
― 薫.K ―
当教会、宣教・伝道委員会、祈祷委員会担当
埼玉県北葛飾郡出身
(プロゴルファー「ハニカミ王子」石川遼選手と同郷)
1999年1月渡米 在ラスベガス10年
2005年5月8日受洗
ワタベウエディング・ラスベガス店 美容師、
スーパーバイザー
教会員のこれまでの人生の歩みをお伝えするインタビュー企画「それぞれの歩み」第2回目です。
― 子供の頃 ―
兄弟は兄と妹、そして両親との5人家族です。
父は、これ以上真面目な人はいないんじゃないかと思うくらい実直な会社員でした。母もパートをしながらも、主婦業をこなし、いつもおいしいご飯を作ってくれる良き母でした。
小学校までは活発な性格でクラスの委員長に立候補してやったりしていました。中学、高校時代は友達との関係が何にも増して大事になり、友達中心の生活になり、家にいるよりも友達と語り合ったり、遊びに行くのがとても楽しかったですね。
― 東京での美容学校・美容師時代 ―
元々、美容に興味がありましたので、高校卒業後、六本木にあるハリウッド美容専門学校に入学しました。とても充実した楽しい学生生活でした。
卒業後は港区の美容室に入社し、国家資格の美容師免許も取り、このサロンで計7年間働きました。この期間に自分の取得したかった、美容師としての全ての基本を身につける事ができたと思います。でも7年経った時に、ふとこのままで自分の人生は良いのかと考えるようになりました。それでまずは一旦やめて、今後の事を考えようと思い退社しました。
― オーストラリアへの留学計画が ―
海外旅行が好きでよく旅行をしていたのですが、この頃から一度日本を離れて、海外で暮らしてみたいと思うようになりました。銀座のエステサロンで働いていた頃、ワタベウェディングUSAの求人情報を見て興味を持ち、応募しました。応募はしたものの、数ヶ月経っても連絡がなかったので、次の計画に移り、まずは留学しようと、オーストラリアのパースの語学学校に半年間の語学留学の申込みをしました。その半年間で仕事から離れて英語の勉強をし、それから海外で働く事を考える計画でした。
すでに学生ビザも取り、学費も入金し、準備は全て整っていた出発1ヶ月前に、ワタベから採用の電話があったのです。しかし、もうすでに留学も決めておりましたし、勤務地がラスベガスという事もあり、漠然とした不安に襲われて、一度はお断りしました。しかし、当時の上司の方が熱心にラスベガスで一緒に働く事を勧めて下さったので、心が動きラスベガスで新しい生活をする決心が与えられました。今、思えば全ては神様が背後で導いて下さっていた事を思います。
ラスベガスに行く決心はつきましたが、アメリカのワーキングビザが取れる保障はありませんでした。でも、オーストラリアの留学は思い切ってキャンセルしました。
そして1998年12月25日、クリスマスの日にアメリカ大使館より、"Congratulations!"
(おめでとうございます!)と書かれたワーキングビザがおりた手紙が届いたのです。私は神様を信じてはいませんでしたが、この時ばかりは神様からのクリスマスプレゼントだと感じ、海外で暮らす夢が叶い本当にうれしかったです。

― ワタベでの出会い ―
1999年1月19日に渡米しました。仕事では日本人のお客様なのでよかったのですが、やはり日常生活で英語が出来ない事には苦労しましたね。そういう中で、ネバダ州のコスメトロジーのライセンスを取るのは大変でしたが、頑張って取得しました。
この頃、みどり姉妹やケイ姉妹、香織姉妹と職場でご一緒しました。
2004年10月、新しい仕事に移っていたケイ姉妹から結婚するという連絡を受け、再会しました。その時、すでにケイ姉妹はクリスチャンになっていて、教会に一緒に行こうと誘われたのが、LVJCCに行くきっかけでした。
ケイ姉妹が何度も教会に誘ってくださり、最初に水曜日の祈祷会に行きました。本当はあまり行きたくなかったんですけどね(笑)、1回くらいはお付き合いで行ってみようかな、という感じでした。
ところが行ってみて、温かい人ばかりで、「何、この良い人集団!!」と驚きました。お祈りの仕方も分からず、どうしていたらよいか分からない状態でしたが、皆さんが私の為に祈って、また私が来た事を感謝して下さり、驚きと同時にうれしかったのをよく覚えています。賛美をしている時は不思議と涙が出そうになりました。
それから1ヶ月に1回くらいのペースで祈祷会に行くようになりました。
その頃、ある悩みがありました。自分では解決が難しいけど、教会に行けばもしかしたら解決するかもという淡い期待もありました。また、日常の生活のことから離れたい時にも行きました。そして鶴田先生より、入門者クラスを受けるように勧められ、2005年2月から受け始めました。
― 神様をもっと知りたい! ―
ある時、入門者クラスで鶴田先生に「薫さんの生きる目的は何ですか?」と聞かれました。
仕事は一生できるわけではないし、その当時付き合っていた彼氏との事も違う、じゃあ何かと考えてもなからなかったので、「ありません。」と答えました。
「鶴田先生は?」と伺うと、「こうして神様の為に生きるのが喜びなんですよ。」と本当にうれしそうな輝く笑顔でおっしゃったので、感動して涙が出ました。今までに、色々な分野の講演を聞いたり本を読んだりもしましたが、これほどまでに生き生きとした姿を見るのは初めてでした。こんな風に生きれるのは本当に素敵だなと純粋に思いましたし、神様はやっぱりいらっしゃるんだと思いましたこの時から、神様に対する心の扉が開かれたと思います。
それから入門者クラスで人間が持っている生れながらの罪やイエス・キリストについて教わるうちに、神様や自分の罪をもっと詳しく深く知りたいという思いがすごく強くなっていきました。また、教会の人々が言っている神様が自分にはわからないから、わかるようになりたいと心で願っていたと思います。また、兄や母が病気になり、それまでは遠い存在の死というものが、自分にも起こる事だと考えるようにもなっていました。
神様を求めるようになってから、ある日の入門者クラスで先生がルカの福音書から1匹の羊の話をしてくださり、「この1匹の羊は薫さんで、羊飼いはイエス様ですよ」と教えて下さいました。その日のクラスではその事を知る事ができませんでしたが、数日後、確かにイエス様が自分をあの1匹の羊のように知っていて下さるという確信が与えられ、その日にイエス・キリストを信じました。今でもその時の喜びを覚えています。その日を境に、私の人生は変りました。神様と生きる道が始まったからです。そして、洗礼前から早天祈祷会や祈祷会もほぼ毎回行くようになりました。

― 受洗、そして献身者へ ―
信仰告白をし、2005年5月8日の夕拝で洗礼を受けました。
サハラのコマーシャルセンターから、デザートインに教会が移転して第1号の受洗です。
クリスチャンとなってから、神の眼を通して物事を考えることを教わりました。自分の生活の中にいつも神様がいらっしゃることを感じ、何を決めるのでも神の御心を祈り求めるようになりました。神様に造られた者であるという事や神のご計画の元に生かされている事を感じ、神の栄光の為に働くという生きる目的が与えられました。また、神の愛と、永遠の天国の約束がいつも私を支えてくれています。
洗礼を受けてすぐに神様の為に一生働きたいという思いが生まれて、その決心が固まったのが昨年の6月です。そして8月から教会の献身者クラスを受け始めました。
今は仕事をしていますが、いずれフルタイムの献身者として働きます。自分の賜物を生かせる働きが何かはまだはっきり示されていないのですが、徐々に明かされていくと思います。
その過程も非常にエキサイティングで楽しみです。
今までの人生、そしてこれからの人生の中で、最も素晴らしい事はイエス・キリストとの出会いです。この事を越えるものは他にありません。大好きな神様の為に働けるのは本当に喜びです。自分の一生をイエス様の為に捧げると思うとき、喜びに満たされます。日本でもどこでも神様の遣わす所へ、この素晴らしい福音を一人でも多くの人達にお伝えしていきたいと願っています。
(聞き手: ブログ制作チーム 堀田)

3月9日(月)にセントラルのスモールグループでらい姉による料理教室が開催されました。
この料理教室は教会の各スモールグループを順番でまわって開かれております。
今回は料理教室が始まってから初のフランス料理のクラスとなりました。フランス料理と聞く
と、時間のかかる料理と敬遠されがちな方も多いと思いますが、今回は「簡単フレンチ」という
事で、簡単で短時間でおいしくつくれるフレンチを教えて頂きました。
「簡単フレンチ」の4品です。
・キッシュロレーヌ
・白身魚の海草蒸し
・きのこのバター炒めいなか風
・りんごケーキ

らい姉おすすめの「りんごケーキ」のレシピ
りんご(紅玉など) 2個
皿用 {バター(無塩) 少々、小麦粉 少々}
卵 3個
小麦粉 1カップ
ヨーグルト 1カップ
砂糖 1カップ
サラダ油 1/2カップ
粉砂糖 適量
1、焼き皿に薄くバターを塗り、小麦粉を茶こしに入れて、むらなくふる
2、りんごは皮をむいて厚さ5mmに切り、重ねるように並べる
3、ボールに卵、小麦粉、ヨーグルト、砂糖を入れて、粉っぽさがなくなるまで泡だて器
で混ぜ合わせ、サラダ油を一度に加えてさらに混ぜて生地を作る
4、生地をりんごの上から流し、375度に暖めたオーブンで30分ほど焼く
5、焼き色がついたら、取り出し、粉砂糖をふる
実際の料理の実演に入る前に、レシピを見ながら食材と下準備の説明があります。

料理教室で、新しい料理のレシピを教えて頂くのも本当にうれしいですが、一番の楽しみは試食タイムに思います。
出来上がった料理を皆のお皿に分けて、おいしいご飯を共に食する時間はなんとも言えない
幸せな時間であり、感謝な事です。みんなの顔も自然に笑顔に溢れていました。
(セントラルスモールグループ: 倉田薫)

3月8日(日)、待ち望んでいたホセ田中兄、田中裕子姉による、フラメンコギター・コンサートが開催されました。
聖日礼拝から参加されたご夫妻は、礼拝でも裕子姉の独唱とホセ兄のギター演奏でご奉仕くださり、礼拝参加者と一体感を共有しながら、一同が感謝と喜びに満ちた礼拝をささげることが出来ました。
午後2時からのコンサートは、田中兄の自己紹介から始まり、なぜ自分の名がホセ(保世)なのか、ユーモアいっぱいに語っていただきました。君は愛されるため生まれた、黄金のエルサレム等、裕子姉の素晴らしい歌声とギターのコンビネーション、フラメンコギターの迫力溢れる演奏に心から感激し聴き入りました。
途中には田中兄の証も入りました。クリスチャンになる前に、身障者の方々との合同演奏で、音楽はテクニック至上でなく、心の姿勢にあると示され、クリスチャンへの道が開けたとの感動的な証でした。田中兄のとても好感の持てた誠実な語りと、また対照的な迫力ある演奏に皆さん大感激でした。これからも定期的にお二人を迎えたコンサートを開催できればと願っています。
(交わり委員会: 松岡幸夫)





去る2月21日(土)、婦人会主催のクラフト教室が教会で持たれました。
記念すべき第一回目は、ユキ・マイヤー姉の指導のもと、リボンバスケットを作りました。既製のバスケットに、各自が色とりどりのリボンと、内側の布を選び、 楽しい語らいの中で立派なものが出来上がりました。リボンを側面と取っ手に巻き、内側の布を付け、 可愛いレースも付けました。可愛らしい見かけとは裏腹に、なかなか力のいる作業もあったので、いつの間にか、皆さんが作業に没頭しておられました。
出来上がったバスケットは、中に小物を詰めて教会で行われるバザーでの売り物となります。バザーの売上は、教会のビルディングファンドのために捧げられます。今後も教会の行事として続けていきますが、バザーのためのみならずオイコス伝道にも繋げていきたいです。
(LVJCC: 明日歌)



3月8日(日)の礼拝後14:00より、ホセ・タナカ氏のフラメンコギター・コンサートが当教会にて行われます。
一般の方も、もちろん大歓迎です。皆様、お誘い合わせのうえ、是非お越しください。
●日時: 2009年3月8日(日) 14:00より (礼拝は11:00より)
●場所: ラスベガス日本人教会
9175 Las Vegas Blvd S #108, Las Vegas, NV 89123 (Map)
●出演: ホセ・タナカ氏、田中 裕子さん(ホセ・タナカ氏夫人)
●入場無料(自由献金あり)
●お問合せ: 702-250-0966
●ホセ・タナカ氏 プロフィール
1968年10月京都生まれ。本名:田中保世。父、叔父共にフラメンコ・ギタリスト、母はフラメンコ・ダンサーの家庭 にて育つ。幼少の頃より叔父からフラメンコ・ギター の手ほどきを受け、学ぶ。
13才でエレキギターを始め16才にはオリジナルロックバンドでライブハウスにレギュラー出演。 高校卒業後渡米。ハリウッドのMusicians Instituteで 学び ロックバンド活動をしながら数年 オレンジカウンティーでギターインストラクターを務める。 24才でフラメンコの魅力を再発見し、スペインにギター留学した後、本格的にフラメンコ・ギタリスト として活動を始める。
1998年デビューアルバム "Gypsy's Dream"を発表。(アレック・アクーニャ, ペドロ・エスターチェ, ヘスース・モントーヤ等が参加)
2001〜2003年、世界的に著名なオペラ歌手のジュリア・ミゲネスのパッション・ラティナツアー にソリストとして参加。フランスを中心にスペイン、ギリシャ等をまわる。
2004年、LA主催アズナール前スペイン首相歓迎レセプションにて演奏。また、ジュリー・アンドリュース主催チャリティ・コンサートにも出演。
2004年11月アルバム"Lluvia"をリリース。スペインのトップ・アーティスト、ドミンゴ・オルテガ とマヌエル・デ・ラ・マレーナーが参加。
鶴田牧師の出身教会、West LA Holiness Church所属。
●ホセ・タナカ氏のリンク
・オフィシャルホームページ
・ブログ Flamenco Guitar Journal
・MySpaceページ
・YouTubeページ
(ブログ制作チーム: 堀田)