
4月26日の聖日礼拝後、ウォーレン・ノーマン長老の喜寿をお祝いする会がもたれました。
ノーマン長老は夫人の美佐子姉妹と共に当教会の開拓にあたって多くの献身的な働きをしてこられた方です。

ラスベガスへ越されてくる前はサンディエゴに住んでおられ、サンディエゴ南バプテスト教会に集い、長老としてまた子供ミニストリーのリーダーとして働いておられました。ノーマン長老の次男、ケリーさんは今でもサンディエゴで牧師として働いておられます。
ラスベガスへ引っ越してこられたのは2002年。三男の一人娘がまだ小さく三男ご夫妻が共働きのため、子守りが必要になったからでした。すでに定年でリタイヤされていた長老ご夫妻でしたがサンディエゴの次男のお子さん方も当時はまだ小さく、少し悩んだそうです。しかし牧師をされている次男のお子さん方には教会に集う神の家族がいるから自分達がいなくても大丈夫。でもラスベガスにいる孫には私たちしかいないと思われたそうです。
しかし、ラスベガスに移る目的をそう考えておられたご夫妻が、当地へ越して来られ、神様によって当教会へと導かれ、教会設立の手続きや英語部の働きをしていかれるうちに、「ラスベガスへと導かれたのはこの働きのためであった」ということが分かったそうです。それからは夫婦二人力を合わせて神様と人々に仕えてこられました。

ノーマン長老は1932年3月12日、アメリカのオクラホマ州で7人兄弟の2番目、長男として生まれました。最初の就職先はアメリカ海軍。1954年、当時はまだアメリカ占領下の日本が最初の海外赴任先でした。しかし神様の不思議な御業は誰にも予測ができないもので、何とその日本の横須賀で生涯の伴侶となられる美佐子姉妹と出会い、同年12月に結婚。翌年9月には2人の間に長男誕生、そして2人はノーマンさんの任期満了に伴い、生後5ヶ月の赤ちゃんを連れて1956年3月に14日間の船旅を終えアメリカのサンフランシスコに到着しました。ご夫妻は今年結婚55年を迎えられますが、まさしくこの地が二人の出発地点でした。
しかし、ノーマンさんは最初、美佐子さんとの結婚を家族からあまり歓迎されなかったそうです。ほんの数年前まで敵味方に分かれて戦っていたのですからそれも仕方ないことです。しかもノーマンさんのおじさんはあの戦争で日本軍相手に戦い亡くなりました。その事を家族から言われると胸が痛かったそうです。兄弟仲もあまり良くありませんでした。「自分は兄弟達からあまり好かれてはいなかった。本当に悪かったから。」と少し悲しそうに話してくださいました。しかも、「超」が付くほどのヘビースモーカー。一日3箱、60本吸っていたそうです。そんな中、38歳の時生ける神、イエス・キリストと出会います。
洗礼は子供の頃受けていましたが、救いの実感には至っていなかったのです。主イエス・キリストが自分の罪のために死んでくださったことを38歳にして初めて理解できたノーマン長老は以来、ひたすら神のために働き続ける者へと変えられました。

そんなノーマンさん美佐子さんへの神様の祝福は大変大きく、ご夫妻と5ヶ月の長男さんのたった3人で始まったアメリカ生活も今では子供3人、孫9人、ひ孫14人の大家族になりました。美佐子姉妹は「私たちにはお金の財産はないけれど、子供達が財産よ。」と笑顔でおっしゃいます。

さてお祝いの会ですが、ノーマンさんの神の家族である教会の姉妹方が腕によりを掛けて用意したご馳走を囲んで会は始まりました。まずは、明日歌姉と裕兄によるフルートとピアノの演奏です。



続いて日曜学校の生徒による「主われを愛す」の賛美。
(これはノーマンさんの大好きな賛美のひとつです。)

そしてノーマン長老がご奉仕されている当教会英語部を代表してヴィヴィアン姉妹による感謝の言葉。姉妹はこの教会に集われて5年以上になりますが、ずっとノーマン長老の語る日曜礼拝の説教を聞いて信仰の養いを受けてこられました。一時期、英語部が弱くなる時もありましたが姉妹はずっと長老を支え続けてこられた方です。スピーチの途中感極まって涙を流された時は聞いていた者一同胸を熱く致しました。


その後、真理花姉が長老ご夫妻のためにラブソングを歌い、二人をダンスへとお誘いしました。シャイな長老に対して、以外に積極的な美佐子姉妹に一同大爆笑。

記念品と花束、そして教会員が綴った色紙の贈呈の後に牧師からの祝辞とノーマンさんの感謝の言葉。最後に牧師による按手の祝祷のときにはノーマンさんご夫妻を囲んで教会員一同心を合わせてお祈りいたしました。これからも主からのたくさんの祝福と恵みとがノーマン長老と美佐子姉妹の上にありますように心から願います。



(シニアミニストリー: すえ)

5月10日(日)は母の日ということで、日頃、主のため、教会のため、皆さんのために献身的な奉仕をして下さるご婦人方に心からの感謝を込めて、母の日のランチョンを持ちました。
この日は、いつもポットラックのご馳走を作ってくださるご婦人方に、男性の有志たちが腕をふるい、油ののったサーモンと柔らかいジューシーなチキンのBBQ、それに大きなアスパラガスとグリーンサラダを作りました。
そして、テーブルには新品のテーブルクロスがかけられ、ご婦人方は席に着き、特訓を受けた(?)ウェイターたちによって料理と飲み物がサーブされました。
また子供ミニストリーのスタッフによって作られたバラのコサージュが配られ、料理と共に大変好評でした。
年上の女性には母親のように、若い女性には妹のように接しなさい。
(テモテ 5:2)
愛情に満ちた家庭のように互いに尽くし合い、また、心から尊敬し合いなさい。
(ローマ 12:10)









未樹姉がカリフォルニアから教会の兄弟姉妹のお2人と一緒に遊びに来てくれていました。

(ブログ制作チーム: 堀田)

サザンハイランドのスモールグループの集会は、毎週月曜日の朝10時半から、6名前後のメンバーで美佐子姉のお宅で行っています。
1時間から1時間半で聖書勉強を行ない、意見を出し合い、最後はそれぞれに感じたことをお祈りしていただいています。毎週一回の短い時間ですが、継続して行なっていくことにより、洗礼を受けて後、教会から少し離れがちになっていた人が礼拝に出席するようになったり、以前は祈ることができなかった人が祈れるようになったり、聖書を読まなかった人が聖書を読むようになったりと、この活動を通して与えられる神様の働きや御言葉の魅力に魅せられています。お互い励まし慰め合い、共に泣き、喜ぶことができる本当の家族以上のように密接な関係でむすばれた兄弟姉妹である家族、それが私たちのスモールグループです。

教会やキリスト教について興味をお持ちの方や聖書についての疑問や聖書に書かれていることをもっと知ってみたいと思っていらっしゃる方など、どなたでもこのスモールグループに参加をすることができます。参加していらっしゃる方はとても気さくで楽しい方たちで、年齢層や仕事も様々ですが、意気投合して、いつも楽しい時を過ごしています。特に美佐子さんが、このスモールグループのあとに手料理をご用意してくださっていて、いつも美味しくいただいています。このスモールグループが始まって以来、約4年間を一緒に盛り上げてくださった方々に感謝とお礼を申し上げ、何よりも神様に感謝してこれからもスモールグループで良きリーダーとして活躍していきたいと思います。皆様これからもよろしくお願いいたします!
(サザンンハイランド・グループ: ケイ)


4月18日(土)、毎年恒例のLVJCC春のピクニックが初夏の青空のもと、昨年と同じWestern Trails Neighborhood Parkで開催されました。朝からバーべキューの香ばしい匂いのするなか、ポットラックランチやゲームを抱えた教会員が集まりました。ノーマン長老の絶妙な味付けのされたバーべキューが大変好評で皆さんが大満足。
食事をしながら交わりの輪が随所でもたれました。子供たちを中心とした輪、学生を中心とした輪、初めての参加者は鶴田牧師や潤子夫人との交わりをもたれ、また子育中のご家族もたくさん参加され、良き交わりのときがもたれました。
食事の後は、全員でゲームを楽しみました。パン食い競争、バトミントン競争、リレー競争、ピニャータゲーム等、小さなお子さんから年配者まで、和気あいあいと最後まで事故もなく楽しむことができました。最後に記念撮影をし、全員で掃除をしてから散会しました。
今回のピクニックは、参加者が58名で、初めての参加者が12名もおられ、今までのピクニックで最高の参加者となりました。初めての参加者との交わりも祝福されたものでした。
また多くの奉仕者が与えられたのも感謝です。教会に来られて間もない田中兄やエミイ姉は朝から多くの奉仕をして下さり、ノーマン長老は前日から様々な準備をして下さいました。すべての奉仕者に主からの祝福がありますよう、心からお祈り致します。
今回も、最初から最後まで主が共におられ、恵みと祝福の時が与えられました。
(交わり委員会: 松岡)
































4月12日(日)のイースター礼拝では、当教会初のショートスキット(寸劇)が行われました。
イースター(復活祭)は、イエス・キリストが十字架にかかって死に、葬られ、3日目に蘇られたことを記念するキリスト教で最も重要な日です。このスキットはイースターをテーマに、第1幕:イエスの十字架での死、そして第2幕:3日目の復活の2幕構成になっています。
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第1幕:イエス・キリストの十字架での死
イエス・キリストは、弟子ユダの裏切りにより捕えられ、裁判にかけられ、神を冒涜した罪で十字架刑となりました。
イエスはローマ兵に鞭を打たれ、とげの付いた茨の冠を被らされ、刑場のゴルゴダの丘まで十字架を背負って歩かされます。

十字架刑はあらゆる死刑の中で最も重く残酷な刑でした。釘で神経の集まる両手両足を打たれ、激痛の中、体を支えられなくなり、呼吸困難となり窒息して死に至ります。
通常、痛みを和らげるために没薬を混ぜたぶどう酒を受刑者に飲ませるのですが、イエスはそれを拒否しました。

午後3時、全地が暗くなり、イエスは「父よ。私の霊を御手に委ねます。」と大声で叫んで息を引き取られました。その時、神殿の大きなたれ幕が上から下に裂けました。


イエスの死後、弟子ヨセフはピラト総督に亡骸を片付けたいと願い、ピラトは許可を与えました。そしてイエスを墓に納めたのです。


第2幕:死後3日目の復活
イエスの死後、3日目の朝、マグダラのマリアたちは香料や香油を持って、イエスの埋葬の為に墓までやってきました。墓は大きな石で封印され、復活を警戒してローマ兵が墓の前で警護していましたが、突然まばゆい光と大きな地震が起こり、ローマ兵達は恐れて逃げ去り、そして石が転がり、墓の入口が開きました。
中に入るとイエスの姿はなく、御使い(天使)が代わりにいて、「なぜ、生きている方を死人の中で探すのですか。ここにはおられません。蘇られたのです。急いで行って弟子たちにイエスが死から蘇られ、あなた方に会いに行きますと伝えなさい。」と言いました。
マリア達は喜び、弟子たちの元へ知らせに行きます。


イエスは弟子たちの元に現れ、大宣教命令を与えられました。
「私は天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
イエスは復活後、40日間、多くの人々の前に現れて福音を説かれ、たくさんの人々が見ている中で天に昇って行かれましたが、御言葉通り、イエス・キリストはいつでも私達と共にいて導いてくださっています。 <完>

監督・脚本・指導: しょうこ姉
イエス・キリスト: クリス兄 御使い: 松岡兄 ローマ兵: ネイソン兄
ヨセフ: 田中兄 女たち: 優子姉、早希姉、明日香姉
ナレーター: 薫姉 音響: サム兄 奏楽: 裕兄 衣装・小道具: 婦人会有志
十字架製作: 松岡兄、坂東兄、向井田兄

監督・脚本・指導をしてくださった、しょうこ姉にお話を伺いました。
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LVJCCの礼拝に初めて参加したのは今年の2月1日です。以前、劇を作っていたことを鶴田先生に話すと、スキットをやってみませんかというお話をいただきました。
礼拝でアナウンスをすると、すぐ出演したいという方々が揃いました。自分から出たいという方に参加してほしいと思っていので、主の備えに驚きと喜びでした。
本番前日に音響をサムさんにお願いしたり、配役や音楽担当を変えたりしましたが、全てが整えられたことに、ただただ感謝でした。
最初は皆の時間が合わず、なかなか稽古がでませんでしたが、しかし、それも神のご計画のうちでもっと祈ること、忍耐が試されていることが分かったので、ただ主の時を待とうと決めました。最初練習の中で演技を指導しないと言うと驚かれましたが、自分の感情で動くのが一番自然な演技なので、自分がその配役の人だったらどう感じるかを考え、その気持ちでやってほしいと伝えると、とても上達していかれました。
女たちの役の方は練習でも涙を流されていました。本番でもとても上手でした。
イエス役には、ここでイエスだったらどう思うか考えて動いてほしい、死まで神に従順で、命を懸けて救いを伝えたいと言う思いでやってほしいと言いました。
彼は日本語の読み書きはできましたが、会話には慣れていませんでした。
スキットでは最初に日本語を渡し、彼が全てを覚えた時、英語も入れてやってもらいましたが、英語のセリフは3日前に頼んだのにもかかわらず、全て完璧でした。
私は日本でクリスチャンのリトリートに参加し、イエスの愛を知りました。演技は幼い頃から、劇制作は小学生の時に始めました。福岡市民会館での市民クリスマスに呼ばれ、1時間ほどの劇を出しました。また、刑務所慰問をして劇を通して伝道活動をしたりホームレスの方々に伝道していました。その後、舞台でなく映画を作れば世界中の方に見てもらえると考え、ロサンゼルスで映画と演劇の勉強をしました。2006年10月にラスベガスに移り、色々な教会に行ってみましたが、なかなか見つかりませんでした。
その後、何度もカリフォルニアへ帰ろうとしてはラスベガスへ戻されました。昨年12月31日、仕事や家がなくなったと思ったのに元の仕事に戻ることができ、新家も与えられ、今回必死な思いで教会を祈り、このLVJCCに導かれました。
今は学校で日本語を教えています。生徒はクリスチャンが多く、彼らは日本で伝道活動をすることも考えているようなので、その助けになればと指導しています。
別の宗教の生徒もいますが、劇を見に来てもらったり教会で食事をしたりすることを通してクリスチャン的考え方を理解できるようになってもらえればと考えています。
LVJCCでのスキットは今後もお手伝いさせていただきたいと考えています。今回のスキットで一番伝えたかったのは、イエス・キリストがいつも私達と永遠に共におられるということです。
今回の練習でも私のこれまでの歩みもすべて御心、イエス・キリスト、そして神に委ねて祈り求めてきましたが、神はいつもその祈り以上のことをしてくださいます。
これからもすべてを神に委ね、神の御心を尋ねながら歩んでいきたいと思います。
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このスキットの話は、しょうこ姉がLVJCCにいらっしゃる少し前から、鶴田牧師がスキットをやりたいねと皆に話していたところでした。まさにそのタイミングで、演劇の素晴らしい賜物を持ったしょうこさんが私達の教会に与えられたのです。
「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ 7:7) 「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」(箴言 16:3)「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の書 3:11)
これらの御言葉を思わずにはいられません。まことに神の御言葉、教えにいつでも忠実なものでありたいものです。
(ブログ制作チーム: 堀田)