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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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前回のブログでは、仕事で訪れたバンクーバーにて礼拝に出席させていただいた時の模様をお伝えしました。(http://lvjcc0822.blog60.fc2.com/blog-entry-1100.html)
今回はその続きになります。

さて礼拝後はシニアパスターの奥様で、牧師先生でもある方がアナウンスメントをされました。そして、その日は月に一度の洗礼式がある事を知りました。このような機会はなかなかありませんし、時間がまだ許されていましたのでそのまま残る事にしました。

まず洗礼を受ける方々がそれぞれステージに呼ばれ、3つの質問に答える形での、短い証の時間がありました。その質問は、先生からの『イエス キリストを信じる前は、どんな人生を歩んでいましたか?』から始まりました。

始めに呼ばれた若いアジア系の女性は、軽やかに壇上に上がってきて、「今までは学業や仕事で成功する事が人生の目的だった」と答えました。
この女性は幼い頃から、いつもいつくもの目標を立てチェックリストを作っては、一つ一つ達成するごとに、それを消していったということです。
チェックリストの目標をすべて達成すれば、満足し幸せになれる事を信じながら。でも、その度にその願いとは裏腹に、なぜか空しさを感じる事の方が多かった。。話し方からも堅実で聡明そうな、この広告業界で働く女性は、『ではあなたはどのようにして、イエスキリストを救い主と受け入れたのですか?』との質問に、友人が教会に誘ってくれ、ある集会に出席した事がきっかけであった事、そしてそこで自分がなぜ目標をどんどん達成するのにもかかわらず、空しさが募って行くことがはっきりわかったそうです。
それは一番大切なもの、「真実の愛、即ちイエス様の愛を知らなかったからだ」と、急にこみ上げてくる涙をこらえながら、言葉に詰まりながら答えられました。最後の質問『主イエスを救い主として信じた後、どのように変わりましたか?』に女性は、「今私には心の空しさがもうなく、何故この世に生きているのか、そして生きる目的がはっきりしています。心が愛で満たされています」と。満面の笑顔で答えました。私も胸が一杯になって、涙が溢れてきました。

次は働き盛りの男性で、妻が未信者の夫である自分の為に長年祈っている間に、自身も持っている先天性の病気持ちの長男を授かった方のお証でした。妻の祈りが背後にある中、子供が病気を乗り越え成長していく姿を見ながら、ついには自分の自己中心を悔い改め、信仰を受け入れ、その長男と一緒に洗礼を受ける決心をされたとのことでした。客席でその証を聞かれていた奥様は涙ぐまれていました。さてこのご夫婦は医師から、男性の先天性の病気の為、もう子供はこれ以上あきらめた方が良いと、言われていたにもかかわらず、二人は祈って、祈って、子供を作る決心をされたそうです。そして与えられた女の子はなんと、何の障害もなく、健康そのもので生まれて来たという事でした。ハレルヤ!

3番目は、お母様が42歳と若くして亡くなられ、その後里親に出されて育てられた女性が証されました。あまりにも早い母の死に、自分もそのようになるのかもしれないと、いつも恐れて生きて来たその女性ですが、その後不思議なように教会に導かれ、奇しくも母の死と同じ年にイエス様を信じ、救われ、死の恐れから開放された事を証され、最後はその喜びを、両手を高く上げて身体一杯に現されていました。

そして最後は、今までは自分以外の人間をすべて憎み、無価値だと信じ、その上その事に共感する人々と、啓発活動すらしていた青年が証されました。彼はある日教会に、冷やかし半分また駄目元で来た時に、そこで人々にありのままの姿を受け入れてもらい、初めて無条件に愛される事、真の神の愛を知り、それから改心して救いに至った証を笑顔一杯で語られました。

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その後多目的ホールにある洗礼槽にて、多くの教会員に見守られながら洗礼式が持たれました。拍手と笑顔で満たされたホールは、神の家族が増え、天国への道、永遠が与えられた方々が与えられたその喜びで満ち溢れていました。私はその教会の牧師先生にお礼を述べて帰途につきましたが、外気は凍り付くように寒いのに、心が温かく満たされるのを感じ、鼻歌を歌いながらホテルまで戻りました。

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美しい自然と街並のバンクーバー。カナダの最大の産業都市の一つでもあり、湾岸に高層ビルが建ち並び、街の中は冬でも活気に溢れています。
でも、たとえどこに住んでいても、また表面上は全てがうまく行っているように見えても、この街にも心に空しさを覚えながら日々を過ごしている方々がいる。。そして、それはラスベガスの街でもきっと同じ事。。24時間お金さえ出せば、ほとんどの物が手が入り、煌びやかなネオンが輝く私たちの街には、もしかして、もっと多くの方が心の空しさを覚えられているかもしれない。。そんな事を思いながら、ふとパスカルの有名な言葉、「人の心の中には、神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものよっては埋めることができない。」が思い出されました。
 
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私たちの心は、神の愛を知り、イエス様を受け入れる事によってのみ満たされる、心の空洞がある事を改めて思います。そしてその空洞を持ったままで生きておられる方々の為にもっと祈り、少しでも主の愛を知って頂きたい、その為に日々私が出来る事を優先的にして行きたいと願わされました。

最後に大好きなウォーシップソングの一つ『満たしてくださる方』を Jwoship2の素敵なバージョンでお送りいたします。
韓国語の歌詞に続き、日本語の歌詞が流れますお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=DtEeU2AYfk0


主よ私は 飢え渇いて
今ここに来ました
主よあなたに 両手あげて
心からあがめます

主よあなただけが
私を満たしてくださる方
主よあなただけに
賛美の歌を捧げます


(HW)
 
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2017.02.02 03:01 | 証し

   大洋の一滴a  

食欲の秋、運動の秋、読書の秋がやってきましたね。冬の寒さに向けて、心も体も蓄えの準備に入るこの時期、ふと我が家にある本の整理整頓をした際に、本棚で眠っていた一冊の本に再会しました。それは、「マザー・テレサ 100の言葉」という本です。 

今回は、偉大なるマザー・テレサが語る「100の言葉」の最初のページから与えられた思いを、皆さんにシェアしたいと思います。 

「わたしたちのしていることが、大洋の中の一滴にすぎないことを知っています。でもこのひとしずくがなければ、この大洋に、ひとしずくの水が足りないことになるのです。」 

今に始まったことではありませんが、日常生活の様々な場面で、しなければいけないことが次々に押し迫ってくる経験を繰り返しながら、必死で過ごしているように感じることがよくあります。そして、いくら頑張っても、その努力は所詮、微々たるものに過ぎないと思うと、頑張るのを一時停止したいと思うことだってたまにはあります。皆さんに中にも、状況は異なるものの、同じように感じられるときがあるのではないでしょうか。 
子供を持つ親として、日々繰り返されるルティーンや、目前のTo Do Listに紛れて、「Doing」に重きをおくようになり、まるで神様にあっての自分の存在「Being」さえも忘れがちになっているときもあります。
 

しかし日常生活で発揮される私たちの、小さな思いやり、小さな行動、小さな働き、小さな配慮、小さな優しさ、小さな寛容、小さな憐れみは、関わる周りの人にとっては、なくてはならないものなのだと、マザーの言葉が気づかせてくれました。 

神様のお働きに携わる時も同じなのではないかと思います。たとえどんなに小さな働きに見えたとしても、神様にとっては、神様のご計画にはなくてはならない存在であり、欠かすことができない重要な存在です。さらには私たちに何ができるから、また何をしないからといって、私たちに対する神の愛が変わるようなことは、決してありません。 

まるでパズルのピーズを一つでもなくしてしまうと、もうそのパズルは完成できないように、私は小さなピースではありますが、神様の偉大なるご計画の中にあるピースとして、神の御心を求め続け、従っていく者でありたい、そう心を新たにしました。
 

わたしたちという「大洋のひとしずく」を、神様はなくてはならない存在として、今日も、これからも、ずっと必要としておられます。そう思うと、この世でたった一人の自分という存在の尊さを感じずにいられません。そのように私たち一人一人を見ていてくださる神様に、今日も感謝の思いでいっぱいになりながら、私の霊が満腹になったと同時に、親として、子供の「Doing」ではなく、「Being」に注意深く居られる力が与え続けらるよう、祈りに導かれたのでした。 

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
イザヤ43:4

 (YK)





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2016.10.25 19:26 | 証し
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23歳ごろのこと、ある旅行に参加した時に知り合ったひとつ年上の女性がいました。名前はユリさん。ユリさんが私の人生に少し加わってくれたおかげで、私の人生は大きな変化を遂げることになりました。

ユリさんは、優しくて頭の良い素敵な女性です。その旅行以来私たちは仲良しになり、お互いの家を行き来して、いろいろな話をしました。その中でユリさんはこんなことを言いました。「死ぬ、ということをどう考えるかで、生き方が変わってくる」と。当時の私には、ドキッとするような言葉でした。なぜなら、死=恐怖、破滅、人生の終り、と思っていたからです。

ユリさんが言うには、「死んだ後、無になる」と思っている人は、生きている今が良ければ目的達成、ということになるので、手段を選ばず人の道に外れたことでも、どうせ死ねば罪も自分も消えて無くなるから何をやってもOKという考え方になるかもしれない、と言いました。
また、もし「死んだ後、あの世がある」と考えている人は、生きている間はなるべく良い人になって善行を行い、天国に入れるようにと心掛けるから良い世の中になるかも、ということでした。

私はそれ以来いつも頭の中に、「死後はどうなるのか?」というテーマが張り付いたように離れなくなりました。なぜなら、その考え次第で、生き方が変わるのですから大問題だと思ったのです!
 
それまでの私は、死んだら何もなくなる、と思っていました。でも自分の利益のために、嘘をつき人をだまし不正をして自分の思いを遂げようとは思いませんでした。なぜだろう? ユリさんは、「それは心の中の良心が働いてるから」、と言いました。でもなぜ良心が働くのだろう、どうせ死んで無になるのに・・・ 良心とはいったい何なんだろう?どうしてあるのだろう? たぶん神様関係だろうけど、その存在理由と、その正体を知りたいではないか。

ユリさんは、死んだら次の世があると信じていました。人生で出会う苦難・困難こそは、自分を成長させる栄養になるものだから精一杯取り組むことが大切、と言いました。そして、答えがなかなか出ないものこそ重要だから、あきらめずに求め続けるのだとも言いました。
なるほど・・・わかります。ただ私は、苦難・困難を最高得点で解くカギは何だろうと思いました。これもあきらめずに求めるものの一つだとも思いました。

それから私たちは毎日のように話をし、大体このような形にまとまりました。
宇宙の創造主なる存在=神様は、人間がこの世界で迷うこのないように心に良心を入れられ、精神的また霊的に向上するための機会を人生の苦難という形で設け、その獲得した目に見えないものを持って、肉体を去った後、次の霊的な世界へ移行するのではないか、というものでした。
つまり、今の世を生きることは、次の世に行くために必要な準備期間、という訳です。
少なくともこの時は、ここまで行き着いたことに満足でしたが、私たちは同時に足りないものがあることも感じていました。 

それから時が流れて、ユリさんは仕事の関係で他県に引っ越して行きました。

私は、正しさの基準を探していました。国が違っても時代が違っても、どんなことにも動かされない正しさの基準です。それを知って適用できたら、この世で経験するどんな難問も恐れるに足りないと思いました。

ある時、モルモン教と出会いモルモン教の教えを聞き勉強会にも出席した時期がありました。しかし、心に感じるものがありませんでしたので、行くのをやめました。
またある時、統一教会と知らされずパーティーに出席しました。何人もの人たちと友達になりディスカッションをするグループに参加して、それなりに得るものもあると思っていた頃、「おやっ、」と思うことがあって、聞いてみると統一教会の人だということが分かり、去りました。
幸福の科学という団体にも行っていたことがありました。教えに共感できるところがあったのですが、その教えの基本を成す1箇所が急に変更されたことがあって、探しているものではないことが分かり辞めました。

時が流れて、引っ越した地の2-3駅先に、友人が勧めるキリスト教会があってそこへ行き、ヒョンなことから洗礼を受けました。順番が違いますが、洗礼の後、聖書を読んでびっくりしたことがありました。地球や人間がどのように造られたかが書かれていたからです。この方が創造主・・・? でも、聖書は難しくて、ほとんど字面を追うだけでした。 

長い年月が過ぎ、ラスベガスに住み始めて2-3年後、世界中を巡回伝道されている中野雄一郎先生が日本人教会に来るという張り紙を見て行ってみました。中野先生のメッセージと、翌週に鶴田先生のメッセージを聞き、心が喜び躍りました。それ以来毎週行くようになりました。
聖書の勉強を始めてから不思議と聖書が理解できるようになり、聖書は私にとって特別な本になりました。なぜなら、聖書には私が長年探していた正しさの基準が、「愛」という言葉で至る所に書かれていたのです。神様は宇宙や人間や全てのものを愛を持って創造され、愛無くして行うことは今でも何一つ無いのです。
これが私が探していた究極の正しさの基準なのか・・・ しかし、あまりにも崇高すぎて、比べられないし、当てはめられないというのが正直なところです。しかし分かることは、この神から離れてはならない、ということでした。

ユリさんと私の仮説で足りないところが分かりました。それは、人は誰でも罪人だということを知らなかったことでした。そして罪を持ったままでは次の世に行くことができないことも分かりました。更に、罪をあがなう方法があの十字架だったことも気づいていませんでした。

私は、神様のプランである、神の御子イエス・キリストを私の罪の身代わりとして十字架につけ、死に渡れたことにより、私に罪の許しが無条件で与えられたことを知りました。全身が震え涙が止まりませんでした。
私が罪からの救いを得られたことは、真に神の恵みでした。主はいつも私の内にいてくだいますので、今私は主にあって強くされ、主が私に力と知恵と希望を与えてくださる源となりました。

あの若き日に、ユリさんと真理を探究していた頃を懐かしく思い出します。今ではユリさんと連絡が取れませんが、マタイ7章7節に「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」とあるように、真実を求めていたユリさんも主に救われていることを信じています。   

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです」(第一ヨハネ3:16)

(MU)

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2016.10.19 11:44 | 証し

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