2008年9月25日。昼ごろ、自宅のリビングルームで、独りでくつろいでいる時、私は身体の異変に気づきました。即座にストロークであることが、自分なりに把握できたのです。幸いにも、まだ少しだけ体が動けましたので、直ちに911へ通報しました。それから先は、意識が途絶えてしまって、知るすべもありません。
病院のICUにいた折りに、お見舞いに来てくれた友人と家人は、往時の状況を振り返って、「もう、駄目か!」と、思ったと述懐しました。脳卒中で倒れて以来、右半身不随と言語障害で、一言もしゃべる事はできません。おまけに癌が4ヶ所から見つかりました。
甲状腺に端を発し、リンパと肺と脳に転移していたのです。さらに驚いたことに、脳の腫瘍から出血して、ストロークを引き起こしました。耳は聞こえておりましたので、ドクターの検査報告だけは、はっきりと聞き取れました。「ステージ4です。(末期癌です)」
その日の夜、薬の副作用の影響から、幻聴のようなものが聞こえてきました。私は持病に、40年来のうつ病歴があります。夕べ、ドクターから末期癌の宣告をされたにもかかわらず、一向に落ち込む気配すらないのです。
ある日、知り合いの牧師が、病院へお見舞に来られました。その牧師から聖書の御言葉が与えられたのです。その箇所とは、出エジプト記の15:26です。
言われた、「あなたが、もし、あなたの神、主の声によく聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」
傍らで聴いていた家人は、驚きの表情で、聖書の個所が病院のアドレスと同じであると言うのです。1526 Edgemont Street 私は、神様が導いてくださいましたこの病院に対して、深く感謝致しました。
これもひとえに、教会の皆様の、とりなしの祈りに支えられているのだと言うことが、ひしひしと伝わってきました。イエス様に示されたことは、悔い改めることと、もう一つが、この世で憎む者がいれば、無条件で許してあげなさいということです。
それ以来、かぐわしい花の色香ともに、こころの底から喜びがあふれて、とどまることを知りません。おかげで、脳の手術をする際に、一切を主イエスにゆだねて、うららかな平安を得ることができました。この弱虫の頭(かしら)が、これほどまでに強くなれるのです。この、大いなる恵みに感謝致します。
間もなく、倒れてから1年と3ケ月が経過しようとしいています。相変わらず右半身は不随のままです。まだ、口も自由に喋ることはできません。癌細胞も体内に残っています。
けれども、知って下さい。イエス様の癒しの奇跡を…… 私は信じて疑いません。きょうも、キリストのたおやかな愛が、我がうちに燦燦と降りそそぐのです。

(著者: 新井雅之)
11月22日(日)は感謝祭礼拝が持たれました。鶴田牧師は 「感謝の心を育てる」というテーマで、どのようにしたら感謝の心が養われて喜びに満たされた生活を送ることができるのかを、3つのポイントでメッセージをしてくださいました。
1.感謝できる事柄を探す。
パウロは、「すべての事について、感謝しなさい」と言っています。もし私たちが、“ありがとう”と心から言えれば、私たちの心は温かくなり気持ちのいいものです。そして、温かい気持ちになれた時は幸せを感じます。ですから、感謝をする機会が増えれば、心が温かくなる機会も増えるので、感謝できる事柄を探すことによって、幸せを感じる時を増やすことができます。
そこで、感謝の機会を増やすには、感謝をする機会を減らしてしまう要素を知っておくことも大変重要です。なぜなら、それらの要素を知らないために、多くの感謝すべきことを感謝せず、幸せな気分になる機会を逃してしまうからです。では、感謝をする機会を減らしている要素とは何でしょう。それは、当たり前という捉え方です。「○○してくれて当たり前」、「○○するのが当然」という心があれば、感謝をする機会がなくなります。というよりもむしろ、すぐに不平不満を口にするようになります。
しかし当たり前のことが実は当たり前ではないと捉えてみたらどうでしょう。その人の人生が変わります。私たちは神様が与えて下さっている全てのことに対する認識を新たにし、与えられている全てを感謝できるように心をアジャストすることが必要ではないでしょうか。
2.全ての事を神の国の視点で見る。
キリストにある者は神の国の視点からすべてを見る特権が与えられ、全ての事が最善へ導かれるという約束があります。人間の生まれながらの性質は、自分を喜ばせてくれるものには感謝できますが、自分を苦しめたり、悲しませたりするものには感謝できません。しかし、自分を不幸にすると感じるものが必ずしも自分を不幸にするとは限りません。幸せや不幸は周りや状況によって決まるのではなく、自分自身の心によって決まるのです。周りや状況を幸せの材料として使うのか、不幸の材料として使うのかは自分の選び方次第です。
箴言に、『銀を試みるのは、るつぼ、金を試みるのは炉、人の心を試みるのは、主である。』とあります。炉やるつぼというのは、金や銀をどろどろに溶かして、そこから不純物を取り除き、より純度の高い純粋な金や銀を作り出すためのものですが、神様はそれと同じことを、試練や患難を通して私たちにされるのです。試練は人を不幸にするためにあるのではなく、人を練り上げ、心の目を開かせ、よりすぐれた人に成長させるために神様が用意しておられるものです。しかし、試練が人の成長に役立つためには、感謝をして試練を受け止めることが大事です。
『苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。』(詩篇119:71)
『そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることはありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからです。』 (ローマ5:3-5)
「神は常に私に対し最善以外のことはなさらない」という聖書の約束の言葉に基づく信仰があれば、あらゆる状況に対して感謝をすることができます。これが神の国の視点であり、祝福の原理です。これは神様に対する私たちの信頼の現われであり、「心の平安」は、神に対する信頼を持っている人に与えられる神からの賜物だと言えます。
3.神の愛を知る。
神様は、御子イエス・キリストを私たちのために十字架につけるほどに、私たちを愛しておられます。神様は愛です。ですから、私達を愛するお方が最善以外のものを私たちに与えられる筈がありません。だから私たちはどんな事にも感謝できるのです。
さらにパウロはローマ書8:35-37で、『だれが、キリストの愛から私たちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。………しかし、私たちを愛して下さった方によって、私たちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある』と言いました。
つまり、どんな状況も、神の愛から私たちを引き離すことは出来ません。神の愛は常に私たちの上に注がれているということです。だから、私たちはどんな状況の中でも感謝できるのです。
瞬きの詩人として知られた水野源三さんは9才の時に赤痢にかかり、さらに脳膜炎を併発してその後遺症のために体全体が指一本動かなくなってしまいましたが、そんな水野さんがこんな希望と喜びと感謝に溢れた詩を詠んでおられます。
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました
喜びと希望の
朝の光がさして来ました
また、鶴田牧師と30年来のご友人である新井雅之兄弟からの感謝の証を読んで下さいました。新井兄弟はストロークで入院し、その折ガンが4箇所から発見され、大変な状況に置かれました。今は右半身が動かず話すことも自由にできませんが、神の御愛が新井兄弟を満たし、強くし、感謝のお証を鶴田先生にメールをしてこられたのです。
水野源三さんも新井兄弟も難題が溢れている環境にありながら、神を信じる信仰によって心に平安が与えられ、神の国の視点ですべてを見られ、どんな状況をも感謝して受け入れられる人へと変えられました。
一年に一度の感謝祭礼拝、それは神の愛をより深く学び、感謝する心が幸せを連れて来るという、文字通り感謝と喜びにあふれた素晴しい今年の感謝祭礼拝となりました。
このことを主に感謝いたします。

(ブログ制作チーム: Sao)

まず、四方先生は、現在ゴルフで大活躍の石川遼選手の話を取り上げながら、この世のものではなく栄光の冠を求め、人生という競技場でパウロが追求した3つのものについてお話しされました。それは、
1.イエス様を心に受けいれ、イエス様との密接な関係を築いていくこと。
2.イエス様の復活の力を知ること。すなわち、試練の中から打ちかつ力、方法を知ること。
3.私達の罪の為に死んでくださったイエス様の十字架の痛みと苦しみを知ること。
ここで四方先生は3番目のポイントから、今まで悪を遠ざけるお祈りしかせず、キリストの苦しみを知ることについてのお祈りはしていなかったので、この機会を通して神様に悔い改めます、との宣言をされました。先生の真実な言葉に、真の神様に従う者の姿を見た気がしました。
次に、先生は、パウロの追求する3つのものを達成する4つの秘訣について語ってくださいました。その4つとは、
1.イエス様を完成目標とすること
2.後ろを見ず前に前進すること
3.それを達成しようと努力すること
4.新たな第一歩を踏みだすこと
イエス様を完成目標とし、神の栄冠を得るための道には多くの障害があり、様々な霊の戦いがあります。現にパウロは、誰よりも多くの苦難に遭遇し、霊の戦いを経験しました。投獄され、むちで打たれ、石で打たれ、死に面することもしばしばでした。同胞であるユダヤ人からの迫害、異邦の民であるローマ人からの迫害、さらに川の難、盗賊の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、飢えと寒さの中で裸でいたこともありました。
しかしパウロは、その筆舌に尽くしがたい苦難の中で、イエス様から目を離さず、目標に向かって前進を続け、むしろ試練を前に置かれたものを得るための恵みとして感謝し、日々、新たな一歩を踏み出していったのです。
『私の兄弟たち、さまざまな試練に会うときはそれをこの上もない喜びと思いなさい。 』(ヤコブの手紙 1:2)
先生が語って下さった神様のメッセージを聞き、果てしない道のりでも、そこにある試練をひとつずつ乗り越え、今の自分から一歩前進する勇気が必要である事を知りました。先生は、我が子が初めて歩き出した時に親が拍手して喜ぶ事と同じで、神様は私達が初めて歩きだす時をとても喜んでいらっしゃるはず、と語って下さいました。メッセージを通して神様の栄光が現され、そして、ゆっくりとイエス様を語られる四方先生は輝いておられました。
さぁ、私たちも前に向かって 一心に進もうではありませんか。
『キリストイエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。』(ピリピ人への手紙3:14)

(ブログ制作チーム: Sao)
10月9日にオバマ大統領にノーベル平和賞が与えられることが発表されたが、この知らせを聞いてすぐ私の脳裏に浮かんだことは「ノーベル賞がまた政治目的のために使われた?」という思いであった。
今回オバマ大統領にノーベル平和賞が与えられた大きな理由の一つは、大統領が国連安保理の5大国を含む全世界の核兵器廃絶を提唱したためである。しかし、これまでにも多くの指導者たちが核廃絶を提唱してきたが、一つも成功しなかった。なのに何故どういう結果になるかも分からない今回の核兵器廃絶の提唱がノーベル賞に値するのだろうか。たとえオバマ大統領の核廃絶が従来の提唱より成功の可能性が高いとしても、結果を見ずしてのノーベル賞はやはり時期尚早だと思う。
アンリ・デュナン、アルベルト・シュヴァイツァー、キング牧師、マザー・テレサ、ネルソン・マンデラなどが、神を愛する心から純粋な思いでその尊い人生と命を人々のために捧げ、その献身的な働きが評価されてこの名誉ある勲章を受けたことを考えれば、なんと簡単にオバマは・・・と、つい思ってしまう。
また、無抵抗主義によるインド独立の父と言われるマハトマ・ガンジーは、1937年から1948年にかけて、5回もノーベル平和賞の候補になりながら、本人が頑なにその受賞を辞退したという例を考えれば、政治家たちのノーベル賞の軽さを感じずにはいられない。
実は、今回のオバマ大統領のノーベル平和賞受賞をめぐり、50年間公開されたことがない選考過程が地元紙の報道で暴露されるという異例の事態に陥っているそうである。選考を主導したノルウェーのノーベル賞委員会のヤーグラン委員長が欧州会議(加盟47カ国)の事務局長を兼務していることも批判を浴び、外部の干渉を防ぐための同委員会の秘密主義と独立性が改めて問われているらしい。
また10月15日付のノルウェー紙、ベルデンスガングは、同委員会の委員5人のうち、最初からオバマ大統領を推したのはヤーグラン委員長ら労働党の2人で、それ以外の 3人は反対していたと報じている。とすれば、オバマ大統領の授賞はノーベル賞委員会の内部からわいてきた話ではなく、明らかに外部からの強い国際政治力が働いて決定されたものであることが想像できる。では、その政治的な絡みはどういうものであろうか。
ひとつの可能性として考えられることは、ノーベル賞委員会は、オバマ大統領に授賞することで事実上、核開発への制裁を口実にイランを空爆する戦略を米国に取らせないようにしたということである。つまり授賞にはオバマ大統領の手を縛る効果があるということだ。イランが米国を攻撃しない限り、米国がイランを空爆することは国際法で認められた自衛の範囲を超えるもので、ノーベル平和賞の受賞者がやることではない。つまりオバマ大統領が受賞を受諾したということは、大統領にはイランだけでなくあらゆる国に対する先制攻撃をする考えがないことを示唆している。
核開発への制裁を口実に、米国もしくはイスラエルがイランを空爆する構想をめぐっては、イスラエル右派と米国の軍産複合体が合同の空爆をやりたいと考えてきた半面、欧州勢はイラク戦争の二の舞になるので空爆を嫌っている。また米国の多極主義者は、イスラエル単独で空爆をさせたいと考えている。
こうした欧米イスラエル内の暗闘の図式に当てはめると、オバマ大統領がノーベル賞受賞によってイランを空爆できなくなったことは、欧州勢と米国の多極主義者(ホワイトハウス)がヤーグラン選考委員長に圧力をかけ、授賞に持っていった可能性が大きい。
これまで世界は、5大国だけが核兵器保有を容認されてきた。しかし、G20がG8に取って代わったように、国連も多極型の新体制に移行し、5大国制度も再編され、5大国だけが核保有を容認されていた体制も終わるかも知れない。米国の多極主義者(ホワイトハウス)は、核廃絶を推進したいオバマの理想論を使って、今後の転換期に核兵器全廃を実現したいのだろう。
しかし、終末に関する聖書預言に照らし合わせれば、核兵器全廃は実現しそうにもない。なぜなら、これから迎える患難時代における二度の世界大戦は激しい核戦争になりそうだからである。これからも世界の動向から片時も目を離せない。
(LVJCC担任牧師: 鶴田健次)

10月25日から毎月一度のリーダー訓練会で、「ハーベスト成長セミナー」のテキストを用いての学びが始まりました。第一課の「聖書との出会い」から第十二課の「終末時代のエバンジェリズム」までの12回に渡る弟子訓練の学びです。
このテキストは、ベテル聖書研究会のハーレー・スイガム博士が考案された、絵を用いて概念を教える手法を取り入れ、ハーベストタイム・ミニストリーの中川健一先生が作られたものです。中川先生らしく、すべての内容が非常に簡潔で、系統立ててまとめられており、特に絵の概念が大変見事です。
このテキストは以下の三つの願いをもって作成されました。
(1) 求道者に福音を明確に伝えるテキストが欲しい。
(2) 決心した方の霊的成長を助けるためのテキストが欲しい。
(3) 成長したクリスチャンが、使命に生きる者となるためのテキストが欲しい。
そういう訳で、この学びは、求道中の方、更に深い確信を持ちたい方、霊的成長を求める方、終末時代の伝道を考える方にとって大変有益な学びです。
クリスチャンの誰もが経験することですが、他のすべての学び同様、聖書の学びにも近道というものはありません。色んな事が身に付くためには、やはり多くの時間を必要とします。しかし、このテキストは、そういう学びの原則の中で、まさに建築物の骨組みを組む役割を果たしてくれます。つまり、この部分が出来上がれば、あとはそこにカーテンウォールを簡単に取り付けられるように、聖書の色んな知識を適切なところに、しかも容易に付け加えていくことができるようになります。
主イエス・キリストは今を収穫の時代と呼んで、こう言われました。「目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。」(ヨハネ4:35b、36)
教会が教会としてふさわしく、またクリスチャンがクリスチャンとしてふさわしく生きていくためには、まさに前述の三つの願いが必要です。どうか一人でも多くの方が、聖書の学びに励み、人生の収穫の時を迎え、まく者も刈る者も共々に喜びに満たされたいと思います。
(LVJCC担任牧師: 鶴田健次)