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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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若いころは、体の健康維持など気にもしなかったのですが、そろそろメディケアが手の届くところに来て、数年前から身を案ずるような方向へと徐々に変化している自分に気付きました。これは大きなターニングポイントだと思いました! 人生の前半と後半に分けられる “区切り” 的な境目を意識した始まりです!

 

さて、ならばどのように人生の後半戦に望んだら良いかが問題です。考えられる事として、バランスのとれた食生活、適度の運動、さらに、思考の質やマインドコントロールなども良い歳のとり方や健康維持に必要不可欠な要素として考えました。

とりあえず今回は、運動で健康な体を維持することに目を向けることにします。


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昨夜早めに寝て、目覚めたのは朝5時半。ちょうど朝日が昇ったころでした。着替えて隣の公園に向かいました。駐車場に車を止めて芝生のフィールドに降り、その外周トラックを歩き始めました。こんなに早くても、既に運動に来ている人たちが何人もいました。

 

ここはCharlie Frias Park チャーリー・フリアス公園です。ドッグパークや子供の水遊び場、テニスコート、バスケットボールコート、また広大な芝生にはサッカー場が3面できる広さがあり、その外周トラックは早歩きで約10分ほどかかります。そこを3周か4周するのが常です。

 

トラックを歩きながら朝のお祈りをします。加えて、公園で出会った人々のことを祈ります。

もし、目の前を歩いている人が神様を信じる人なら、祝福の上に更なる祝福が与えられますように。もし、まだ神様を知らないなら、その機会が与えられ、主の愛に触れ、滅びに行く魂が救われますように、という風に出会う人毎に祈ります。そして心に浮かんだ賛美を歌います。

 

この歩きながらの祈りは、以前何かで読んだか聞いたかしたもので、私もやってみようと思い立ち、それ以来続いています。いつでもどこでも誰にでも、こうして勝手に祈ります。

その利点はといえば、習慣化することで、主がいつも身近にいることが感じられ、心に平安が与えられることです。


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朝のウォーキングはさわやかで気持ちが良いし、その日のモチベーションが上がるだけでなく、考え方もポジティブになり、力がみなぎって来るような気がします。

良い種を蒔けば良い実がなる、と聖書は教えています。これこそが、良い実を得るための基礎。健康な体を維持することも、この延長線上にある事がわかります。

 

聖書では、人生を健康のまま全うした人がいます。その代表的な人がモーセでしょう。

申命記347節に、「モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。」とあります。人は誰でも、健康のまま命を全うしたいものです。モーセのように。

 

私たち人間を造られた神様は、人間を健康なうちに人生を全うできるように造られたと、私は思っています。

老いるに従って体の機能が低下し、自分が何者であるかもわからず、人の介護によって生きることが「老後の人生」だ、などとは思いたくありません。

なぜなら、この大宇宙を創造され、驚異的な緻密さで人間を造られた神が「はなはだ良し」と言われた対象、それが人間だからです。神は完璧な生涯を全うできるだけの要素を、私たちの体に既に与えておられると信じています。

ただ、自由意志という名の選択を通して、良い種を蒔くという選びの行為に至れば、良い実の刈り取りができる、ということです。

箴言423節でこう言われています。

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」

人生後半の健康を考えた時、この御言葉が輝き出し、目指す方向を確認した思いです。

 

MU

 

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2017.07.19 19:04 | その他
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2017年も半年が過ぎ、夏の大きなイベント「4th of July 独立記念日」も終わり、2017年後半が始まった!という感じですね。

皆さまの、4th of Julyはいかがでしたか?

私はこの4th of Julyの花火を見る度に日本が恋しくなります。正確に言うと、あの日本の綺麗な繊細な花火が恋しくなります。

1990年代学生としてカリフォルニアで過ごした5年間、この日に必ず「あぁ~日本に帰りたいなぁ~。日本の花火見たいなぁ~」とホームシックになっていたことを覚えています。
当時と比べるとアメリカの花火も随分配色のバラエティやデザインの種類も増えたように見えますが、それでもあの日本の花火にはかないません!

と同時に、ここ数年クリスチャンとして花火を見た時に、ソロモンの言葉
空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。(伝道者の書1:2-3)
という御言葉が頭をよぎります。

大勢の人が楽しみにして、こぞって見に出かける花火大会の為に、花火職人さんが趣向を凝らし、時間をかけて一生懸命作る、あの美しく輝く花火も一瞬の出番が終わると、空には跡形もなくなり消えていきます。
同様に、この世の短い人生でどんなに一生懸命に働いて着飾っても、カッコイイ!車に乗っても、素晴らしい家に住んでも、この世のものであって、私たちがイエス様の元に行く時には何の意味もないものになるのです。
・・・それが分かっていても、その様な「世にあるもの(=肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢)」を愛している私がいます。

いつの日か、この御言葉を霊的に理解し、二つ心ではなく御父だけを愛する人間になれるよう、神の国とその義とをまず第一に求め、御父の大きな愛をもっともっと知り、祈り、御言葉に繋がって生きて行きたいものです。

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。  (ヨハネの手紙 第一 2章15節)  


(KS)

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2017.07.05 15:02 | その他
     

「父の涙」という曲が初めて教会の賛美で歌われたのは、いつのことだったのだろう。とても印象的で衝撃的だった、という記憶だけが残っています。

静かなしみじみとした曲に、ひとり子を亡くした父親の、言い尽くせない悲しみが込められている歌。実はそのひとり子が死んだ理由、それは、人間を救うために身代わりになって死んでくださったイエス様の愛だった、というものです。

涙がとめどなく流れ、教会中が涙しながら歌いました。

 

♪ 心に迫る 父の悲しみ 愛する一人子を十字架に付けた

  人の罪は 燃える火のよう 愛を知らずに 今日も過ぎていく

  十字架から 溢れ流れる泉 それは 父の涙

  十字架から 溢れ流れる泉 それは イエスの愛

 

  父が静かに見つめていたのは 愛する一人子の傷ついた姿

  人の罪を その身に背負い 父よ彼らを赦してほしいと

  十字架から 溢れ流れる泉 それは 父の涙

  十字架から 溢れ流れる泉 それは イエスの愛 

 

 

「父の涙」の作詞・作曲者は岩淵まことさんです。

この「父の涙」は、1987年に長女を天に送る経験から生まれた歌だそうです。多くの方々に愛聴され、歌われている曲です。

 

岩淵まことさんは1977年にシンガーソングライターとしてデビューし、演奏活動以外にも、CMソングやアニメのテーマソングも歌っており、ラジオのDJや、スタジオミュージシャンの経験もお持ちです。岩淵さんは、現在牧師の小坂忠氏との出会いを通して、1980年にクリスチャンになりました。

 

岩淵さんの3つのエピソードを、ご紹介します。

岩淵さんがまだクリスチャンになる前のこと、小坂忠氏から「今度自分のコンサートを手伝ってくれない?」と声をかけられ、岩淵さんがOKしたところ、向かった先が何と青森県弘前市にある教会。教会だなんて聞いてなかったので、心細い心境になったそうですが、もう帰るに帰れません。1時間ほど忠さんの隣でギターを弾いたり、コーラスをしたりしてコンサートが無事終了しました。

実は、このコンサートの後に、「歌を歌ってはじめて良いことをした」と思ったのだそうです。その時に感じた心のうれしさが、今自分がクリスチャンであることの入口になりました、と仰っています。

 

次のエピソードは、クリスチャン・レーベルのミクタムレコードの第2回「出会いのコンサート」の時です。子供達が賛美歌を歌って始まったのですが、会場全体が歌い出し、教会が賛美歌で揺れるようだったといいます。そんな中、こわばっていた体が解きほぐされ、子供の頃に感じたような安堵感の中で涙が止めどなく流れ、やがてイエス・キリストが目の前に立っているような感じがして、「もう私のことはわかっているだろう、これからどうする?」と、声をかけられているような不思議な体験をされました。

翌日のコンサートの前、関根一夫牧師(*)に昨晩のことを話すと、「じゃ今、イエスキリストを信じない?」と言われ、そして「はい」と答えていたそうです。「では、イエス様を信じるお祈りをしよう」と促され、牧師の言葉について初めて祈りを捧げました。「イエス様、今あなたを私の救い主として信じます」、と祈った後、長いトンネルを抜けたような眩しさを感じ、「こんな俺も生きてていいんだ」と思ったそうです。

 

最後のエピソードは、イエス・キリストを信じた次の日、北九州から大阪経由仙台行きの航空券が見当たらなくなった時のことです。教会コンサートが終わって疲れているにもかかわらず、周りのクリスチャンの人達は一緒に探してくれました。その姿を見ながら、その教会の力丸牧師が、「今、岩渕さんがチケットを探しているように、イ工ス様が岩渕さんのことを探していたんだね」という言葉をかけてくれました。ですがその時は、失くした航空券のことで頭がいっぱいだったそうです。

結局航空券は見つかりませんでしたが、当日の余席があるとのことで搭乗することができました。窓の外を見ると、なんと、海を背景にした真ん丸い虹がかかっているではありませんか。聖書の中のノアの箱舟で有名な大洪水の後に出た虹を、神様は約束のしるしだと言いました。その丸い虹を見ながら、「自分も神様と約束したんだ」と、ぼんやり思ったそうです。

 

やがて、ご自分の聖書を買い求められ、その中の、ルカによる福音書1910節で、「人の子は失なわれた人を探して救うために来たのです」という御言葉を見つけ、その瞬間、北九州・門司の教会で聞いたカ丸牧師の言葉が思い出されたのです。確かに私は「失なわれた者」。私がキりストを選んだのではなく、キリストに、私が、探し出されたのです、と仰っています。

 

 

神様は、このようにして岩淵まことさんを救い出されました。だからこそ私たちは、「♪ 心に迫る 父の悲しみ・・・」と、心を注ぎ出して歌うことができます。なんと感謝なことでしょう。

 

(*)また、前出の関根一夫牧師が作詩、岩淵さんが作曲して、お二人で「1000曲の賛美歌」をご一緒に作る働きをしておられます。おなじみの「God Bless You」は、その中で作られた歌の一つです。これからもますます主に用いられるに違いありません。「1000曲の賛美歌」作りのためにも、お祈り致します。

 

MU

 

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2017.06.28 17:35 | その他

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