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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。

ヨハネの福音書11

皆様、こんにちは。TKです!最近、教会の兄弟姉妹とみことばを紙にしたためる、ということを始めました。私は、小さい頃から4年前にアメリカに来る直前まで、書道を習っていたので、「いざという時」(いつなのでしょう?)のために、習字道具を日本から持ってきていたのです。一回も使わない中月日が流れ、ふと、「みことばを書いて部屋に飾ろう!」と思いたちました。こんな突拍子もない私の考えに付き合ってくださった、兄弟姉妹に感謝です(*^^*)ちなみにこちらが作品です。

私の作品。力強め!
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几帳面できれいな字の姉妹の作品。
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他にも、色々と書いたのですが、ここまでにしておきます。一緒に書いた姉妹が「ふと見ると、みことばが目に入ってくるっていいね」とおっしゃていました。みことばに触れるということは大事なことです。聖書がみことばについて言っているのは。。。

マタイの福音書4章4節
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」
こちらは文語体ですが、姉妹が書かれました。
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確かに、私たち人間は食べ物があれば体は生きていけますが、みことばに触れない生活を続けると、霊的に死んでしまいます。私は生活の中で起こる色々なことに振り回され、みことばから離れてしまうことがあります。そんな時、聖書を開きみことばに触れる時間を割くと、霊的に満たされ、より集中できたり、時間を上手く使えたりできるのです。体は疲れていても、霊的な食糧が神様から与えられるのです。

なぜかというと。。。
へブル人への手紙4章12節
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

みことばは神様から与えられたものなので、もちろんそれは生きているんですね。そして、“心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます”。色々なことが起こる私たちの人生の中で、神様のことばを食べることによって、神様の知恵や恵みが与えられるのではないでしょうか。

私もこのブログを書きながら、みことばを私たちが毎日必要な食べ物として、もっと考えるようになりました。勉強や宿題を始める前に、神様に「よし!神様、私にみことばを食べさせてください!」と祈りながら、聖書を読みました。

私と兄弟姉妹は、毎月1回のペースでみことば習字をしていますので、参加したいという方々はぜひTKまで!道具は全部ありますので、よかったらどうぞ(^_-)-☆


(TK)

2018.02.22 04:28 | その他
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ブルガリアに住む老人、ドブリ・ドブレフ(Dobri Dobrev)さんをご存知でしょうか?
ドブリさんが生まれたのは100年以上前の1914年の夏。第2次世界大戦中の爆撃が原因で、以来耳が遠くなってしまいました。

ドブリさん、実は、世界中にファンがいます。それはドブリさんの行いに感動したり、心を動かされた人々です。彼は信仰心が篤く、貧しい暮らしの中でも誰よりも多くの献金を主に捧げ、主に栄光をお返している愛すべきキリスト者です。

ブリさんの住いはベイロボ(Baylovo)という村にあって、ベイロボの教会の隣の小さな部屋に住んでいます。その村は、ソフィアという街から東に約40キロ行ったところにあります。生活は年金でやり繰りして、部屋にはベッドとテーブルがあり、贅沢品などは何もありません。彼はブルガリア正教会の信徒で、神を愛し、今の静かな暮らしを好ましく思っている老人です。近くの親切な人が、ドブリさんにパンや食べ物を持ってきてくれたりもするそうです。

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そんなドブリさんは毎日ソフィアへ行って、大聖堂の前や街頭などで人々にコップを差出し、施しを受け取ります。コップに小銭を入れてくれた人に、ドブリさんは持っているパンを、「どうぞ一口ちぎって食べて下さい、神様からの贈り物ですから」と言うのです。たぶん、ドブリさんの温かい感謝の心から出た、ご自分のできる祝福の分かち合いなのでしょう。本当に優しい方です。

白髪と白く長い髭、そしてすり切れた古いコートを着て街角でコップを差し出す姿から、心無い人たちはドブリさんを物乞いだと言いますが、ドブリさんは自分を物乞とは思っていません。「施し」だと言います。しかし、どう見られようとも、ドブリさんは気にすることも無く、20年以上も続けています。

一方、ドブリさんを支持する人たちは、ドブリさんを「聖人」と呼んでいます。
ドブリさんが集めたお金は、財政難の教会を助けたり、修道院の再建に用いられたり、孤児院の公共料金として支払われたりと、ドブリさんの献金が生きたお金となって動いています。ドブリさんがした一番多額な献金は、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂へ3万5700レバ(約250万円)を捧げました。他にも、小さな修道院や教会も口々に2500~1万ユーロを献金してもらったと言っています。EU最貧国と言われるブルガリアの平均月収がドル換算で$500位なので、ドブリさんの献金額がどれ程かわかります。
ドブリさんがこれまでに受けた施しは何万ユーロ相当にもなりますが、ドブリさんはそれを自分のためではなく、すべて他者のために寄付しました。

善行を続けられたドブリ・ドブレフさん、その名「ドブリ」とは、ブルガリア語で「善」を意味する言葉だそうです。なんと素晴らしい意味深い名前を付けてもらったのでしょうか。人にも神にも「善」であった人「ドブリさん」、主に祝福された方。この世の富より、主が下さる富を最も大事にされた方。「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30:19)その御声に従った方。

ドブリさんの事を知ってから更に知りたいと思って調べると、出て来たものの8割程が2014年の記事でした。おそらくその頃に、ドブリさんが日本のメディアに紹介されたのかもしれません。ですのでここで紹介した写真や金額も当時のものと思って差し支えないと思います。
しかし、最後に見つけた一つの動画YouTubeは、2017年のものでした。そこで話されている言葉は、たぶんブルガリア語だと思いますが、ドブリさんが多くの信者や聖職者に囲まれて教会でお祝いの式典をしているところだと思われます。
ブルガリア語のタイトルを日本語翻訳機にかけると、「ドブリおじいちゃん(103歳)Kremikovtsi修道院で」と出てきました。
103歳のドブリさんは、もっと背中が丸くなっていて、弱くなっているようにも見えましたが、多くの人に愛されている事が感じ取れました。それは、ドブリさんが先に多くの人を愛したからなのかもしれません。イエス様のように。。。

            こちらがその動画です
            


(MU)

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2018.02.15 03:48 | その他
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聖書クラスで何度か賛美したこの聖歌。
聖書クラスでは伴奏が無いこともあり 「鶴田先生の低音の歌声と共に、ゆっくり、しっかり心に入って来る聖歌」 という思い出がありました。

つい先日の朝、この楽譜が目に入りその日の賛美はこの曲にしました。

初めて一人でゆ~っくり、歌詞の風景、状況、背景等を思い浮かべながら歌い始めたのですが、歌詞の通り、心が震えました。

私は、洗礼を受けて今年の6月で5年になります。
この間、常に自分のイエス様に対する知識、イエス様の愛、御父の思いに関する理解等、どれをとっても、何かが足りない、欠けていると分かっていました。
イエス様がこの世に来てくださった事、十字架の贖い、神のご計画等、全て「知識」としては知っていて理解していて、勿論、全てを信じているのですが、それがどれほど大きな事なのか?分かりきっていないのです。。。

ですので、その欠けを強く感じる時には 「イエス様の事、イエス様の愛についてもっと私が知ることができますように!」 と祈ります。すると主もそれにこたえてくださり、少しずつ、少しずつですが、イエス様の事や愛を知り、感じられるようになってきていると思います。
まさに!生きて働いておられる主に感謝です。

実は、その日の朝も同様の祈りを捧げた所、この賛美が目に入り、私の心と霊に訴えたのです。

「イエス様が十字架につくとき、あなたもそこにいたの?」
「イエス様を十字架につけるために手と足に釘が打たれた(刺し通された)時のその音を聞いたの?」
「イエス様の血が流れるのを見たの?」
「十字架上のイエス様が御父の御手に霊をゆだねられた時、全地が暗くなったのを気がついていたの?」
「イエス様を葬るために墓にいったの?」

この賛美は私にこの様に話しかけてきました。
同じ歌詞でも、その時の状況で一番に心に訴えることは違うと思いますが、その日の私は

「イエス様。はい。私もそこにいました。そしてイエス様を十字架にかけたのは私です・・・」
「イエス様。あなたが、十字架で死んでくださったのは知っていましたが、この様に痛い、惨い事を麻酔もなく、しかも大きな釘を打たれていらっしゃった事を、想像する事を忘れていました。鞭打ちに加え、釘、そして釘だけに体重がかかる・・・その一つ一つがどんなに厳しい贖いであったか・・・想像もしていませんでしたし、理解もしておりませんでした・・・」

と。2番目の歌詞からしばらく離れることができませんでした。

公生涯中、愛をもって自分の事、御父、天の御国の事等を教えてくださったイエス様を十字架にかけてしまった私・・・
そんな私をも救おうと、嘲りや痛み、苦しみに耐えてまでも罪の贖いをしてくださったイエス様。
それなのに、その部分さえも本気でイエス様の気持ちや痛みを知ろうとすることもなく 「イエス様♡、いつもありがとうございまーす!♪」 と軽く言い放っている私・・・。

イエス様の苦しみと愛に少し気付くことができ、私自身に何が欠けていたのか? 少し分かることができたような気がします。

まだまだまだまだ、まだまだまだまだ。。。イエス様の深い深い愛を完全に知り、理解し、感謝できてはいない私ですが、約1か月半後のイースターまで、この賛美と共に、イエス様の十字架としっかり向き合いたいと思いました。


「きみもそこにいたのか」

きみもそこにいたのか  主が十字架に付くとき
ああ何だか心が 震える  震える  震える
きみもそこにいたのか

きみも聞いていたのか 釘を打ち込む音を
ああ何だか心が 震える  震える  震える
きみも聞いていたのか

きみも眺めてたのか 血潮が流れるのを
ああ何だか心が 震える  震える  震える
きみも眺めてたのか

きみも気がついたのか 突然日がかげるのを
ああ何だか心が 震える 震える 震える
きみも気がついたのか

きみも墓に行ったのか 主をば葬るために
ああ何だか心が 震える  震える  震える
きみも墓に行ったのか
(聖歌 400番(新聖歌113番))


是非、歌詞と映像と共にご視聴ください。


(KS)
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2018.02.12 14:18 | その他
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皆さんこんにちは(*^^*) TKです。新しい年が始まり、もう1か月が経ちましたね!私はつい最近、ようやくですが学校生活へのエンジンがかかってきた気がします。(主に勉強に対して。。。)毎日、その日その日は神様に与えられていると自覚し、大切に過ごしていきたいですね。

さて、今日は「裁き」と「戒め」について考えてみませんか?

裁きについてみなさんがよく聞くのは、「人を裁いてはいけない」(ルカ6章37節)という部分ですね。そして皆さんが考えているのは、人を裁くというのは陰でその人の悪口を言うという事ではないでしょうか?私もそう考えていました。

気になったので、色々調べてみたところ、あるブログでは、裁くことと、戒めることは全く違うと書いてありました。引用を載せます。
「パウロは、『私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。』(Ⅰコリント5章3節)と語っています。ここでいうパウロがさばいたということは、聖書が戒めている『さばいてはならない』のさばきではなく、正しい姿に引き戻す、回復させる、ゆるしが約束されている悔い改めへと導くためのものです。パウロは教会に対して、『何をしてもいいよ、私はさばかないから』と罪を黙認したのではなく、むしろ愛によって『それは神の御心と福音に反する誤った行為であり、罪である』とペテロさえも 『さばいた』のです。」

続きは上のリンクから。
人を裁くことと、戒めることの違いについて、詳しく、わかりやすく書いてあります。
ぜひ読んでみてください!
このブログをすべて貼り付けたいところですが、盗作になってしまうのでやめておきます( `―´)ノ

しかし、本当の意味の「裁き」について、わかっていただけたでしょうか?パウロがしたように、愛によって、兄弟姉妹を戒めることにより罪を自覚させ、悔い改めと導くことが、本当の聖書的な「裁き」なのです。

またまた同じブログより。
「人をさばくことと、罪を戒めること (指摘すること) とは別のことです。人をさばいている時の人の心の根底には、その人を傷つけ、貶め、破壊することしか頭にありません。しかし罪過ちに対して戒めること、指摘してあげることの根底には、その人を悔い改めへと導き、建て上げ、回復させることが願いであり、目的となっています。そこには常にキリストの十字架とゆるしが存在しています。悔い改めに導くとは、その人を救う働きなのです。」

私はまだ、人を悔い改めへと導くような大それたことはしたことがありません。(むしろこれからもできるのかどうかもわかりません・・・!)しかし、このことを自分のことに適用するとしたら、私の6歳の甥に対する戒めです。彼が悪い事をした時、私は叔母という立場で、彼の行いを注意し、どうするべきなのか一緒に考えさせます。ですが、これはもちろん彼への愛と赦しを持って行っていることです。愛と赦しなしで注意したり、ただ単に叱ったりするのは、戒めではありません。

さて、皆さんは人を「裁き」「戒め」について今どう思われるでしょうか?私は、本当の意味を知った今、戒めることは聖書的愛の形だと思います。兄弟姉妹の罪について祈ることも大切なことです。しかし、それを戒めないで、そのままにしておくのは本当の神様の愛なのでしょうか?もちろん、戒める者も、愛と謙遜をもって行わなければなりません。皆さんが、戒めの中にある本当の愛とは何なのか、考えるきっかけになればと思います。



(TK)

2018.02.07 13:47 | その他

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日本人の死亡原因のトップを独走しているのは “がん” ですが、その新しい治療法として、今世界で最も注目されている「光免疫療法(ひかりめんえきりょうほ)」を今回は取り上げてみました。

 

光免疫療法がなぜ注目されているのか? それは、がん細胞だけを狙い撃ちし、短時間で破壊することができる点にあります。この治療法は体の他の部分を損傷すること無く、副作用も認められず、ターゲットとなるがん細胞のみを破壊し、また転移したがんをも治せる治療法です。現在がん闘病中の方々にとって光免疫療法は、救世主と言えそうです。

 

この光免疫療法は、米国国立がん研究所の小林久隆・主任研究員が中心となって開発した治療法で、小林氏は、がん細胞にだけくっ付く抗体に着目しました。

がんの表面にある抗原に対してくっ付く抗体は現在40数種類が判明しており、その中で最も多くのがん細胞にくっ付く抗体を選び、IR700を結合させたものが今回臨床試験で使う薬剤となります。IR700(色素の一種)は赤外線を当てると細胞の表面に傷をつける性質があります。その結合物質を静脈注射で体内に入れ近赤外線の光を照射するとIR700が細胞膜の表面に傷をつけます。すると細胞膜の機能が失われ、中に水が入り膨張し1~2分で破裂してしまいます。その様子を顕微鏡で見ると、近赤外線の当たったがん細胞だけが、風船がはじけるようにポンポンと破裂していく感じだそうです。

近赤外線の照射は、がんの部位に応じて体の外から照射することもあれば、内視鏡を使ってすることもあります。近赤外線はテレビのリモコンや果物の糖度測定などに使われる光です。可視光と違って人体をある程度深くまで透過しますが、全く無害だということです。

 

更に、がん細胞を破壊するだけではありません。破壊されたがん細胞からはいろいろながんの抗原(壊れたタンパク質)が一斉に露出し、それを近くにいる免疫細胞が食べてリンパ球に伝え、リンパ球は分裂してその抗原を持つ他の場所にあるがん(転移がん)を攻撃しに行きます。こうして免疫が活性化します。

 

実は、もう一つ移転がんに有効な方法があります。がん細胞を攻撃することを邪魔している免疫抑制細胞の中で主要な細胞である制御性T細胞を、免疫細胞が叩く方法です。

IR700を付けた抗体を制御性T細胞に結合させ、近赤外線を当てて壊します。するとがん細胞の近くにいる免疫細胞は邪魔者がいなくなるので直ちに行動に移り、数十分のうちに活性化してがん細胞を壊します。さらに血流に乗って全身を巡り、わずか数時間のうちに転移がんを攻撃し始めます。がん腫瘍内にいる免疫細胞はほとんどすべて、がん細胞のみを攻撃するように教育されていて、免疫の効きすぎが原因になる自己免疫疾患のような従来の免疫治療で起こる副作用は起きないので、安心で効果的な方法です。

 

 

さて、光免疫療法はまだ実用化されていませんが、アメリカでは現在どの辺まで進んでいるのかというと、臨床試験の最終段階に来ています。

1段階は“毒性・安全性”に対する臨床試験、第2段階は“治療の効果”に対する臨床試験、今年2018年からは、最終段階である既存の治療法との“比較検討”に進んでいます。

 

そして、ここにきて遂に、日本やシンガポール、ヨーロッパなどでも治験・治療の臨床試験を行うことになりました。

日本での臨床試験は今年3月から国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で始まり、対象は頭頸(とうけい)部がんの患者で実施されるということです。

そうなると、もしアメリカと足並みがそろった状況での治験ができるとすれば、臨床試験の人数を全部足せるため、第3段階の終了はうまく行けば今年いっぱいか或いは来年の途中ぐらいで終われるのではないか、と小林氏は予想しています。その後は承認のためのデータ整理をし承認申請する、という流れになります。

承認されるまでの期間は3カ月から半年、東京オリンピックまでには・・・という感じだそうです。

 

小林氏がこの治療法を開発する中で目指してきた大きなポイントの1つは、患者さんが恐れることなく受けられる治療にする事だったそうです。まさにそれが現実のものとなろうとしています。日帰りの外来治療、入院してもせいぜい1日で済みます。これまで臨床治験で治療を受けたある患者さんは、「この程度の体の負担で済む治療なら、是非またやってください」という人もいたそうです。

「がんはもう怖い病気じゃない」と言える日が、もうそこまで来ています。

 

 

イザヤ534-5

まことに彼はわれわれの病を負い、

われわれの悲しみをになった。

 

しかるに、われわれは思った、

彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

 

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、

われわれの不義のために砕かれたのだ。

 

彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、

その打たれた傷によって、われわれは癒されたのだ。 

  

(MU)

 

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2018.01.31 19:50 | その他

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