



これは聖書を読んだことのある人なら誰もが抱く疑問ですね。特にその奇蹟が世の中の常識とかけ離れていればいるほど、そういう疑問を持つのは自然だと思います。しかし、そもそも奇蹟というのは、ある目的のために自然の法則を越えてなされた神の業ですから、それを考えれば奇蹟が常識とかけ離れているのは当然といえば当然です。
聖書に記されている奇蹟は、すべて本当に起こった歴史上の出来事です。まず最初の奇蹟は、天地創造の奇蹟です。神は言葉だけで何もないところに地球を創り、宇宙とすべての天体、地上の植物と生き物を創られました。また神は地のちりから人間を創り、すべての被造物を支配するようにされました。
また、出エジプト記を見ると、神がエジプトに下された十の災いの奇蹟が記されています。ナイル川の水を血に変える奇蹟から始まって、エジプト中の初子の死で終わる災いは、文字通り起こった歴史上の出来事です。その結果、絶対にイスラエルの民を手放そうとしないパロの頑なな心が変わり、イスラエルの民を奴隷状態から解放することになったわけで本当の事なのです。
ですから、もしこれらの十の災いが実際の出来事でなければ、エジプト中の初子が死ぬこともなかったでしょうし、エジプトに住むすべてのイスラエルの民が子羊の血を家の鴨居に塗る理由もなかったでしょう。
旧約聖書を代表する奇蹟として有名なのは、紅海の水が二つに分かれる出来事です。紅海とエジプトの軍隊に挟まれ、絶体絶命の危機にあったイスラエルの民のために、神は紅海の水を分け、彼らがそこを通って逃げられるようにし、その後を追ったエジプトの軍隊は、イスラエルの民が渡り終えた途端に海の水に飲まれて全滅してしまうのです。そして、その時にエジプトの軍隊が使った二輪の戦車が数多く紅海の海底で発見されていることを考えれば、その出来事が本当にあったことであることが分かります。しかも、この出来事がなければ、イスラエルの民の荒野の旅、カナン侵略、イスラエル王国の設立なども説明できなくなります。
新約聖書にも、イエス様がなされた数々の奇蹟が記されています。たとえば、カナの結婚式で水をぶどう酒に変え、二匹の魚と五つのパンで五千人を養い、言葉だけで嵐を静め、海の上を歩き、盲人の目を開き、足なえを立たせ、死人を生き返らせることさえして、ご自分が神であることを証明されました。そして何よりも、十字架で死なれたイエス様の復活の奇蹟は、イエス様が神である何よりの証拠であり、臆病な弟子たちの劇的な変化を説明する唯一の論理的な根拠だと言えます。
つまり三位一体の神、父・子・聖霊は全能の神なのです。神にとって、このような奇蹟は全く難しいことではありません。神はまた私たちの人生にも生きて働いて下さり、私たちのために、必要であれば、どんな奇蹟も行うことがお出来になるのです。実際のところ、神は、罪のために永遠の裁きを余儀なくされていた私たちに、イエス様の十字架の御業を通して、罪の赦しと永遠の命の恵みを与えて下さいました。これもまた驚くべき奇蹟です。
このように、生ける神を信じ、その奇蹟の御業を額面通りに信じることは、クリスチャン生活においてとても重要なことです。なぜなら、神に対するこのような信頼があれば、人生の如何なる苦難も乗り越えられるからです。
LVJCC牧師:鶴田健次
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