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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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最愛の妹は、2020年1月3日に天国へと旅立ちました。


幼い頃からピアノが大好きで、その後ピアニストになった妹は、癌で7年間闘病中もピアノを弾き続けました。癌治療の副作用が出て体が辛い時も、ピアノの音色と愛の神様の証を通して、同じく病と闘っておられる方々、弱気を覚えていらっしゃる方々に、寄り添い励ましたいと言って、天国に戻る1ヶ月半前まで各地でコンサートをして回りました。病に侵され、だんだん弱っていく妹を見るのは辛かったですが、ピアノを弾き始めた途端、彼女の青白い顔が輝き出し、やせ細った体から出された思えない、心に深く滲み透る美しい音色を奏で、聞く人々の心を励ましたことを思い出します。

 

親友でもあった妹のことを思い出すと、今でも寂しさで涙が溢れますが、同時に妹が天国にいるということで、今まで以上に天国のこと、また永遠の命のことを日常的に考えるようになりました。そして、地上での命は限られているかもしれないし、多くの祝福とともに試練もあるかもしれない、でも永遠の命という値段がつけられない驚くばかりの尊い贈り物を、イエス様が十字架で私たちの、いや私の罪を背負って死んでくださるという大きな代価を払って与えてくださったことを思い、感謝の思いで一杯になります。妹の天国行きは、今与えられている地上での時間を感謝し大切に過ごすこ事と共に、時に目の前に起こっていることに気が取られて、何が一番大切なのか忘れがちな私に、イエス様をいつも見上げ、永遠の天国目指して、神様から与えられている、走るべき道のりを走りきることに目を向けさせてくれます。

 

このビデオのピアノの音色と聖書の御言葉を通して、少しでも皆様の心が和らぎ、また癒され、希望の光が差し込めばと願っています。そしてもし、まだイエス様の十字架を通して得られる永遠の命をご存知ない方がいらっしゃるのでしたら、どうか聖書を通して、また教会の牧師や周りのクリスチャンを通して、そのことを知っていただきたいと心から願います。

 

ピアノ曲は妹のアルバム、" Compassion" 〜生かされて〜からです。

映像は、私がフライト中に目にした美しい空を収録したものです。



180_Compassion CD cover (1)


妹の天国への歩みを教会のニュースレターに以前載せさせていただきました。

まだお読みいただいていない方は、よろしければ以下のリンクからどうぞ。


https://lvjcc.com/lvjcc-news-letter-march-2021/

LVJCC・ニュースレター | April, 2021 – Las Vegas Japanese Community Church

 

治美Sager



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2022.02.05 10:15 | 証し

牧師室より#398-「成功」の反対は何? 

“成功”の反対は何?


 

 皆さんは「成功」の反対は何だかご存知ですか? 「成功」の反対は「失敗」だと思っていませんか? 実はそうではないのです。昔から「失敗は成功のもと」と言われるように、「失敗」はむしろ「成功」への不可欠な道であり、「失敗」の数が多いほど成長するものです。

  

 発明王エジソンは、一万回以上も失敗を繰り返した末、遂に白熱電球を発明しました。ある時、エジソンは新聞記者に、「電球を発明するのに一万回も失敗したそうですね」と聞かれたとき、「私は失敗なんてしていない。うまくいかない一万通りの方法を見つけただけだ」と答えたそうです。またさらに、「もし、一万回以上も挑戦して成功できなかったとしたら、今頃何をしていると思いますか」と聞かれ、とエジソンは「今でも研究室で実験を繰り返していると思うよ」と答えたそうです。

  

 多くの人が、成功するためには失敗してはいけないと考えています。そのために新しいことに挑戦する一歩をなかなか踏み出すことができないのです。新しいことに挑戦して、一度も失敗せずに、全てが思い通りにいった人など一人もいません。自転車に乗れるようになることすら、実際に自転車にまたがって、何回も転んで練習するしかないのです。

  

失敗とは、うまくいかない現状を受け入れて、自分が諦めてしまった時にのみ起こる現実です。ウィンストン・チャーチルは、「成功とは、情熱をなくさず失敗から次の失敗へと移行することである」と言いました。つまり成功のためには失敗は必然なのです。


では成功の反対は何でしょう? 成功の反対は「何もしないこと」です。  


聖書の中に、「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」という御言葉があります。これは神の霊を注がれた者に約束されたことで、大人でも子供でも、神は信じる者に幻(夢)を与え、その実現を目指して歩むことを求めておられるのです。


あなたの夢は何ですか? 夢を持っていない人は、まず神が与えて下さる夢を持ちましょう。そして、その夢の実現を信じ、夢に向かって歩み続けましょう。失敗を気にせず歩み続けましょう。信じて歩み続ける者は、必ず夢の実現を見ることでしょう。



今日の一言:「成功」の反対は「何もしないこと」     



鶴田健次



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2018.08.11 01:48 | 証し

こんにちは、MUです。

日本へ一時帰国した時に行ったある教会で、偶然隣に座った姉妹から「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの本をいただきました。有名な本なのでご存知の方も多いと思います。その本はどのページも素晴らしいのですが、中でもとても感動したお話が載っていましたのでシェアしたいと思います。

それは、「戦死したロシア兵の祈り」というタイトルで書かれた、戦闘へ出陣しようとするロシアの一兵士が夜空の星を見上げ、初めて神様を知った時の詩だそうです。

 

「聞いてください、神様。

僕は今まで、

あなたの存在について全く知りませんでした。

子どもの頃から、

あなたなんかいないと聞かされ、

そう信じてきました。

 

もういうことはありません。

あなたを知ることができて嬉しいのです。

あなたがご存知のように、

戦いは激しく、

今夜、僕は、

あなたのドアを叩きに行くかもしれません。

そんな僕が行ったら、

入れてくださいますか。

 

僕の目は開かれたのです。

さようなら神様。

もう行かなくてはなりません。

多分生きては帰れないでしょう。

おかしいのでしょうか、

僕は、もう、

死を恐れてはいないのです。」

 

 

若いロシア兵士が死の覚悟を持って見上げた夜空には、澄みきった壮大な星空が展開され、神無しでは語り尽くすことができない静寂と尊厳、平安と全てを包み込む優しさが、圧倒的な神の御業として兵士の心を捉えたのでしょう。胸が熱くなりました。

 

この詩の行間から垣間見えて来る兵士の姿は、誠実に生きてきた心のきれいな人のような気がします。それは、「あなたを知ることができて嬉しいのです」という素直な直球のフレーズで知ることができるように思います。私たちは真の神を知った時、喜びがあふれ、愛で満たされ、居場所を獲得したような大きな安堵感に包まれます。

 

そして兵士は、肉の目で見るだけではなく霊の目も開かれたようです。「僕の目は開かれたのです」とありますから、明らかに見え方の違いを認識しておられます。

 

また、戦闘では生きて帰れないと知りつつも、「僕は、もう、死を恐れてはいないのです」という最後の言葉が、まさに、神様に捕らえられた者の悟りの境地ではないかと思います。このロシア兵は聖書を知らず、救い主キリストや神の存在も知らずに死ぬ直前まで生きて来て、最後の最後に栄光の主を知りました。何という劇的な運命を生きたのでしょうか。神を知らずにロシアで生きている間、どのような人生だったかは知る由もありませんが、今、彼は天に召され、痛み、苦しみ、涙や叫びの無い至福の世界で安らいでいることは確かでしょう。

 

神の愛に勝る愛無し。

神の知恵に勝る知恵無し。

良きものは全て神から出ており、

神より正しい正義は無し。

全ての命は神の愛から出ています。

 

(MU)


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2018.04.12 03:58 | 証し
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こんにちは、MUです。
私は小さいころ、祖父を怖いと思っていました。何かいたずらした時に、鬼のよう形相で追いかけられた事があったからです。でも私が成長するにつれ、本当は誠実でおもしろいお爺ちゃんだという事を知ってから、祖父が大好きになりました。

小学生だったある日、祖父が縁側に置いてある日当たりの良い昼寝用の椅子でうつらうつらしている時、学校から帰った私は祖父のそばにそーっと近づき、「ただいいま、お爺ちゃん!」と、大声でビックリせました。祖父は大げさに驚いて見せたので、2人で大笑いしました。その後で祖父はこんな事を言って私を悲しくさせたことがありました。「今、変な夢を見たんだよ。葬式の夢だった。それが、自分の葬式をしてる夢だったんだよ。泣いてる人もいたよ。Mちゃんはお爺ちゃんが死んだら、泣いてくれるか?」と聞くのでした。さっきまで楽しく大笑いしていたのに、いっきに悲しくなって、泣きながら「泣くよ。でもお爺ちゃん死なないでね!死んだら嫌だよ!」と言ったのを覚えています。そして、人間は死んだらどうなるのだろう、という事が知りたいと思いました。思えばこの事が、これからの私の人生に大転換をもたらしたきっかけになりました。

人は死んだらどうなるのだろう、という疑問は、長い間答えが得られなかったものの、成長するにつれ、真実は一つなんだから、今の世界にある目に見えるものと見えないものの中に、探しているもののヒントは必ずあるに違いない、と思うようになりました。というのは、人が死んだ後どうなるかという事は、どう生きるかに繋がって来ることだから、人は知っておく必要があると思ったからです。
次はどのように探すかが問題ですが、私はこう考えました。この地球も銀河系も宇宙全体も、長年秩序正しい営みの中にあり、人間もまたその中に組み込まれている存在だから、秩序正しい法則は人間にも及んでいる、という事が言えると思いました。それゆえ、全ての答えは宇宙全体のバランスや秩序を保っているものは何かを知ることができれば、それが究極の答えなのだろうな、と思いました。

そして、その究極の答えは、私の人生の途上で幾度も出合っていたもの、「聖書」に書かれているという事実を知りました。何事が起こっても決してブレる事のない秩序、正確さ、正しさの基軸が聖書だったのです。
聖書には知りたい答えが満載で、人は死後どうなるのかという事も明かされていましたし、宇宙や地球がどうやって創られ、人間が創られた時の事も、人間がどう生きたら良いのかとか、地球上に多言語が存在する理由や、信仰・希望・愛の中で最も大事な愛についても詳しく説かれていました。そして、神のひとり子イエス・キリストがなぜ人間としてこの世界にお生まれになったか、なぜ十字架で死ななければならなかったのか、それは、私のため、あなたのため、また全ての人の罪の身代わりとして裁かれた事が記されていました。
大宇宙の創造から、私たち人間の細胞一つ一つをも知っている創造主なる神の霊感によって書かれた書、それが聖書だったのです。

聖書を知って内容が理解できるようになってから、イエス・キリストを信じる私は死に向かって生きているという感覚が消え、死後は主の御元に帰れることが明確になり、苦難の中にいる時もイエス・キリストの平安が私の心を支えていることが感じ取れ、この確信をもって、主イエス・キリストを私の母に伝えました。

伝えられた母は、人間の罪のために十字架に着いたイエスが神の子で、十字架についた理由が人間一人一人を救う為だったことに驚いていました。そして、自分には何も罪は無いと言っていた母ですが、目に見えない心の在り方を話すと、自分にも罪がたくさんあるのだと分かりました。そしてイエスが人類の贖いの御業をなし終えた時、硬い木の実が殻を破って芽を出すように、もはやキリストを死の中に留めておくことはできず、3日目に蘇えられ天に挙げられ、一度は死にましたが、死に打ち勝って今も私たちと共に生きていることを母に話しました。「それじゃ本当に神様なんだねー」と言ってました。そして、「イエス・キリストを信じるよ!」と言ったのでした。それは、約2年半前の事です。

約1ヶ月ほど前、日本の家族から母が骨折して入院したと連絡があり、すぐに飛んで帰りました。主治医が言うには、母は大腿骨の骨折で手術をすれば麻酔で眠ったままになる恐れがあるので手術はできない事、そして3年弱ほど人工透析を続けていたのですが、血管の問題でそれができなくなった事、そのため母に残された日にちは10日から2週間ぐらいでしょうと告げられました。その間、痛くはないか苦痛はないかという質問をしたところ、そういうこともあるでしょうという答えでした。

母には死期の事は何も知らせませんでしたが、私は母の耳元で聖書の話をし、次の世はどういうところかを詳しく、まるで行って見て来たように毎日話しました。その時の母の微笑みはいい感じでした。
また、母が生まれた93年前から戦時中、戦後、嫁いだ先で苦労した事、畑仕事をしながら子供たちを育てた事一つ一つを労い、それら全てを神様がちゃんと覚えてくださっていることも話しました。

10日が過ぎたころからだんだん様子が変わり、痴呆が急速に母を占領し、会話がまるで時系列を無視したようにトンチンカンな返事が返ってくるようになりました。そして眠る時間が伸びて、最後はいつ行っても寝顔しか見られなくなりました。
入院して2週間が過ぎたころ、病院から母の危篤を知らせる連絡があり、孫たちも会社を早退し家族が集まりました。それぞれが、母の髪に触れ、顔を撫で、足をさすり、手を握りました。母は家族の真ん中で眠りながら、あの素晴らしい神の御国へ行ったのでした。

私は、天におられる主に感謝の祈りを捧げました。母の魂を受け取ってくださったことを。痛くも苦しくも無く主が母の全てを守ってくださったことを。感謝してもしきれないほどの気持ちを持って感謝します。愛する主へ。

「天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時がある。
植えるに時があり、植えたものを抜くに時がある」
「時」は神の御手の中に・・・

(MU)
 

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2018.03.15 05:32 | 証し
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ある期間内に何度も同じ御言葉を読む、聞く、見る、学ぶ。
そんな経験ありませんか?
私は過去に、4-5回立て続けに詩篇23篇の御言葉を様々な方法で、様々な角度から与えられました。

最近では、エペソ人への手紙(特に1章1~14節)がそうです。
(以下少し長くなりますが、是非お読みいただけたらと思います)

神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前できよく、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。   
私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。

神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。

このキリストにあって、私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。
それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。
またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。


少し前のBlogでも書いたのですが、ここ数年、イースターやペンテコステ、クリスマス等、クリスチャンにとってとても大切な日・出来事が近づくと、できるだけその日に自分を備えるために、約1か月前位から、その日・その出来事に関わる御言葉を読み、賛美を捧げ、祈り、日々を過ごします。

ここ数週間も、「このイースターでは、もっとはっきりとイースターの意味、特にイエス様の十字架での死について知りたい」と思い、祈り過ごしていました。

そんな中、ここ1週間程の間で、このエペソ人への手紙が数回に分けてじわじわと。。。。与えらえました。

現状として、今更ですが。。。大きな所では、以下が示されたことです。
  • このイエス様の十字架での死、血による罪の贖い、復活、全ての事は天地が想像される前から御父がご計画なさっていた。また、福音を信じる私達も、神の愛によって同じように天地が創造される前から選ばれていた。
  • 御子、イエス・キリストにあってそのご計画が実現した。
  • それ、つまり「福音」を聞き、信じた人には聖霊を以て証印が押され、御国を受け継ぐことを保証された。
これらの事を、改めて、以前よりももっと鮮明に体系的に知ることができたと同時に、自分の内にある何かに伝わったような気がします。

上手く説明する事ができないのですが、「イエス・キリスト」 「十字架」だけに焦点を当てていた私に、神様のご計画の全体像を見せてくださることで、私の霊の目を開いてくださり、その大きな恵みについて教えてくださったのです!

救いの根本であるイースターを、去年とは違う霊的な目で見、感じ、感謝して迎えることができるよう、私を準備してくださったのです!

恥ずかしながら・・・初めて! 晴れ晴れとした気持ちで、神をほめたたえ、イースターを迎えることができそうです。

この様に、霊的に満たされた時が一番悪魔に狙われやすい時期だと思いますので、しっかり心して、イースターまでの約3週間を過ごしたいと思います。

ハレルヤ! 
私たちを愛し、いつも共にいてくださっている主の大いなる聖名を賛美します!

(KS)

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2018.03.13 11:45 | 証し

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