こんにちは、MUです。
日本へ一時帰国した時に行ったある教会で、偶然隣に座った姉妹から「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの本をいただきました。有名な本なのでご存知の方も多いと思います。その本はどのページも素晴らしいのですが、中でもとても感動したお話が載っていましたのでシェアしたいと思います。
それは、「戦死したロシア兵の祈り」というタイトルで書かれた、戦闘へ出陣しようとするロシアの一兵士が夜空の星を見上げ、初めて神様を知った時の詩だそうです。
「聞いてください、神様。
僕は今まで、
あなたの存在について全く知りませんでした。
子どもの頃から、
あなたなんかいないと聞かされ、
そう信じてきました。
もういうことはありません。
あなたを知ることができて嬉しいのです。
あなたがご存知のように、
戦いは激しく、
今夜、僕は、
あなたのドアを叩きに行くかもしれません。
そんな僕が行ったら、
入れてくださいますか。
僕の目は開かれたのです。
さようなら神様。
もう行かなくてはなりません。
多分生きては帰れないでしょう。
おかしいのでしょうか、
僕は、もう、
死を恐れてはいないのです。」
若いロシア兵士が死の覚悟を持って見上げた夜空には、澄みきった壮大な星空が展開され、神無しでは語り尽くすことができない静寂と尊厳、平安と全てを包み込む優しさが、圧倒的な神の御業として兵士の心を捉えたのでしょう。胸が熱くなりました。
この詩の行間から垣間見えて来る兵士の姿は、誠実に生きてきた心のきれいな人のような気がします。それは、「あなたを知ることができて嬉しいのです」という素直な直球のフレーズで知ることができるように思います。私たちは真の神を知った時、喜びがあふれ、愛で満たされ、居場所を獲得したような大きな安堵感に包まれます。
そして兵士は、肉の目で見るだけではなく霊の目も開かれたようです。「僕の目は開かれたのです」とありますから、明らかに見え方の違いを認識しておられます。
また、戦闘では生きて帰れないと知りつつも、「僕は、もう、死を恐れてはいないのです」という最後の言葉が、まさに、神様に捕らえられた者の悟りの境地ではないかと思います。このロシア兵は聖書を知らず、救い主キリストや神の存在も知らずに死ぬ直前まで生きて来て、最後の最後に栄光の主を知りました。何という劇的な運命を生きたのでしょうか。神を知らずにロシアで生きている間、どのような人生だったかは知る由もありませんが、今、彼は天に召され、痛み、苦しみ、涙や叫びの無い至福の世界で安らいでいることは確かでしょう。
神の愛に勝る愛無し。
神の知恵に勝る知恵無し。
良きものは全て神から出ており、
神より正しい正義は無し。
全ての命は神の愛から出ています。
(MU)
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神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前できよく、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。
このキリストにあって、私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。
それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。
またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
- このイエス様の十字架での死、血による罪の贖い、復活、全ての事は天地が想像される前から御父がご計画なさっていた。また、福音を信じる私達も、神の愛によって同じように天地が創造される前から選ばれていた。
- 御子、イエス・キリストにあってそのご計画が実現した。
- それ、つまり「福音」を聞き、信じた人には聖霊を以て証印が押され、御国を受け継ぐことを保証された。

私はクリスチャンになるまで、感謝は、感謝できる時だけしかしていませんでした。
だから、うまく行かなかった時や問題が起きた時には、「厄介なことになったな!」とガックリし、後始末や、やり直しや、他の方法を考えたりすることが負の時間のように感じたりしていました。そんな時に感謝するなんて、考えることがありませんでした。「ま、いい勉強だったのかな、次はうまくやろう」と思うのがせいぜいでした。
その後、聖書を知り、宇宙とこの地球と人間を創り、人々を愛してやまない真の神様の存在を知ってからは、価値観が天地を逆にした程変りました。
朝眠りから目覚めた時や一日が終わって休む時、健康に食事ができる時、何不自由なく生きているいことなど、当たり前に繰り返される中に神様の守りがあることを知り、感謝する日々となりました。
創り主が私たち人間を大切に思っていることは聖書の随所から知ることができますが、その創り主なる神様に感謝する事で、私たちの体にもたらす健康効果は、実は計り知れないほど良い影響を及ぼしていると、なにかで読んだことがあります。
感謝することは内面を穏やかにし、健やかにし、体内の臓器や細胞に至るまでその効果が行き渡るのだそうです。内面の効果は外見にも現れ、更に健康で優しい感じになることが上げられていました。
私たち人間は、創造主である神様がご自身に似た者として創られました。そして、「はなはだ良かった」と仰いました。ということは、神様はその出来栄えに満足しておられる、という事でしょうか。
そして、海と空と地にいる生き物とを治めよ、と言われ、人間に大きな使命が与えられました。神様が仰ったのですから、私たち人類はそれができる術も与えられているはずです。
そして今、神様から任された私たちが住む地球はどうでしょう。海と空と地にいる生き物は、人間に守られるどころか住むところを追われ、人間が作り出した有毒で危険なものに命が奪われ絶滅したり、危機状態にある生き物ばかりです。
そのような時代に生きる罪びとの私達ですが、それでも神様は親が子を思うように、私たちを愛し、私たちを尊い存在だと仰ってくださいます。
どんなことがあっても、神様は決して変わることがありません。それを信じるなら、状況に左右されることなく、神様のゆえに全ては益に変えられるとの確信が与えられ、感謝できる心を失うことがありません。
聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と教えています。
(MU)
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