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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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感謝の心で生きる



「主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」(詩篇118:1)


今年も感謝祭の季節になりました。皆さんはいつも感謝の心でお過ごしですか? 感謝の心を持ち続けることは簡単ではありませんね。


昔、備前の富岡村に『ありがた与一兵衛』という人がいたそうです。朝起きると「おはよう」のかわりに、「ありがたい、ありがたい」と言います。何がそんなにありがたいのかというと、「朝起きて、家族の顔を見られてありがたい」のだと。またある時、小雨が降りだし急いで帰ろうと滑って転び、そこでもまた「ありがたい、ありがたい」と。転んで擦りむいて一体何がありがたいのかとたずねると、「自分の落ち度で骨折してもよさそうなところを、ただの擦り傷ですんだのがありがたい」・・・。


確かに、私たちは、感謝しようと思えば、どんな時にも感謝することは可能です。では、その秘訣はどこにあるのでしょうか。


水泳の練習中に、事故で首から下が付随になられた、ジョニー・エレクソン・タダという有名な伝道者がおられます。素晴らしい信仰の持ち主で、アメリカ全土だけでなく世界中で講演をしておられますが、彼女がこんなことを言っておられます。


「新しい事に気が付いてほしい。『弱い人』が、家庭や教会に必要だということを・・・。神様は自分自身に頼る人ではなく、自分の弱さを認め、神様に頼る人に力を与えて下さるから。だからこそ、私たちは弱さの中に誇りを持つことができる。神様を感じることもなく毎日を忙しく過ごしている人が、いちばん重度の障害を持っているのかも知れない。」


ジョニーさんは、目に見える障害だけが問題なのではなく、神様を必要だと感じないことこそが問題なのだと言っておられます。困難にぶつかった時、すぐにその意味を知りたい、答えを欲しい、と思うのが人間です。しかし神様は直ぐには答えを下さいません。ジョニーさん自身、自分の身に起こった出来事に、「神様、なぜですか?」という問いを繰り返したそうです。


しかし、彼女が長い祈りの葛藤の中で気付かされたことは、「私は答えを求めていたけれど、神様は既に、ご自身の命を私に与えて下さっている。だから、この神様がすべての答えなのだ」ということだったそうです。簡単に問題を解決したいと思う人間、簡単に答えを与えようとするこの世の宗教、しかし、そういうものはすべてまやかしであり、本当の答えも解決も与えてくれません。


しかし、「十字架で極限の苦しみと痛みを担って、私たちに火のような愛を与えて下さった方がいらっしゃる」、このキリストの愛こそが、どんな問題にも光を注ぐことができるのです。


ジョニーさんは毎朝、「感謝する心を与えて下さい。微笑みを与えて下さい」と神様にお願いし、一日を始められるそうです。人のお世話にならなければ自分の体を動かすことさえ出来なくても、感謝の言葉や、微笑みは与えることが出来るので、その感謝の心と微笑を与えて下さいと。そうすると感謝の心に満たされるそうです。


こんな大きなハンディを背負っている人が、今日も生かされていることを感謝し、毎朝、心からの感謝をもって一日を始められるとしたら、それは何と豊かな人生でしょうか。また、それを可能にさせて下さる神様という方は本当に素晴らしいです。


感謝は、神様に栄光をお返しし、感謝したことにより神様が喜ばれて、私たちの祈りに答えを与えて下さいます。ですから、私たちは、神様に感謝する生活をしなければなりません。神様に感謝する時、私たちの心は肯定的になり、また感謝する時、心が嬉しく、幸せな思いに浸ることができます。 


神様は、「すべての事に感謝しなさい」と言われました。良い時に感謝することは誰にもできることです。良い時にさえ感謝をしない人もたくさんいます。しかし、苦しくて、悲しくて、大変な状況の中にあっても、感謝をできるとすれば、それこそ聖霊に満たされたクリスチャンの姿ではないでしょうか。 


日本が生んだ偉大なキリスト教思想家・内村鑑三は、「いくら理解心が豊かで、熱心な行動をしたとしても、神様に向かって熱い感謝を捧げない人には、命のある信仰生活はない」と言いました。また、アイジャック・ワットンは、「神様には二つの居場所がある。一つは天国であり、一つは神様を愛し、感謝をする人の心の中である」と言いましたが、 まさにその通りだと思います。


今日の一言:いつも感謝の心で生きよう


鶴田健次


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2020.11.25 17:36 | 鶴田健次牧師より

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本当の生きがい

 

 心の中にぽっかりと穴があいているような虚しさ・・・・、これは誰もが感じたことのあるものではないでしょうか。どんなに豊かな生活をしていても、あるいはどれだけ能力があって、自分のしたい事をできていても、それだけでは満足できない・・・、それが人間というものではないでしょうか。

 いかなる動物も"生きがい"を求めて悩んだりはしません。人間だけが、生きがいを求め、生きる目的や意味を考えるのです。なぜでしょうか? パスカルは、「人は誰でも、神によってでしか埋めることのできない心の真空状態を持っている」と言いました。つまり、神との愛の関係を持つように造られた人間は、その関係を持つまでは心が満たされることがないのです。

 

 今から3000年ほど前、栄華を極めたイスラエル王国のソロモン王は、すべてのものを手に入れた後にこう言いました。

 

 「そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。」(伝道の書2:11

 

 これは、富と権力を欲しいままにし、知恵ある者としての名声を博したソロモンの言葉です。人類史上、最大の富と権力と最高の知恵が与えられた王様が、自分の実体験から、人が求めているこの世のものは結局は何一つ益となるものはないと言っているのです。

 

 しかし、それでも人は必要以上に富と権力と名声を求め、人を軽んじる自己中心の心が競争社会を生み出し、人の心から"生きがい"を奪い取っているようにも感じられます。

 

 では、"生きがい"とは一体どこにあるのでしょうか? その一つのヒントが私たちの日常生活の中にあります。私たちは誰かの役に立っていると感じた時に他の事では得られない満足を覚えるものです。たとえそのために自分の何かを犠牲にしなければならなかったとしても、誰かの役に立ったことで私たちの心は喜ぶのです。

 

 つまり私たちの心の中には、自分が損をしても他の人が得をすることが嬉しいという心根があり、そこに私たちはある種の"生きがい"を見出すのです。また反対に、自分が得することばかりを追い求めていくならば、たとえいろいろなものを手に入れても、心の中の喜びを失い、本当の友だちや本当に大切なものを失うことになります。聖書にこんな言葉があります。

 

 「施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。」(箴言11:24

 

 「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。」(ルカ6:38

 

 見返りを求めないで与え、他者のために生きる時、かえって自分が豊かに生きる力が与えられ、私たちの心は満たされるのです。ところが、いくら見返りを求めないとはいえ、与えても与えても、なお裏切られることがあるものです。そんな時、がっかりして、他者のために生きることを止めてしまうと、いよいよ心は貧しくなってしまいます。

 

 そこで私たちが知らなければならないことは、私たちの心を豊かにする「他者のために生きる」という人生において、本当の「他者」とは誰なのかということです。それは決して私たちを裏切ることのない「神様」であり、この方ために生きる時、私たちの心は本当の”生きがい”を覚え、また生きる力が与えられるのです。

 

 「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(第一コリント10:31

 

 

今日の一言: 神様のため、人のために生きよう。

 

 

鶴田健次


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2020.10.16 23:21 | 鶴田健次牧師より

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自分らしい生き方

 

 あなたは今の自分に満足しておられますか? もしかしたら、自分はこのままではいけない、もっと自分らしく生きたいと思っておられるかも知れませんね。では、あなたにとって自分らしい生き方とはどんな生き方ですか? 私たちは自分らしく生きたいと願いながら、実際にはどこに自分らしさがあるかを知らないことがほとんどです。

 

 では、なぜ私たちは自分らしさがどこにあるかを知らないのでしょうか? それは、私たちが人の目や人の評価を気にして、いつの間にか自分がどう思うかよりも、人が自分をどう見るか、人が自分に何を期待しているか、ということに応えながら生きるようになってしまったからではないでしょうか。しかし、そういう生き方は、自分の満足感・充足感を人任せにした不安定な生き方であり、決して自分らしい生き方ではありません。

 実際、人の目や人の評価を気にしながら生きている人は、人から評価されている間はそれなりに満足できても、人からの評価を得られなくなると生きていく気力さえ失せてしまうのです。それに対し、たとえ人の評価を得られなくても、これで本当に良かったと心から思えるなら、それこそが自分らしい生き方ではないでしょうか。

 ただ、注意すべきことは、自分らしい生き方というのは、自分の好きなように生きることとは違うということです。やはり人生の普遍的な意味と目的をしっかり捉え、自分というものを正しく知り、また自分に与えられている賜物を見出して、自分が最も輝いて生きる生き方、それが”自分らしい生き方”だと言えます。その意味で、私たちはまず自分自身を正しく知ることが必要なのです。

 

 自分を知るための一つの方法は、自分史を書いてみることです。自分が生まれてから現在に至る自分の歴史です。特に、両親をはじめ、自分に深く係わってくれた人との関係 その人たちが言葉と態度で自分に投げ掛けたメッセージなど、自分の生き方、考え方の原点がどこにあるかを思い出す限り書いてみるのです。それによって、今まで気付かなかった自分に気付くことがよくあります。

 

 例えば、ある状況になるといつも腹を立てたり、パニックに陥ったりするのは、決して過去の経験と無縁ではなく、目の前の出来事が、過去に自分を苦しめ、悲しませ、傷つけた出来事とリンクし、その時の悲しみや怒りがよみがえって、そのために冷静に考えられなくなったためであるということがよくあることなのです。
                                                                     こうして自分を新しく発見することができれば、次に大切なことは、自分の現実の姿をそのまま認め受け取るということです。それは、問題や課題を持った自分を、だから自分はダメなのだと否定したり責めたりするのではなく、また自分にそういう問題を持つに至らせた相手を責めたり恨んだりするのでもなく、自分の課題を客観的に知ることで、自分に本当に必要なものを得ることができるようになるためです。

 自分を知ることでもう一つ大切なことは、自分がするべきことと他の人がするべきことの責任範囲を知ることです。『共依存』という言葉があります。たとえば自立できない夫がアルコール依存症になり、そのことで様々なトラブルを招き、その都度、妻がその後始末をした場合、夫は自分のしたことの責任を負わなくて済む状態になり、結果的に妻が夫の依存を助長し、自立を妨げてしまいます。妻は妻で、本来、夫が負うべき責任まで自分が負うので、さらに悩み苦しみます。自分の範囲を超えて相手の負うべき責任まで自分で負うとすれば、相手のためにならないばかりか、自分が本来すべきことまでもできなくなるという悪循環に陥ります。これを共依存の関係と言います。

 

 私たちも時どき自分の手に負えないことをしたり、相手がすべきことを自分がしたりして、空回りの人生、またいつまでも改善されない人生を生きていることがないでしょうか。聖書の中にこんな言葉があります。

 

 「だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」(第一ペテロ567

 

 私たちを造られた神は、私たちを造り変えることがおできになります。私たちが自分の限界を認めるなら、それを解決できる方に委ねてみようという思いになることができます。本当の自分を受け取り、自分の限界を正しく知って、全知全能の神に生涯を委ねて生きていくなら、人の評価に振り回されない自分らしい人生が、あなたの前に実現していくのです。

 

 

今日の一言: 自分らしい人生を生きよう

 

 

鶴田健次

 

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2020.10.09 17:08 | 鶴田健次牧師より

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それでも地球は動いている


イタリアの物理学者ガリレオ・ガリレイは、コペルニクスのたてた地動説を実証したことで、宗教裁判にかけられました。この時代、教会の権力は絶大で、教会組織の腐敗を批判する者やカトリックの教えに反する言動を行った者は“異端者”として火あぶりにされました。


そのような状況下で望遠鏡が発明され、ガリレオは天体望遠鏡を自分で作り、人類で初めて宇宙を望遠鏡で観測しました。そして木星に複数の衛星があること、天の川が星の集団であること、月にはクレーターがあることなどを発見しました。


木星の周囲を月が回っているのを見たガリレオは、天動説への疑念を深める一方、金星の観測を通して地動説の正しさに確信しその説を唱えます。その結果、52歳で異端審問所審査にかけられ、「地動説について口頭でも文書でも議論してはならない」とローマ教皇庁から命令を受けました。そんな中で、「地動説は真理ではない」と宣誓書を書かされた際に、「それでも地球は動いている」と呟いたと言われています。


 それから16年後、ガリレオは『天文対話』という書物を書いて出版します。この書物は、三人の登場人物が地動説と天動説の違いなどについて話し合う、一般の人々にも読みやすいストーリーで書かれています。


 ガリレオは、登場人物の一人にこのようなセリフを語らせています。

「他の人の話を一方的に信じてしまって、なぜ君は自分で観察しなかったのですか?なぜ自分自身の目で見なかったのですか?」


 ガリレオは、この書物を通して、自分の目で物を見て、自分の頭で考えることの大切さを人々に伝えたかったのでしょう。たとえ、どんなに立派な望遠鏡があっても、真実を知ろうとする心がなければ、それはただのレンズと筒に過ぎません。


しかし、この書物のせいでガリレオは再び異端審問所に呼ばれ、翌年に「終身禁固刑」が言い渡されます。後に監視付きの軟禁に減刑されたものの、死ぬまで謹慎は続きました。著作の発行が禁じられ、最愛の長女が病気で亡くなり、彼自身、両眼を失明するという試練が続きますが、地動説という真理への情熱は消えず、コペルニクスを支持する『新科学対話』を口頭筆記で書かせ、原稿を軟禁中の家からプロテスタントの国・オランダの出版業者に密輸し刊行に漕ぎ着けました。


その後、ガリレオは77歳でこの世を去りますが、罪人として死後100年間も墓を作ることが許されず、ヴァチカンが有罪判決を誤りと認め破門を解いたのは、実に死後350年も経った1992年のことでした。


 世間で「常識」とされるものに異論を唱えるのは、狂人扱いされるリスクに対する覚悟が要ります。中世の時代においては火刑に処される可能性もありました。それにも拘わらず信念を曲げなかったガリレオに心からの敬意を表したいと思います。


 おそらく、ガリレオを有罪とした人たちの中には、ガリレオの主張が神と聖書への冒涜だと、心からそう信じていた人たちがいたのだと思います。ところが、今こうして解ることは、その純粋さや熱心さが、時に大きな誤りを生み出すことがあり得るということです。


 信仰の確信も、とても重要です。信じるものがあやふやであれば信仰生活は成り立たちません。しかし、同時に信仰者は、「人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」という聖書のことばを忘れてはなりません。でなければ、人は、つい神の如くに、自分がすべての真理を握っているかのように他人をさばいてしまうからです。


 信仰者は、確信を持ちつつもなお、神は、私の確信よりも遥かに大きい方であるということを忘れずに、自由な心で軽やかに生活したいものです。


「人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」(伝道の書3:11)

今日の一言:重要な事柄は鵜呑みにせずに自分で検証しよう



鶴田健次


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2020.10.03 02:00 | 鶴田健次牧師より

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ワクチンは安全か?(その1)



 WHOをはじめ、世界各国の医療機関の多くは、ワクチンを安全で効果的な予防医療として推奨しています。しかし、果たしてワクチンは本当に安全で信頼できる医療行為なのでしょうか。他の大切な事柄と同様、私たちはもっと自分自身でワクチンについて調べてみる必要があるように思います。


 そもそもワクチンとは、感染症を防ぐため、各種伝染病の病原菌から作ったものです。それらを接種することによって、あらかじめ体内に抗体を作っておき、感染症にかかりにくくするという仕組みです。


 予防接種の起源は、紀元前200年頃の古代中国にあると言われてます。現代のワクチンにつながる歴史としては、1718年、在イスタンブール・イギリス大使の妻メアリー・モンターギュ夫人が、トルコ人のある習慣を知ったことが始まりで、なんとトルコでは、当時すでに天然痘の予防をしていたのです。


その方法は、症状の軽い天然痘から採取した液体を接種するというものでした。モンターギュ夫人は、若い時に天然痘で死にかけた経験があり、子供が天然痘にかかることを恐れた夫人は大使館の侍医に依頼してトルコ式の予防接種を子供に施したのです。そして、夫人の侍医が1724年に英国王立協会に予防接種の科学的説明を提言すると、たちまちイギリスとフランスで予防接種が採用されるようになりました。


 その後1796年、イギリス人医師・エドワード・ジェンナーが天然痘ワクチン(種痘)を完成させ、さらに、フランスの細菌学者ルイ・パスツールが病原体の培養を通じてこれを弱毒化すれば、その接種によって免疫が作られると理論的裏付けを与え、応用の道を開きました。


 それ以来、19世紀までヨーロッパを中心に徐々に普及し始めたワクチンは、20世紀に入るとWHOをはじめとする各国の医療機関の大々的なキャンペーンにより世界中に広まりました。


ワクチンの危険性について


 初期の予防接種の成功以来、さまざまな伝染病に有効とされ、世界中に広まったワクチンですが、調べていくうちに、実はその裏側では、多数のワクチン禍が起きていることが分かりました。


 WHOは、世界での伝染病撲滅というスローガンを掲げ、莫大な予算を投入し、さまざまなワクチンを世界中で普及させようとしていますから、多くの人にとって、ワクチンは病気の予防になる安全なものだというのが常識です。しかし、ここでは一旦その常識を白紙に戻して、これまで公には語られることのなかったワクチンの危険性について見ていきたいと思います。


 私たちにとって、もっとも身近なワクチンのひとつにインフルエンザワクチンがあります。毎年冬になると大勢の人がインフルエンザに感染することから、多くの人に広く接種されています。しかし、インフルエンザワクチンは過去に予防効果がないという理由で定期予防接種から外されたワクチンであることをご存じでしょうか。毎年約3000万人に接種し続け、効果がなかったので中止せざるを得なかったのです。


科学的な検証がないままに1948年から1994年までの46年間にわたり実施されていましたが、全く有効性がないことが判明し、以後全国的なボイコット運動により中止されました。日本は世界で唯一、公的にインフルエンザワクチンが無効であることを証明した国です。


1980年から1986年にかけて、前橋医師会は、児童のワクチン接種率が90%以上の高崎市と接種率がほぼ0%の前橋市とでインフルエンザの罹患率を調査し、ほぼ変わらないことを証明しました。


その後、全国的にインフルエンザワクチンへの反対運動が高まり、1994年の予防接種法の改正で定期予防接種から外されました。しかし、今なおCDC(米・疾病管理センター)の過去の有効とされないデータをもとに、インフルエンザワクチンの有効性をメディアを通じて声高に呼びかけているのは信じがたい話です。


 1990年代以降、鳥インフルエンザ、豚インフルエンザといった新型インフルエンザのニュースが大々的に出回り、多くの人々が不安になっていますが、真相はどうなのでしょうか。過去に世界で大流行したインフルエンザについて調べた結果、そこでもワクチンが大いに関係していることが判明しました。


 これまで知られている中で最も多くの死亡者を出したインフルエンザは、1918~19年に大流行したスペイン風邪です。スペイン風邪といっても実際の発生源はアメリカです。当時、各国は第一次大戦中でその流行を報じませんでした。そこで、当時中立国であったスペインが、その大流行の存在を報じたため、「スペイン風邪」と呼ばれるようになりました。その犠牲者は、世界で4000万人から5000万人と推定され、日本国内でも約40~50万人もの死亡者が出たと言われています。


 驚くべきことに、このスペイン風邪も、実はワクチンが原因だったのです。テレビや新聞のニュースでは一切報道されませんが、最近になってその原因の科学的な究明が進んでいます。その結果、判明したのは、米軍内で接種されてきた腸チフスワクチンが体内で変異を起こして強力なパラチフス菌になり、それがインフルエンザの正体であることが判ったのです。そして、それが米軍内から発生していることを隠蔽するために今でもスペイン風邪と呼び続けています。このとき、インフルエンザにかかったのは、ほとんどがこのワクチンを接種された人達でした。


 そして、最近話題になった豚インフルエンザですが、これは今から40年以上も前の1976年、同様に米軍基地内で突然発生しており、このときラムズフェルト国防長官が豚インフルエンザ・ワクチンを法的に全国民に強制接種しようと動きました。 政府は、テレビや新聞を通じて、国民にワクチン接種を受けるよう大々的な宣伝活動を展開し、その結果、指示に従った4600万人が接種を受けました。しかし、4000人が神経麻痺などの深刻な健康被害に見舞われ、50人を超える死者が出たため、ワクチン接種は中止になりました。

                                      

 しかし実際には、政府がテレビや新聞で警告する大流行は現実には起きていませんでした。事実は、豚用に製造されたインフルエンザ・ワクチンによって豚が死んでしまうのを知った養豚業者が接種を拒否したため、ワクチンが大量に余ってしまい、それを人間に流用したにすぎないのです。政府と製薬会社は、そのワクチンが何の効果もないどころか危険でさえあることを知りながら、利益のために大々的にキャンペーンを行い国民に消費させたのです。この信じられない事実は、元FDA(連邦食品医薬品局)のワクチン管理部長であり、ウイルス研究部長でもあるアンソニー・モリス博士の良心的な内部告発によって明らかになりました。この証言の直後、博士はFDAから辞職させられました。


 このように一見、私たちには自然界から突然偶発的に発生しているようかのように見えるインフルエンザも、実は、その後につながるワクチン接種の大量消費による利益を目的として作り上げられているという事実があるのです。


 ワクチンには、さらに多くの人が知らない裏事情があります。本来、ワクチンは私たちの健康を守ったり、子供たちの命を守る目的で使用されてきました。しかし、それは開発当初の昔の話です。近代においては、まったく正反対の結果をもたらすことの方が多くなっています。これらが意図的なものか、それとも医療ミスによるものかは次回に述べますが、それらが起きていることは事実です。


 「ワクチンが、世界中に蔓延していた伝染病を終息させた」と医療関係者を含め多くの人々は信じていますが、その根拠はありません。なぜなら、20世紀以前に猛威をふるっていた天然痘、はしかなどの伝染病の多くは、住環境や衛生環境の向上によって一掃されたとする統計が出ているからです。ワクチン接種が世界的に実施される前に、その大流行はすでに終息していたのです。むしろ、天然痘、ジフテリア、はしかなどについては、ワクチンが感染を復活させ、拡大させたとする統計が出ています。


 例えば、1950年代以降、アメリカにおいて根絶しつつあった小児麻痺は、ポリオワクチンによって、再び症例が増加しました。米・疾病管理センター(CDC)も近年になって、生ワクチンが小児麻痺の最も有力な原因になっていることを認めています。CDCの統計によると、1973年からの10年間の小児麻痺の全症例の87%はワクチンが原因でした。


 他に、ワクチンによる薬害の例として、1980年代後半から急速に増えた自閉症があります。自閉症は、原因不明の病気ですが、さまざまなワクチンに水銀系保存料(チメロサール)が添加される以前は非常に珍しい病気でした。実際多くのワクチンには、乳児にとって許容量の400倍を超える水銀が保存料として入っています。そして、水銀が人体、特に脳に非常に重大な損傷をもたらすことは、水俣病の例にもあるように科学的な事実です。


このように枚挙にいとまのないワクチンの危険性ですが、一部の医療関係者の間では100年以上も前から知られていました。


 1876年、ジェームズ・ウィルキンソン博士は、「ワクチン接種は、まさに狂気の沙汰と言うしかない。これは、純粋な殺人である」と断言しています。


 また1899年には、アルフレッド・ワレス教授は、その著書『素晴らしい世紀』の中で、「ワクチンに効果があるというのは、幻想だ。それを法的に強制することは犯罪である」と述べています。


1920 年に発行されたチャズ・ M ・ヒギンズ著の『ワクチンの恐怖』の中で、ニューヨーク市民の死亡診断書を15年間にわたり入念に調査し、天然痘の死亡者数よりも、天然痘ワクチン接種による死亡者数の方が毎年桁違いに多いことを発見し、ワクチン接種の法的強制を直ちに廃止するよう政府に呼びかけました。


また、このような統計を当時の医療関係者がすべてよく知ったうえで、意図的に隠蔽し、一般市民に知らせないままワクチンの接種を続けている事実を非難しました。


それは、現在でもまったく同じ状況なのです。



今日の一言:世の中には多くの人が信じている危険な偽りがある



鶴田健次


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2020.09.26 00:45 | 鶴田健次牧師より

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