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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

牧師室より#343「あなたの価値はどれくらい?」_convert_20170715045043 


今日は、"人間の価値"について考えてみました。


あなたは、ご自分の価値をどれ位だと思いますか? あなたの財産のことではありません。あなたご自身の価値のことです。あなたの持ち物とあなた自身の人間としての価値を混同しないで下さい。あなたは金持ちかも知れないし貧乏かも知れません。しかし、あなたの人間としての価値はそれとは何の関係もないのです。


では何が人の価値を決定するのでしょうか? 

物の価値は二つのものによって決定されると言えます。


1.その価値は、そのために人がどれだけのものを支払いたいと思うかによって決まります。


あなたの家はいくらの価値がありますか。それはあなたが思うほどではないかも知れません。あなたの家の価値は、人がいくら払うかで決まるのであって、それ以上のものではないのです。


では、記念切手の価値はどうでしょう? ある人には何の価値もありませんが、人によっては、それは非常に価値のあるものです。収集家は、ある切手に100万ドルを払うこともあるのです。一枚の絵はいくらの価値があるでしょう? それは人がその絵にいくら払うかによって決まるのです。


2.その価値は、それを誰が持っていたかによって決まります。


しばしば、物の価値は、それを誰が所有していたかによって大きく違ってきます。たとえば、エルビス・プレスリーが所有していた車なら、あなたが所有していた同じモデルの車より価値があるでしょう。あるいは、ジョン・レノンが持っていたギターであれば、あなたが持っていた同じモデルのギターより遥かに高い値段で売れる筈です。マイケル・ジョーダンの使い古しのバスケット・シューズがオークションで7000ドルで落札されたそうです。


この二つをもとに考えると、あなたの価値はどれ位でしょう? 

自分自身に問うてみて下さい。

 

「私は誰のものか?」

「私のために何が支払われたのか?」 

 

聖書は、「あなたはキリストの命という代価をもって買い取られたのだから、あなたはキリストのものだ」と教えています。つまり、あなたの価値は神の子キリストの命に匹敵するということです。あなたは、そんなに価値のある人なのです。


また、こう自分に問いかけてみて下さい。「私は誰のもの?」 聖書は、あなたは神のものだと教えています。神は、尊い独り子キリストの命と引き換えに、永遠に死ぬべき定めにあったあなたを買い取り、永遠に生きる者として下さったのです。だから、あなたは神のものなのです。

 

キリストの十字架は、あなたの価値がどんなに大きなものであるかを物語るものです。神の子キリストは無価値な者のために死んだりはなさいません。あなたが測り知れない価値のある人なので、キリストはご自分の命を犠牲にされたのです。あなたの価値を、これ程までに高く評価した人がいますか? 神の目には、あなたはこんなにも尊いのです。


今日の一言: あなたは神の目に尊い



鶴田牧師


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2017.07.15 04:53 | 鶴田健次牧師より

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今日は、『敵への愛』ということを考えてみました。


自分の子供にはたっぷりの愛情を注ぐけれど、他人の子供にはそうすることを惜しむお母さんがいます。なぜなら、その愛は注げば注ぐほど減るからです。だから他人の子供には使えないのです。しかし、本当の愛は使えば使うほど、その人の中で育って増えていくものです。


たとえば素敵な人が現れたら、自分はその人を愛することができる、と考えている人がいます。それはちょうど素晴らしいピアノが目の前にあれば、自分は上手に弾けるのにと言うのと同じです。立派なコンピュータを手にしたら自分は上手な文章が書ける、と言うのと同じです。


一度もピアノの練習をしたことがない人が、どうして上手に弾けるでしょうか。毎日練習をしていればこそ、上手に弾けるのです。だから、いつでも、この人は肌が合わない。この人は苦手だ。この人には関心がない。そう思っている人は、愛が育つことはないのです。


むしろ肌の合わない人、苦手な人、平凡な人、つまらない人と思う人を、自分にとって意味のある人、大切な人、愛すべき人としていくときに、その人の心に愛が育っていくのです。なぜなら本物の愛は感情ではなく、意志的なものだからです。


イエス・キリストは、愛は愛でも、自分を愛してくれる者以外には、妬みや、恨み、無視、反感、意地悪となって現れる愛があることを、敵を愛する愛で教えようとされました。そして、そこに留まる限り、人はイエス様が語られる愛に出会うことはないのです。


皆さんは、キムデジュン(金大中)という方を覚えておられるでしょうか。1970年代から80年代にかけて何回も投獄され、裁判では繰り返し死刑判決を受けながら、その後、韓国の大統領になられた方です。


この方が獄中から家族や友人に出した手紙が「金大中獄中書簡」という書名で出版されています。その中に、三男の金弘傑(キムホンゴル)氏に当てた手紙があります。その一部をご紹介します。


「愛するホンゴルよ。お父さんは誰も恨まず、誰も憎まない。お父さんがこうした心の変化を得るようになったのは、以前の3年間の獄中生活の時、神の教えについてたくさんの本を読み、イエス様の言葉と行動を思い、自分のこととして受け入れる中で、わたしが本当にイエス様の弟子になろうとするなら、この道しかないとハッキリ思い知ったからだ。


そればかりか、お父さんは自分のこれまで犯してきた罪と過ち、そして、人知れず抱いた邪悪な思いを知っている。そうした私の罪をスクリーンに映し出すように、主の前でひとつひとつ挙げていく時、果たして私が誰を裁き、誰を断罪することができるのかと痛切に感じるのである。


私たちは自分が罪人であるがゆえに、他者を、敵さえも赦さなければならない。赦しは神の前にあって最も強い愛だけがなし得る。赦しはあらゆる人々との平和と和解の道だ。それだから、赦しは喜ぴの心をもってしなければならない。私たちはイエス様が十字架で釘打たれながら、ご自身を処刑した人々をお赦しになったことを無駄にしてはならない。


一生の間、他者を理解し、赦し、愛する生活をしようと努力するなら、必ずやお前の将来は、物質的あるいは杜会的地位や名声がどうであっても、決して悔いのない平和と喜びの生涯を送ることができると確信する。お父さんはこうしたことに気づくのが、あまりにも遅かったと残念に思っている。」


いかがでしょう。イエス様が「敵を愛しなさい」と言われる時、それは敵のためではありませんでした。それは憎しみに囚われ、人生を間違えてしまう自分のためでした。


イエス様が金持ちに「施しなさい」と言われる時も、それは貧しい人たちのためではありませんでした。金持ちが金銭に囚われ、人生を大切でもないもので一杯にしないようにするためだったのです。



今日の一言:敵を愛することは自分のため



鶴田健次



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2017.07.08 04:09 | 鶴田健次牧師より

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今日は、'試練は本物の人生を見出すための機会'ということを考えてみました。



『病床は人間最大の学校である』という言葉を聞いたことがあります。また、『寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る』とは、アメリカの詩人ホイットマンの言葉です。


辛い病床生活の背後に神様の摂理があるということは確かですが、だからと言って、その状況を受け入れるというのは簡単ではありません。重い病気にかかったりすると、人生が暗いものに思われてきて、何かにつけ悲観的になりやすいものです。


人間は、元気で調子がいい時には、何でも自分の力で出来るような気がするものですが、病気になると、別人のように弱気になってしまいます。それが人間の正直な姿だと思います。

ところが、絶望と逆境と孤独の中でこそ、人生の真実を見出すことが出来るというのもまた事実です。それは、私たちの困難の中に神様がおられるからです。


イ・チソンという方がいらっしゃいます。17年ほど前、彼女は女子大生でした。きれいで笑顔の絶えない、子供好きな彼女は、将来は子供に関わる仕事をすることが夢でした。


ある日のこと、学校が遅くなった彼女は、妹思いのお兄さんに車で迎えに来てもらうことにしました。ところが、その帰り道、二人が乗った車は酔っ払い運転の車に追突され、チソンさんは体中に大火傷を負うことになります。


病院にかつぎ込まれ、手術を受けた彼女は、火傷の中でも一番重い第三度の火傷、つまり内部の組織が破壊され皮膚が黒く焦げる状態、その第三度の火傷が体の55%に及んでいました。医者は一週間の命と診断しましたが、チソンさんは奇跡的に一命を取り留めます。


しかし、指先は焼けただれてしまい、親指を除く8本の指が切断されてしまいます。落胆に泣き叫ぶチソンさんに、医者は、「言いにくいが顔の火傷はもっと深刻だ」と伝えます。誰もが彼女の人生は終わりだと言いました。彼女も、「神様、私を長生きさせないでください」と泣きながら祈りました。


退院が許されても、毎日が苦しみと悲しみの連続でした。外出をする時も、小さな子供たちに心ない言葉を投げかけられ、涙を流すこともありました。子供が大好きで、子供のカウンセラーになることを夢見ていた彼女にとって、それはとても残酷な現実でした。


しかしある時、神様は牧師を通して彼女にこう語り掛けられたのです。「チソン、私がお前をこの世界の真ん中に立たせてあげよう。苦しみ病んだ者たちへの希望のメッセージにしてあげよう」。彼女は、その言葉を信じ、神様に感謝できることを数えることにしました。


顔は焼けただれたけれども、目には異常がなかったこと、切断するのは指先だけで、腕や足は大丈夫だったことなどを感謝しました。すると彼女は、「神様は、この体に奇跡を見せて、愛をお示しになる理由があるはずだ」という考えに満たされ、思わず神様を讃える賛美歌が口から出てきました。


そして事故から5年後の秋、チソンさんはリハビリテーション・カウンセリングを勉強するために、ボストン大学の大学院に入学しました。リハビリテーション・カウンセリングとは、障害者となった人たちの心を癒すことを目的とするものです。


彼女は、火傷で自分の顔が変わり果てた時の思いがどんなものかを理解できます。人から興味本位で見られることの辛さも分かります。その心の傷をイエス・キリストの十字架の苦しみによって癒されるという経験を彼女はしました。ですから今度は、彼女自身が、心の痛みに耐えている人を理解し、受け入れ、その癒しの手助けをするようになったのです。


人生のほとんどの試練は、本物の人生を見出すための良い機会だというのが聖書の考えです。多くの場合、試練というのは、自分が望まないものです。しかし裏を返せば、神様の完璧な計画を見出すチャンスがそこにあるということです。



今日の一言:試練は本物の人生を見出すための機会



鶴田健次


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2017.06.30 21:58 | 鶴田健次牧師より

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