
今回は、LVJCCユースのマイケル モーランド兄のお証です。幼いときから、教会に通い、晴れて洗礼の恵みに与るまでの歩み、そして将来の夢について、書いてもらいました。 とても新鮮なお証を、どうぞお楽しみください。
洗礼を受ける前の僕はどうだったのかなっと聞かれると、答えは、一言で、ワイルド!毎日、遊びに夢中になり、横っ腹が痛くなるまで走ってた。宿題も、帰ってすぐにはやらなかった。勉強も大してしてなかったのに、成績は良かった。でも、すべてが変わった出来事がある。それは、僕のおばあちゃんが教会に始めて僕とおねえちゃんを連れて来てくれた時のことだ。(少なくとも、覚えている限りでは)
教会に通うようになり、教会で聞く福音に心から耳を傾けだしたころに、少しずつ、落ち着きが出てきて、ビデオゲームや遊びに夢中になっている自分から、学校のことにもっとフォーカスするようになった自分に変えられていった。
“教会???” これが、初めて教会に向かうときに思った率直な思い。”教会”なんて、きっとまた、詰まんないとこだよ、と思っていた。僕は、小さいとき、教会ってところは、学校みたいに、退屈で詰まんないところだとばっかり思っていた。誤解のないように、僕は、学校で学ぶのは好きだけど、僕のクラスは、進みが遅いから、いつもつまらない。
初めて教会の門をくぐったときのことを微かにおぼえているのは、外国語で挨拶をされたこと。
”この人たちは、何を言っているのかなぁ?“と頭の中で何度も自分に問いかけていた。その日は、一日、この不思議な言語を聞き続けた。正直言って、とてもぎこちない感じがした。知らない人ばかりで、しかも、何を言っているのかがわからなかった。
それなのに、不思議と、そこにいることが幸せだと感じた。そう!ハッピーだった。何を言われているのかさっぱり見当も付かなかったけど、幸せだった。その日は、一日、風のように流れていった。もうひとつだけ、覚えていることといえば、初対面なのにとても親切な人たちに囲まれて、温かみを感じるところにいたということ。その日に、ひとつ、いや、ひとつだけ頭の中で、鳴り響いていたことが、”また,ここに、戻って来たい。“ということ。またここに戻ってきて、新しい人に会い、幸せを感じ続けたい。と思った。
時間が経つにつれて、このすばらしい神様についてもっともっと学ぶようになった。神の御言葉を学ぶだけではなく、周りの人たちは、洗礼の話しもしていた。
2010年3月23日が、洗礼という言葉を耳にした日だと思う。”今日、僕は洗礼を受ける。数週間前までは、洗礼とは、想像の中だけに存在するものだったが、今、自分が洗礼を受けようとしている。夢の中だけだったはずの洗礼が実現する。“
先生の問いに”Yes“と答えた後、水が、頭を滴り、地面に落ちていった。多くの拍手が聞こえ、”おめでとうございます!コングラッチュレーション、マイキー“という声が聞こえた。これが、僕が洗礼を受けた日だ。洗礼を受けたことが、古い自分と新しい自分の、紛れもない大きな違いだ。
古き自分は、消え去った、そして、その体の中に、新しい自分が入っている。二人は、まったく違う人たち。そのひとつをあげれば、新しい自分は、ひげが生えている。体の違いだけじゃなく、品性や霊的な面も見てみると、古い自分は、ワイルドで、やんちゃなところがあったけど、新しい自分は、すこしだけ、おだやかになり、落ち着いた感じがする。古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分を着るってところだろう。
“将来、医者か宇宙飛行士に絶対なる!“古い自分はそう考えていた。真剣に医者になりたいと思っていた。でも、今は、なんだかその夢は、つまらなさそうな気がする。今の将来の夢は、ジャーナリストか、小説家になること。読んだり、書いたりすることが大好きだから、それが、情熱となった。ゴールにたどり着く一番の方法は、勉強も何もかもあきらめずにがんばること。でも、それ以上に大切なことは、神様に頼り、神の導きを常に伺うこと。そうすれば、僕たちは、本来進みべき道から決して迷うことはない。
(LVJCCユース:マイキー モーランド、訳:優子)

子供たちによるクリスマス劇
2011年、今年のクリスマス礼拝は12月25日に行われました。神の御子イエスのご降誕を祝い、愛する神の家族と共に主を礼拝できたことを心から主に感謝します。クリスチャンにとってのクリスマスがどんなに大きな恵みであるかを覚えながらの賛美は、また一段と心に響くものがありました。教会堂に飾られたクリスマスツリーを前に主に捧げる礼拝は、聖霊の臨在の中で、実に感謝に満ち溢れる特別なものでありました。
礼拝後には、美味しいポットラックと共にクリスマスパーティーが持たれ、楽しいひとときを過ごすことができました。石原兄弟のお二人のご子息によるミニ・ギターコンサートと、面白クイズ(商品あり)、プレゼント交換などが盛りだくさんでした。

ミニコンサート
そして、この記念すべきクリスマス礼拝にて、石原真一郎兄弟の洗礼式が執り行われ、新しい家族が加えられました。石原兄弟ご自身により、救いへの経緯を書いてくださいましたので、ここに掲載いたします。

イエスキリストの御聖誕祭、クリスマスという素晴らしい日に、洗礼を受けさせて頂けるという恵みに、心より感謝申し上げます。
先日教会ブログに私の証を書くようにという連絡を頂き、その場では承諾したものの、失敗と不義理の連続、恥じ入ることだらけの自分の人生の事まで書かないといけないのかな。知っている人に読まれたらヤバいななど、思い迷いましたが、ここは主にお任せしようと思って書かせて頂きます。
私のキリスト教との初めての出会いは、小学校5年生の頃、ラジオで聞いた「ルーテルアワー」という番組でした。「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」。聖パウロの言葉により
というアナウンスが印象的で、通信教育により子供向けの聖書講座を終了しました。教会に行ってみたいと思いつつ、鹿児島の田舎で近くに教会はなく、そのままになってしまいました。
高校3年の卒業間近のある日、路傍伝道している女性に出会い、待ってましたとばかり、その教会に通い始めました。その教えは讃美歌から始まり、聖書をもとに講義が進み、卒業後、そのまま東京にある教会の学生部に入り、12年間その教会で過ごしました。しかし私の個人的な劣等感、自己嫌悪などの悩みは解決されないまま、また私の素行の悪さのゆえに、半ば追い出されるように教会をやめ、その後、酒びたりの自堕落な生活に、のめり込みました。
あるきっかけで渡米し(15年前に)ラスベガスに移り住み、当然のごとくギャンブルにはまり、妻子を苦しめ、友人達にも迷惑をかけ通しの15年を過ごしました。また、仕事上、ルール無用のタクシードライバーとのけんか、紙面に書けないような酔態、さげすみ等々、精神面、経済面でのどん底の時に、ラスベガスアイズを手にし、最後のページの「すべて重荷を負うて苦労しているものはわたしのもとに来なさい」という聖句が目に飛び込み、胸にせまるものを感じました。しかし、以前にもっていた宗教のこともあり、なかなか敷居が高く、今年7月、やっとの思いで教会の戸をたたきました。
鶴田牧師のお話を聞き、教会メンバーの方々との交わりの中で今まで感じたことのない喜びと、自分は変われるかもしれないという手応えを感じました。ただこれを信じることは、以前に信じていた、あるいは今でも完全には否定しきれていない教義を捨てることを意味します。親友、恩人の方々との決別、もしくは対立の可能性も出てきます。なぜならその教義は、
① マリアの聖霊による懐胎
② イエスの十字架による完全なる救い
③ キリストの栄光のからだによる復活
のいずれも否定するものだからです。
これらの葛藤の中で、もう一度聖書を一句一句読み進み、入門コースの学びの中で、かつての教えはキリスト教を真っ向から否定する教理であることに気づかされました。私の理解では、十字架による救いとは、霊的救いのみであり、メシヤはもう一度、霊肉共の救いのために、女の腹から生まれなければならない。今がその時である。一度死んで腐敗した肉体は生き返ることはない。ゆえにキリストの復活は、霊によるものであるという考えです。
しかし、「あなたがわたしに行かせるためにお与えになったわざをわたしは成し遂げて地上であなたの栄光を現しました(ヨハネ17:4)」とイエスは言われ、まだやり残したことがあるとは言われておりません。
また、「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわってよく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています(ルカ24:39)」と、パウロは、死者の蘇り、キリストの復活がなかったとすればクリスチャンは神に対する偽証人となってしまうと言っています。
私がかつて信じていたものはキリスト教、聖書とは根本的に異質なものであったと、自分なりに、結論を出しました。キリストを信じる者として、まだやっと入学式を迎えただけの私ですが、一方的な赦しの中で、自らの罪と闘いつつ、いつか卒業証書を頂ける日を望みつつ歩ませていただきたいと思います。これからも皆様のご指導をよろしくお願い致します。
「わたしを見て信じたのか。見ないで信じるものは幸いである。」ヨハネ21:29


石原兄弟、お証しをありがとうございました。
兄弟をこの教会に与えてくださったことを心から主に感謝します。このお証を書くにあたり、葛藤があった中での主にゆだねようとなさったお心に感動いたしました!きっと神はそんな兄弟の心を最高にお喜びになっていることでしょう。
石原兄弟のこれからの信仰生活が神様への喜びで満たされ、神の栄光が輝きますように。アーメン
(ブログ制作チーム: Sao)

2011年12月18日に、福富 英介兄弟が洗礼の恵みに与りました。ハレルヤ、主の御名を賛美します。
福富兄弟はラスベガスに来られる前カリフォルニアに住んでおられ、長い間旅行関係のお仕事をされていました。ある日友人に連れられ何気なく教会に行ったのですが、何とその友人は実は牧師さんだったのです。それ以来、日曜日は友人の牧師の教会へと足を運んでいましたが、それではそろそろ洗礼をという話が出た矢先、ラスベガスに転勤になり引っ越して来ました。
ラスベガスでは仕事に追われ忙しい日々が続いていたこともあり、教会からは遠のいていました。月日が経ち、福富兄弟の古い友人であった松村兄弟(現在は日本在住)と再会し、ラスベガス日本人教会(LVJCC)に足を運ばれるようになりました。
福富兄弟はお仕事をいくつか掛け持ちしておられ、その忙しい合間をぬっては日曜礼拝を守るという生活をされるようになりました。そんな中、鶴田牧師による入門者クラスの学びを経て、信仰告白へと導かれました。
カリフォルニアでは長い間教会に通っていた福富兄弟ですが、先日の洗礼式の後、「信仰が与えられ、その信仰をクリスチャンとして神と会衆の前で告白し、クリスチャン生活をスタートできた洗礼記念日はやはり今までとは違いますね」と、話す福富兄弟の笑顔がとても印象的でした。こうして、洗礼の恵みに与かられた福富兄弟を神の家族としてLVJCCにお迎えできたことを教会員一同、心から嬉しく思います。
人生はたくさんの選択の連続ですが、主イエス・キリストを信じるという決断は人生において最も重要で、価値のある、素晴らしい決断です。そして、これこそ私たちの主が命を賭けて備えて下さった人類救済の唯一の道なのです。
人生最良の選択をなさった福富兄弟の信仰生活が、主の愛と恵みに満ち溢れ、絶えず主の守りと導きの中でなされるように心からお祈りいたします。アーメン。
(ブログ制作チーム: Sao)

2011年8月7日、吉原千晶姉妹の洗礼式が執り行われました。千晶姉妹はラスベガス教会の82番目の受洗者となりました。おめでとうございます!
千晶姉妹は、約2年半前に3ヶ月ほどラスベガスにいる伯母さんの敏子姉妹のもとに滞在をされたことがあります。最初はキリスト教に心を閉ざしておられた姉妹ですが、少しずつ教会の兄弟姉妹を通して心が開かれ、ある出来事を通して神様の存在を強く示されたことで、その次の日曜日に初めてラスベガス教会の礼拝にいらっしゃいました。
それから日本に帰国され、2年が経ち、敏子姉妹は 毎日千晶姉妹の為に捧げる祈りの中で『千晶をリトリートに誘ったらどうか』という思いが与えられたのです。敏子姉妹はさっそく千晶姉妹と千晶姉妹のお母様である恵子姉妹(敏子姉妹の妹で、既に救われたクリスチャン)を誘い、7月末にCA オンタリオで行われたリトリートの申込みをし、3人でリトリートに参加されることになりました。
千晶姉妹はリトリートでの力丸先生のメッセージやスモールグループの方々との交わりに心満たされ、ラスベガスに来られて、鶴田牧師から「入門者クラス」を受け始められました。限られた滞在期間のため、一日3時間半の5日間コース(?)というハードスケジュールの中、神の恵みと導きにより信仰告白をされました。ハレルヤ!

鶴田先生の左が千晶姉妹 右がお母様の恵子姉妹
今は日本の生活に戻られている千晶姉妹ですが、インタビューに答えていただきました。
質問1。小さい頃の千晶姉はどんな少女でしたか?
悩みがない分、今より明るかったような…でも現在とは打って変わって引っ込み思案でした。
明るいのに引っ込み思案って…って感じかもしれませんが、なんていうか…シャイだったんです(笑)
質問2。ラスベガス教会に来たきっかけは何でしたか?
伯母が通っていたので。実は最初は仕方なく(笑)
質問3。 一番最初の3ヶ月間でラスベガス訪問中の印象に残ったことは何ですか?
事故にあったこと。今では笑い話ですが(笑)
そのときに皆さんの優しさや、神様が私を見守って下さっていることを実感した出来事だったので、私にとっての“転機”ですね。
質問4。 鶴田先生のファンだとお聞きしましたが、どういったところが好きですか?(笑)
どんな話でも興味を持って聞いて下さるところですね。
日本では相手の顔色を伺う(特に年上の方は)ことが多いですが、先生には安心して色々話せます。
質問5。今回2回目の滞在で、リトリートに参加なされましたが、どういった事を経て 参加を決意されましたか?
正直決意という感じではなく、勉強勉強の毎日に疲れ果てていたところに、伯母から「こういうのあるけど参加しない?」と言われたのがきっかけでした。
質問6。リトリートには期待がありましたか?また終わった今感想をシェアしてくださいますか?
そんなわけで期待とかそんな感じではなく、かなり気軽に参加してしまい、行ってから「こりゃなかなかすごいところに来たもんだ」と思いました。
でもこれまで定期的に教会に通ったことのない私にとって、ほかの方と色々な考えやバックグラウンドをシェアすることの出来た初めての経験でした。
質問7。 リトリート の後、入門者クラスを受け始めたとのことですが、入門者クラスを受けようと思ったきっかけは何ですか?
これも伯母に「こっちに来てる間、先生が時間を作って下さるそうだけど、受けてみる?」と言われたのがきっかけで、あまり深刻に考えてはいませんでした。
前回事故にあった時に神様の存在は信じられていたし、日本に帰ってからも食前のお祈りを続けるくらいだったので純粋に「理解を深められたらな」、と思っていた感じで、この時は洗礼を受ける気は全くなかったんです、実を言うと。
質問8。 ずばり、神様を心に受け入れ主と共に歩もうと決意されたものは何でしょうか?
そんなわけで入門者クラスを受ける=信仰告白をする、とは思っていなかったもので、かなり自分の中で混乱というか最初先生に言われた時はもうなんかぐちゃぐちゃでした。
神様のことは信じているし、勉強したことも理解は出来るんだけど、今までの自分やこれからの自分を否定してしまうような気がして、どうしても自分の心がそれを受け入れられない。どうしていいか分からなくて泣くしか出来ませんでした。
2回目の時、最初はその前と同じように「急いで今回信仰告白しなくたって自分が納得した時でいいんじゃないか」と思っていました。でも先生と話をしているうちに自然と「ああ、これでいいんだな」と思えた瞬間があって。だから決意というかそれこそ導きでした。
質問9。 神さまを受け入れた今の心境は?
少し時間も経っているので今は落ち着いています。
受け入れる前に「あんなに頑なに拒んでいたのがばかみたいだなぁ」と言う感じです。
質問10。イエス様を受け入れる前と受け入れた後では、なにか違うものはありますか?
少しお話しましたが、信仰告白のときに身体が浮いてるような感じでした。
心境の変化としては、やはり日本に帰ってくると色々嫌なことがあるのですが、その時に「神様がついていてくださるから」と言い聞かせることによって落ち着くことが出来ているような気がします。
元来の性格に考えすぎるキライがあるのでまだまだ心に波風が立つことは多々ありますが(笑)
質問11。 最後にラスベガス日本人教会の皆様にメッセージはありますか?
私が神様に近づくことが出来たのは本当に皆さんのおかげだと思っています。
元々、宗教に対して偏見のあった私がこのように洗礼を受けることになるなんて思ってもみませんでした。それは皆さんから直接頂いた優しさや愛情、また、私が帰国してからも祈り続けてくださったその祈りがあったからなのだと思います。
本当にありがとうございました!!
ハレルヤ!神の御名を賛美いたします。千晶姉、質問に答えてくださりありがとうございました。

洗礼後のポットランクランチのひと時 千晶姉妹と鶴田先生
神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ福音書3:16) 神は私達を愛してくださり、一人一人に合った性格、ご計画を与えてくださっています。私達は罪人であるけれども、神は私達は神の最高傑作であると仰ってくださる。なんという愛でしょうか。
私達の教会では、過去2年間、千晶姉の救いの為の祈りがずっと続けられてきました。千晶姉妹をどうしても神様の救いのもとへ!と願う兄弟姉妹の内にいらっしゃる聖霊様の情熱と愛に心を合わせた結果こういう御業を目撃できたことは とても感謝な事でした。
これからの千晶姉妹の信仰生活が神と共に歩む祝福された毎日でありますように、教会員一同心よりお祈りしております。
(ブログ制作チーム: Sao)

松本光世姉妹(愛称ミミさん)は徳島の出身で、関西外語大からミズーリの大学に留学し、ビジネスを専攻されました。卒業後、一度日本に戻られた光世姉妹は、どうしてもアメリカが忘れられず、2008年のクリスマスに親戚であるクリスチャンファミリーの坂東一家の住むラスベガスに来られました。
ラスベガスでの生活が始まった光世姉妹は、学校と仕事の忙しい生活の合間を縫って、時どきラスベガス教会の礼拝に来られるようになりました。その背後には、もちろん坂東一家の祈りと導きがあったわけですが、しばらくは信仰への道は開かれませんでした。
昨年の7月、色んな経験の中で、光世姉妹の心に神様を知りたいという心が与えられ、従姉妹である坂東一美姉妹の勧めで入門クラスを受け始められました。忙しい中での不定期の学びでしたので随分時間が掛かりましたが、最後の学びが終えた去る6月9日、光世姉妹はイエス様を救い主、また主として信じて受け入れる信仰告白をされました。

林ジミー兄弟は青森の八戸の出身で、在米45年の日本食の板前さんです。ボストンを皮切りにアメリカ生活が始まり、ニューヨークでは紅花一号店でロッキー青木氏のもとで働き、カナダで5年、またアメリカの各地を巡り日本食の板前として働いて来られ、15年前からラスベガスに住んでおられます。
林ジミー兄弟がラスベガス教会に初めて来られたのは、ラスベガスの教会開拓が始まって間もない2002年11月10日、鈴木啓之牧師をお招きしての特別集会のときです。それ以来、不定期に時どき教会に顔を出しながら、付かず離れずの関係を持ち続けて来られました。
そんな中で、数年前の九死に一生を得るような交通事故の経験から神様の守りを感じるようになられ、今年になって急に神様と共に残りの生涯を生きていきたいという思いが強まったようです。それから、松村兄弟の後押しを機に洗礼準備クラスを受けることになり、そこで十字架の意味をはっきりと理解し、信仰告白をされました。ジミー兄弟は、ラスベガス教会が始まって以来、最も長い求道生活を通して結んだ救霊の実でした。
光世姉妹にしても、ジミー兄弟にしても、また他の方々もそうですが、人が信仰に導かれるプロセスは実に様々です。しかし、そのすべてにおいて言えることは、信仰は神様が与えられるもの、聖霊の働きによらなければ人は自分の罪を認め、イエス様を信じる決断ができないということです。これが霊の世界の法則です。

(LVJCC牧師: 鶴田健次)