家族連れのお客様が来て頂き、約70名ほどの方が、参加されました。
松岡兄弟による開会の挨拶と祈りから夏祭りがスタートしました。
催し物として、ゴスペルクワイヤーによる「キリストにはかえられません」と「その日全世界が」が披露されました。

日本舞踊チームでは、「炭坑節」を含めた2曲が踊られました。日本舞踊の方では、牧師夫妻を始め、会場にいるお客様も一緒になって踊られ、会場が一段と盛り上がりました。

ゲームの方は、グループ対抗戦による「魚釣り」やヨーヨー掬い、そしてジャスチャーゲームが行われました。子供のみならず大人の方も心から楽しんでいる様子をうかがう事ができました。特にジェスチャーゲームの方は、問題を出すジェスチャーとして、鶴田先生、そして鶴田先生のお子さんであるジョイ姉妹と大地兄弟が参加され、 子供のみならず大人の方も必死に考えておられました。


お食事の方は、夏らしいそうめんやおにぎり、おいなりさん、スイカなどがあり、夏らしいお食事に皆さん、楽しくおいしそうに召し上がっておられ、その間に、多くの交わりが行われました。
最後に、鶴田先生からの挨拶があり、無事に夏祭りが終わりました。
今日の為に心から奉仕をして頂いた兄弟姉妹に心から感謝を申し上げます。
このような夏祭りを元に、多くの方が教会に足を運んでくださり、救われる事を心からお祈りしております。







(ブログ制作チーム: Hanako)

今日は、幸せな人生の秘訣について考えてみました。
幸田露伴は、幸せには三つのコツがあると言いました。その三つのコツとは、「惜福」、「分福」、「植福」です。「惜福」とは、福を惜しむということで、言い換えれば節約をすることです。どんなに順調で豊かでも、自分に与えられたものを無駄遣いせず、祝福を使い切らない、そんな節約が幸せな人生のコツだという意味でしょう。
「分福」とは、幸福を人に分けるということです。誰かと分かち合うならば、悲しみは半分になり、喜びは二倍になります。自分の持ち物がわずかであっても、それを誰かと分かち合うことができれば、やがてその祝福が何倍にもなって自分のところに返ってくるものです。
「植福」とは、福を植えるということです。つまり将来の幸福のために、今から祝福の種を蒔いておくということです。
聖書もこれらと同じようなことを教えています。与えれば得るというのは聖書の有名な教えです。また、人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる、というのも誰もが知っている聖書の教えです。
しかし何と言っても、幸福についての一番の聖書の教えは、イエス・キリストの“山上の説教”の言葉でしょう。それは、やがて失われていく地上の幸せではなく、いつまでも残る永遠的・普遍的な幸福の教えです。
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
この言葉が繰り返し伝えていることは、神の子とされ、神の恵み、天国の恵みの中で生きることこそ最大の幸福であるということです。あなたは、これらの言葉の意味するところがお解かりですか。そして、心から「アーメン」と言えますか? 地上のどんな祝福よりも遥かに勝る天国の祝福を、ぜひあなたも手に入れられますように。
今日の一言: 幸せな人生の秘訣は天国の恵みを得ること
平安
鶴田牧師

ラスベガス日本人教会では、老人ホームなどの施設を慰問している日本舞踊チームがあります。今回は、そのリーダーであるサリー姉妹に慰問についてインタビューを致しました。
現在では、ラスベガス日本人教会のイベントには欠かせない日本舞踊となっておりますが、この慰問を始められたキッカケは何ですか?
私(サリー姉妹)が、ラインダンスを習っていた時に、ラインダンス披露の為、ラスベガス中の施設を訪問していました。ある時、ある方にラインダンスの中に日本舞踊を取入れてみてはいかがですか?と言う提案をされ、取り入れた矢先、ラインダンスの先生が足を怪我され、クラスや、訪問を続けることが出来なくなりました。その時、スケジュール等のマネージメントを管理されている方から『日本舞踊で訪問に来てください』と言われ、教会員の方スモールグループの方や、お友達をお誘いして日本舞踊の慰問チームができました。
それは、いつ頃ですか?
1年半前です。これよりも前に、日本舞踊のクラスは持っていて、ほんの2‐3人からスタートしたのですが、1年半前から始まった現在のクラスにはたくさんの方たちに集まっていただいています。
ハレルヤ!祝福されていますね。訪問はどのくらいの頻度で、そして練習はどのくらい行っているのでしょうか?
慰問は、washingtonとJonesにある Adult Day Care Center of Las Vegas という施設で、毎月1回行っております。この他にも、小学校等にも行きます。このまえは、原爆記念館にも訪問し、日本舞踊を披露してまいりました。
練習は、基本的に毎週水曜日の午後1時~4時か5時までやっています。やる気のある方は、木曜日も来ていただけるように私自身のスケジュールも空けております。
慰問の時の観衆の反応はどうですか?
皆さんは手を叩いてリズムを取ったり、掛声を掛けたりして喜んで頂いています。中には、以前日本に行ったことのある兵隊さんが日本舞踊を見て懐かしがり、泣いて喜んでくださった方もいます。踊りを披露した後には、老人ホームの皆さんとの交わりの時間も持ちます。
この訪問の目的はなんですか?
アメリカの方に少しでも日本の文化を知っていただきたいという思いと、日本の方には日本の伝統文化を残していきたいという思いがあり、それを通して、心に渇きを覚えた方達に イエス様の愛を届けていきたいです。
サリー姉妹のその思い素晴らしいです。そんな強い思いを抱いたこのグループの将来の目的はなんですか?
学校を訪問すると少しお金が集まります。将来、この活動を通して集まったお金を教会の献金等に役立てられれば良いですね。
サリー姉妹、ありがとうございました。 インタビューを通してサリー姉妹の情熱と温かさが伝わってきました。
このようにイエス様の与える愛を自主的に行っているグループが我がLVJCCの姉妹の中に大勢いらっしゃることをとても誇りに思います。尊い奉仕を感謝いたします。また、こうして記事をかかせていただいた事を感謝いたします。慰問に携わっている方たちが豊かに祝福されますように。アーメン。
『私たちは、神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。』 エペソ人への手紙2:10

(ブログ制作チーム: Sao)

シニア聖書クラスは毎月第3日曜日、礼拝後にもたれています。
60歳以上の教会員が常時10名ほど参加しています。
クラスが始まったきっかけは、教会図書コーナーの書籍を整理していた時、一冊の本を見つけたことでした。 以前私達の教会を訪問された稲葉寛夫先生から寄贈されたもので、本来は小学生がホームスクーリングで聖書の学びをするためのテキストでした。しかし学習内容を的確に表現した挿絵や、また聖書を大変分かりやすく解説した文章に感動し、すぐに牧師に見せたところ、「このテキストを活用してシニアメンバーのためのクラスができないだろうか?」とのアイディアをいただきました。それは良い考えだと思い、早速何人かのシニアメンバーの方々に相談したところ、「すぐやろう!」ということになり、とんとん拍子でクラスが始まりました。

創世記の学びから始まり、天地創造や原罪など、ゆっくりではありますが詳しく深く理解することができ、「なるほど、今まではあまり良く理解していなかったことが今はしっかり分かるようになった。」との声をメンバーからいただいています。
また、普段はあまり発言や質問をされないシニアメンバーの皆さんが、クラスの中では積極的にディスカッションに参加され、ご自身の疑問や意見を述べられている様子を見ていると、やはり皆さんは心から神様を愛しているのだと感じることができます。愛しているのでもっともっと神様のことが知りたいという意欲の表れとして、ディスカッションが毎回とても熱いのです。年齢を重ねられてもこれだけの情熱を持つことができるのはすばらしいと思います。

聖書の理解を深めることによって、神様が私達クリスチャン一人一人と深く結びつきたいと願っておられることを知ることができます。鶴田牧師がいつも私達に教えてくださるように、神様との個人的な関係ができると、私達は神様無視の生活ができなくなります。礼拝を守り、祈り、御言葉の学びをし、交わりをし、伝道に励むようになります。この聖書クラスを始めてから、これらのことがシニアメンバーの間で積極的に行われるようになったことを心から神様に感謝しています。そして、メンバー同士が愛と哀れみとを持って多くの人々と交わっている様子をよく目にします。私もうれしいですが、それ以上に神様がどれ程喜ばれているだろうかと思います。「神様の喜びは私達一人一人の喜びである」と声高々に言うことができるよう、これからもクラスを通して多くの学びと働きをしていきたいと思います。
「わが子よ、わたしの教えを忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。」 (箴言3:1-2)
(シニア聖書クラス・リーダー: Sue)