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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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それは2年ほど前のことだったと思いますが、突然目が見えなくなったことがあました。その時、ある事を心に決めました。今回はその時のことをお話したいと思います。

その頃は、長時間コンピューターの前で仕事をする毎日でしたので、かなり目を酷使し、夜にはいつも目が痛くなっていました。そんなある朝、目に異変が起きました。目が覚めると、目が見えなくなっていたのです。視界一面が雲に覆われて何も見えず、恐怖に襲われました!
ぎゅっと目をつぶったり、目をこすったりしても何の変化もなく、どうしよう!目医者に行かなきゃ!手術かな!どこの目医者に良いドクターがいるの?どうやって探すの? などが瞬時に頭に浮かびました。

そして、「落ち着いて、落ち着いて・・・」と、自分に言って、陽の当たるベランダに出ました。暗雲に覆われた視力でも、太陽の光を感じることに安堵し、有難いと思いました。そして、主に祈りました。
「神様、目が突然見えなくなってしまいました。どうか元通りに治してください。」
「今まで、目が見える事に感謝してなかった事に気が付きました。申し訳ありません。」
「目が見えない人のことも考えていませんでした。目が見えない怖さと不自由がどのようなものかを体験しています。これも私に必要な事だと思って・・・」、等々。
しかし、どんなお祈りも自分の都合にあったお祈りと、治りたい一心の付け焼刃的な心だと自分で暴露し、主の深いところにある思いを今一度吟味してみるようにと主が言われているように感じました。

私は静まり、目を閉じ、私を作られた主に心を向け、このことを通して主が私に何を求めておられるのかを知りたいと祈りました。言葉で祈り、マインドで祈り、感覚で祈り、体全体の毛穴を開いて神様を感じ、応答をいただく用意をし、心をそそぎ出し祈り求めました。

この祈りの時間の中で、私は大切なことを教えられました。
主が私を創りこの世に送り出したのはご自身の御用をさせるため。私は主の僕としての役目を担い、主を証し導くことが私の務めであること。そして最後に、私の目を治すのは主ご自身である、という事でした。

主に仕える事の大切さは頭で知ってはいても、実際自分のこととして本気で受け止めてなかったので、意識の甘さに天から放たれた矢が命中したような痛烈な衝撃でした。

「私の目を治すのは主ご自身である」、という意味は、私自身がわかっていました。つまり、肉体で生きている私は医学を信頼していた為、主は私を戒め、永遠に変わることのない主に従うことを要求され、その上で、我が神にできないことは無いのだと私に自信を与え、使命の遂行をご計画されたのではないかと思いました。
目に見える事より見えないことの確かさ、それを学んだ時でした。

私は主に祈り、言いました。「私はあなたのもの、あなた無くして私の存在はありません。大宇宙を創り、目に見えるもの見えざるものをお創りになった主、あなたに従います。どうぞ私をお使いください。心身霊とも、あなたのために用いられますように。」 このような祈りを本気で、本心から主に捧げました。

主は私の祈りに応えてくださいました。二日後、段階的に目は開かれ、目の前に現れた世界は見慣れた景色ではあっても、光輝いた別天地に見えました。そして私の心に、神様がともにいるという自覚と自信が静かに確実に存在していることを感じました。私は、この世にいながら、神様とともにいることを心から感謝します。主がご計画されたこの人生を、ただ主のために歩んで行きたいと思います。

「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
(イザヤ40:28〜31)

(MU)

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2017.12.27 16:31 | 証し

Tanks Goda


私はクリスチャンになるまで、感謝は、感謝できる時だけしかしていませんでした。

だから、うまく行かなかった時や問題が起きた時には、「厄介なことになったな!」とガックリし、後始末や、やり直しや、他の方法を考えたりすることが負の時間のように感じたりしていました。そんな時に感謝するなんて、考えることがありませんでした。「ま、いい勉強だったのかな、次はうまくやろう」と思うのがせいぜいでした。

 

その後、聖書を知り、宇宙とこの地球と人間を創り、人々を愛してやまない真の神様の存在を知ってからは、価値観が天地を逆にした程変りました。

朝眠りから目覚めた時や一日が終わって休む時、健康に食事ができる時、何不自由なく生きているいことなど、当たり前に繰り返される中に神様の守りがあることを知り、感謝する日々となりました。

 

創り主が私たち人間を大切に思っていることは聖書の随所から知ることができますが、その創り主なる神様に感謝する事で、私たちの体にもたらす健康効果は、実は計り知れないほど良い影響を及ぼしていると、なにかで読んだことがあります。

感謝することは内面を穏やかにし、健やかにし、体内の臓器や細胞に至るまでその効果が行き渡るのだそうです。内面の効果は外見にも現れ、更に健康で優しい感じになることが上げられていました。

 

私たち人間は、創造主である神様がご自身に似た者として創られました。そして、「はなはだ良かった」と仰いました。ということは、神様はその出来栄えに満足しておられる、という事でしょうか。

そして、海と空と地にいる生き物とを治めよ、と言われ、人間に大きな使命が与えられました。神様が仰ったのですから、私たち人類はそれができる術も与えられているはずです。

そして今、神様から任された私たちが住む地球はどうでしょう。海と空と地にいる生き物は、人間に守られるどころか住むところを追われ、人間が作り出した有毒で危険なものに命が奪われ絶滅したり、危機状態にある生き物ばかりです。

 

そのような時代に生きる罪びとの私達ですが、それでも神様は親が子を思うように、私たちを愛し、私たちを尊い存在だと仰ってくださいます。

どんなことがあっても、神様は決して変わることがありません。それを信じるなら、状況に左右されることなく、神様のゆえに全ては益に変えられるとの確信が与えられ、感謝できる心を失うことがありません。

 

聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と教えています。

 

(MU)

 

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2017.11.22 17:35 | 証し
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私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
詩篇 121篇

この詩は、「都上りの歌」とも言われており、7 月上旬、私達夫婦が夏の生活の為に、ラスベガスから、アリゾナ、ユタ、モンタナを抜け、アイダホに行 く直前に与えられた詩です。

私達は、夏の間Southwestと言われる地域(アイダホ、ワシントン、オレゴン周辺)で生活をします。年によって違うのですが、小さな編隊で26ft.(約8m)のトラック2台、若しくは、26ft.のトラックと、トレーラー。長い時には、RVとトラックを繋げ約70ft.(21m)の編隊でアリゾナの山峡、大都市ソルトレイクの片道7レーンの国道、モンタナの山間部等を抜け、約1,200マイル(約1,930km)の距離を移動します。

移動中は、神が創造された変化に富む美しい自然を愛で、褒め称えながら、車の故障が無いように、安全に目的地に着けるよう祈りながら進みます。
実は過去にトラックのエンジン故障、RVのタイヤパンク等を経験していますので、今回の出発前にこの詩篇121篇が与えられた時に、全てをご存じの神は「信じて安心して行きなさい」と言う代わりにこの詩を与えられたのかもしれない!と思い、祈りと共に何度も何度もこの詩を読みながらアイダホに向かいました。そして5日後、無事にアイダホに着いた際には「ハレルヤ!」と大きな感謝の祈りを奉げました。

そんな出だし順調な私たちの2017年夏でしたが、アイダホに到着して3日目から、難題、トラブルが色々な角度から夫や私、そしてヘルプの人達を襲いました。大きなプロジェクトを3つほどと、それに付随する約10個の小さなプロジェクトを約2ヶ月間で終え、オレゴンへ移動する予定だったのですが、小さなプロジェクトの多くを諦めても、3ヶ月+の時間を要する程、大小様々な多くの問題が私達にふりかかりました。

最初の頃は、ひたすら聖書に向かい、祈っていたのですが、3週間目程から、聖書を読む時間と気力・体力がなくなってきました。その内祈る気力・体力もなくなっている自分に気づきました。土日もない生活でしたので、教会で礼拝を奉げることもなく、ひたすら夫と2人、この試練は私たちの為に用意されたもので、乗り越えられない物ではない!と信じ、目の前にある事を進めていきました。
そんな生活を終え、ラスベガスに戻る際も山々を見てはこの詩を読み、川を見ては口ずさんでいました。そしてラスベガスに無事戻してくださった時には、はやりこの詩を口ずさみ、感謝の祈りを奉げました。

それから約2週間後。
心身共に落ち着いて礼拝を奉げることができるようになったある日。賛美を歌っている時から「おかえり」というような言葉を感じました。
そして「随分あなたの御言葉から、そして祈りから離れた生活をしておりました、この生活を改め、またあなたの御言葉と祈りの生活を取り戻すことができますように」と悔い改めの祈りをした時に、もっとはっきりと「おかえり」と言ってくださったような気がしました。
その言葉が嬉しく、改めて感謝の祈りをした時にこの詩篇121篇がよみがえりました。
そして、この詩はただ物質的(道中の安全)なことだけではなく、私の信仰、霊的な事を含めての事だったのだ!という事に気づきました。
私がどの様な霊的状態であろうと、神は常に私の事を気遣い、心を守り、神に立ち返らせてくださったのです。

私は知っています!
私の助けは、天地を造られた主、全知全能の神。まどろむことも、休むこともない神から来ています!

ほむべきかな、主。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
詩篇 121篇

(KS)

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2017.11.09 01:50 | 証し

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