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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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ダビデの信仰


詩篇6:6私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。6:7 私の目は、いらだちで衰え、私のすべての敵のために弱まりました。


(この箇所は単にこの日読んだ聖書箇所であって個人的な心理状態とは全く関係ない事を附記しておきます。)


罪の告白にともなう罪の赦しと清めの約束があります。ダビデが罪を犯して、預言者ナタンがそれを指摘した箇所ですがダビデは罪を告白したら、ナタンはすぐに罪の赦しの宣言をしました。罪は告白したらすぐに赦されます。けれども、罪の赦しはすぐに結果が出てくるようなものではなく押しつぶされてしまいそうな苦しみを通ることにより罪の赦しの尊さを知ることができます。


7:3 私の神、主よ。もし私がこのことをしたのなら、もし私の手に不正があるのなら、7:4 もし私が親しい友に悪い仕打ちをしたのなら、また、私に敵対する者から、ゆえなく奪ったのなら、7:5 敵に私を追わせ、追いつかせ、私のいのちを地に踏みにじらせてください。私のたましいをちりの中にとどまらせてください。


ヨブ記においてヨブが友人ら言葉に反論したときも、ダビデと同じようなことを言いました。自分が滅んでも構わないとまで言えるのは、逆に自分は何も行なっていないことを訴えているのです。この件の問題に関しては私は無罪であって、非は中傷をしている者にある、ということです。


7:6 主よ。御怒りをもって立ち上がってください。私の敵の激しい怒りに向かって立ち、私のために目をさましてください。あなたはさばきを定められました。7:7 国民のつどいをあなたの回りに集め、その上の高いみくらにお帰りください。


主は公平に裁かれる方です。ダビデは正しい裁きを国民の前で行うように私のために裁判を開いてくださいとお願いしています。これは比喩ですが正しい裁きを行なってくださいとお願いしています。


7:8 主は諸国の民をさばかれる。主よ。私の義と、私にある誠実とにしたがって、私を弁護してください。7:9 どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。


私たちは中傷されるとき、主に弁護していただくことを求めるべきです。これがなかなかできません。心の内で苦悶です。そして思いっきり言い返したくなります。けれども、ダビデのようにある意味、攻撃的に主が裁いてくださることを願うべきです。


7:10 私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。7:11 神は正しい審判者、日々、怒る神。7:12 悔い改めない者には剣をとぎ、弓を張って、ねらいを定め、7:13 その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。


 主は必ずきちんと裁いてくださいます。神は正確に、完璧に射止めてくださるとダビデは言っています。だから私たちは、自分で弁護しようとするのではなく、主に弁護していただくべきなのです。



2022.02.23 10:00 | ちょこっと聖書
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神を知る


わらべサムエルは、エリの前で、主に仕えていた。そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。 サムエル上3:1


この頃イスラエルは主から遠く離れてしまい偶像礼拝をしていたので神に目を合わせることができず声が聞こえなくなっていました。私たちも同じように主が語っておられることに耳を傾けず自分の思いのままに歩いてしまうと神のことばが聞こえない神から離れた状態に陥ることがあります。神が遠いと感じることがあればその状態になっているのかもしれないですね。再度神に戻るように純粋にみ声を聞く姿勢に戻りましょう。


 4主は「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれた。彼は「はい、ここにおります」と言って、 5エリの所へ走っていって言った。


サムエルはエリのために忠実に働き主の幕屋に仕えていましたがまだ主との直接の関わりがなかったのでエリが呼んだと思いました。


神と個人的な関係を持つには主の呼びかけを自分が聞き取ることから始まります。神ご自身からの語りかけに自分が応答すると神との生きた関係の中に入ります。しかしそれをしなければどのようなクリスチャンであっても主を知ることはできないのです。


 7サムエルはまだ主を知らず、主の言葉がまだ彼に現されなかった。


サムエルはまだ主との直接の関係を持っていませんでしたが神の祭司エリの言うことを守っていたので神を知る準備はできていました。神によって立てられた権威に従うことによって神との関わりを持つことができるようになります。


 10主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。


これは私たちが行わなければならない神の声を聞き、主に従うという姿勢です。神のみことばを私たちが自分の勝手な思いで受け取るのではなく神に全てを委ねることで全てを神に開け渡し、神のみ心のままに、というこの姿勢が私たちをへりくだらせキリストの似姿へと変えられます。


 15サムエルは朝まで寝て、主の宮の戸をあけたが、サムエルはその幻のことをエリに語るのを恐れた。


主は神の幕やでエリの子供たちが神に背いていることを聞き、知りながら放っておいたので神がエリの血筋をた経つとサムエルに告げられました。

このような神が語られる真実を相手に伝えるのは非常に辛いときがあります。語る相手によっては聞きたくない、痛いことでもあります。それでもあなたの主が語れと言われたら語る、それが主に忠実に行動するということです。私たちは神のみことばを心にとめどんな時にも語らなければなりません。この世の終わりが近づいています。神の霊を受けて大胆に語りましょう。


4:22 彼女はまた、「栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われたからです」と言った。


神の箱がない今、栄光がイスラエルを去りました。イスラエルが神を主としなくなっていたからです。彼らは神との個人的な関係を持っていませんでした。


私たちが心にとめておかないとならないのはサムエルが主の声を聞いたときの姿勢です。「しもべは聞きます。お話しください」とは主の語られることに耳を傾けそして言われることに聞き従うという姿勢です。この態度により主との個人的な関係が完成します。そして人間の思惑による行動でなく生ける神の力が現われます。 


今日も神のみ心を探り霊の耳を傾け心を絞って神のみ旨に従い過ごすことができますように。


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(LL)


2022.02.09 10:00 | ちょこっと聖書

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上からの知恵


人は何かを話すときはそのことについて知っていると思って話しています。意見を言うときに知識があるからそのように言います。しかしそうした意見の主張や、議論や論争の中で知っていると主張しているために語っている態度が高慢になっていないでしょうか。敵対的になり相手の意見を尊重する余地がなくなっていることがないでしょうか。


議論をしたり話しているときに大事なのはその話している内容や知識よりもその態度です。もし苦い思いや敵対心があるならその語っている内容は知恵ではなく神の真理に逆らっていることになります。「これこそが正しいことだ」と言い張っているときは注意が必要です。


知恵が上から来たものか、この世のものか、上から来たものは神から与えられる良いものです。しかし、話している時に相手を受容できていない感情がある時その知恵はこの世からのものであり、あなたの生まれつきの古い性質から出ています。


「神からの知恵かそれとも自分の考えで語っているか」確認するには語っているときに感情的ではなく心が平安ならそれは上から来たものだと認識することができます。しかし感情的に話している時それは肉に属することです。


意見が異なる会話や決議が長引くときなど教会全体の秩序が乱れたりねたみや自尊心が存在していないか考えることが必要です、

しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。ヤコブ3:17

私たちが何かを話すときにその時の感情を吟味してみましょう。

清い見解から話しているでしょうか。話の中に平和があるでしょうか。純真な感情から出ているか、知っているかぎりすべての人との平和を求めるような状態が保たれているか確認が必要です。人に合わせる、と言うことではなく謙遜の態度です。寛容とは細かいことでいきり立つのではなく抑えることです。温順は自分の考えを押し通すのではないことです。


そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった エペソ4:11


教える賜物に関係なく教えたい人が教えていることがあります。牧師・教師の働きを否定するような群れやグループほど、その傾向が強くなります。「私は示されました」と言って仲間に語り教師になりがたっています。

本当に教師の賜物が与えられた人は、逆に自分が教師になることを恐れます。自分が教えたいからではなく、主に教えるようにゆだねられているという思いです。

わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである ヤコブ3:1


こう語る理由は誤ったことを教えているならば語っている本人だけでなく、聞いている人々も迷わせてしまうからです。イエスが律法学者たちを「忌まわしいものだ」と言われたことがありました。偽りの教えを聞いてそれを信じた人が、教えている人よりも熱心にその偽りの中に生きる間違いが起こるからです。


わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている ヤコブ3:9

教会の礼拝で私たちは神を賛美し日常生活の中で気に食わない人の悪口を言います。これほど矛盾したことはないということです。ヤコブは、人を「神にかたどって造られた」と言っていますが、人をののしることは、神をののしっているのと同じことになると言っています。

語るときにはよく内容を吟味して聞いている相手の徳を高めるかどうか考えて語りたいものです。


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(LL)

2022.02.02 10:00 | ちょこっと聖書

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み心によって語る


ヨブ記には友人たちのヨブに対する言葉がいかに愛がなくそれゆえ知恵に欠けているかを書いてあります。


貧しい人が教会の礼拝に来た時に差別の心がみ言葉によって清められておらず信仰があると言っているだけであることをヤコブは指摘しています。言っているだけの信仰、行ないのない信仰は魂の離れた体と同然だと言いました。


言葉だけになってその舌を制御していない罪深い姿、汚れや悪を放置したまま語り自分が語っていることに責任を持たず相手の精神的、霊的貧しさに共に住もうとする言葉ではなくないがしろにする言葉を放っているということです。ちょうど、ヨブの友人たちがその過ちに陥っていました。


「こうして、キリスト ご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立 てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる ためであり、(エペソ4:11-12)」


自分の感情で意見を述べるのではなく神の言葉を語るように気をつける必要があります。パウロは「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をもあなたの教えを聞く人たちをも救うことになるのです。」教える事だけでなく、自分自身に も気をつけて行ないなさいと命じています。


この発言の前にパウロは聖霊の賜物を軽んじてはならないと励ましています。教師において絶対必要条件は、神によって語っている、あるいは神に召されて語ってい るという確信で、召しによって神から贈られた聖霊の賜物があることです。


教会で多くの人々が教師になりたがっていることがあります。

教えることは自分が嫌でもそうせざるを得ない召しがあるかどうか確認しないといけません。パウロは「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである(1コリント 9:16)」神から罪人が悔い改めることを告げずに彼がその罪で死んだのなら、あなたも告げなかったことによって死ななければいけないという戒めを受けました。


預言者エレミヤは「もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。(20:9)」語ることにはこのようにものすごい召を共ないます。


ヤコブは「私たちはみな」と書いてあるところに自分自身も含め教師は格別に厳しい裁きを受けると言うこと無欠ではなくむしろ多くの点で失敗をするものであり、失敗から免れるよう最善の努力をするべきだと言っています。


「ことばで失敗をしない人がいたら、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」

試練によって忍耐を働かせること言葉において失敗しないということは霊的成熟に繋がります。


舌を制御するために努力をするということは私たちの力でできるものではなく、大事なのは神の御霊に満たされているかを考えて語るとその言葉には知恵があり人を助けることになります。


9 わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。 10 同じ口から、賛美とのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない ヤコブ3


このことが実際に起こるのです。

教会の礼拝で神を賛美し、気に食わない人の悪口を言います。これほど矛盾したことはないということです。ヤコブは、人を「神にかたどって造られた」と言っていますが、人をののしることは、神をののしっているのと同じことになると言っています。

 13あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれであるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活によって示すがよい。 14しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはならない。 15そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。 16ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。ヤコブ3


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2022.01.26 10:00 | ちょこっと聖書
詩篇19:14
主の命に従う

14わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。詩篇19


みなさんは聖書の中の言葉をどれくらい信じておられるでしょうか。変な質問でしょうか。キリスト者であれば全てが真実だと知っているはずですよね。

私は100%聖書の言葉は真実だと受け取っています。なぜなら神がそう言われたからです。だったら書いてあることは全て行うべきなのだと言うことです。「いや、これは昔のことで今はないよ」とかイエスが「行いなさい」と言われたことを人が否定すべきことではないのです。


この世では一見、私たちに反対するかのように押し迫ってくる出来事や状況は、神のご計画がなるために起こります。神は、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方です(エペソ3:20)また、神の思いは、私たちの思いと異なり、天が地よりも高いように、神の思いは私たちの思いよりも高い、とイザヤは言いました。この信仰をもって、嵐のときに、主によって守られましょう。 


イエスさまは、復活されてから、弟子たちにこう約束されました。


17信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 18へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。 マルコによる福音書 16


聖霊によって蛇をもつかむことができるとイエスさまは約束されました。このことはパウロ自身に起こり、病人に手を置くと癒されるとあるようにパウロは信仰によって主の命令を行い主が働かれました。


見て救われる、

 8たまたま、ポプリオの父が赤痢をわずらい、高熱で床についていた。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。 使徒行伝28



主イエスが地上におられたとき、病気の人々を直されたように、パウロも直すように導かれました。祈ってから、手を置きました。主へ祈ってから手を置き癒しが起こりました。


 9このことがあってから、ほかに病気をしている島の人たちが、ぞくぞくとやってきて、みないやされた。


他の人々の病も癒やされました。最後は尊敬されて見送られています。たとえ言葉が通じない人々の中でも、異教的な考えを持っている人々の間でも、福音を伝えることは可能なんです。なぜなら働かられるのは主だからです。


私たちが人間の考えで福音を伝えるのではなく主の働きに任せることです。


聖霊に満たされると主の救いを証したくて仕方なくなります。キリストを述べ伝えたくていてもたってもいられなくなります。皆さんも信仰を持って聖霊に満たされている事を感謝してみると聖霊に満たされている事を知ります。イエスの救いは「完全」だと言われているから救われた私達には既に神の恵みが「完全」にあるのです。


聖霊に任せれば伝道は自然と行われます。


19それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 20あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。マタイによる福音書 28



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(LL)


2022.01.19 10:00 | ちょこっと聖書
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