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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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LVJCC初の集合写真2002928

 

砂漠の街ラスベガスに、今年も厳しい夏がやって来ました。

今日の最高気温は摂氏47度、明日の予想最高気温も47度、湿度は10%前後なのでカラッとしていますが、強烈な直射日光がチクチク肌に刺さるように痛く感じます。

 

そんなラスベガスの暑い夏が来ると、教会の設立記念日が近いことを思い出します。

LVJCC/ラスベガス日本人教会が正式に誕生したのは2002822日ですから、今年2017年は15周年に当たります。その15周年記念礼拝は、来月716日に予定されています。

教会にゆかりのある方々、様々な事情で足が遠のいておられる方々、一度行ってみたいと思っておられる方々等、どなたでもご一緒にお祝いしていただけますと大変感謝です。歓迎いたします。

 

 

ご存知のように、本教会の牧師・鶴田先生と潤子夫人は2001121日から、ラスベガスの開拓伝道を始められました。

ロサンゼルスの郊外からラスベガス間片道500Km の道のりを毎週車で通って来られ、ラスベガスへ居を移された2003726日まで続けられました。

それは20ヶ月、85回、走行距離85Km、地球を2周以上するほどの距離だそうです。

それを可能にしたのは、鶴田牧師ご夫妻の確信に満ちたビジョンと強い信仰、また、主の大いなるご計画と守りがあって成し得たことと受け止め、感謝を持って主の御名を褒め称えます。

 

鶴田牧師ご夫妻がラスベガスの開拓伝道を始められる前は、安藤英世牧師が、定期的にロサンゼルスからラスベガスを訪れて福音の種を蒔いておられたとお聞きしています。

時が経ち安藤牧師のロサンゼルスでのお働きが忙しくなり、ラスベガス訪問が難しくなって来られた頃、主はラスベガス伝道のバトンを鶴田牧師ご夫妻に託されました。

 

ラスベガス伝道での最初の日2001121日)は、安藤牧師から紹介された夕紀子姉と基江姉の2人との聖書の学びでスタートしました。

以降、鶴田牧師ご夫妻は、日本人人口の少ないラスベガスで日本人を尋ね歩き、本当にご苦労を積み重ねられました。

 

2002年 310日の日曜日、当時、ハワードジョンソン・ホテルのジェネラル・マネージャーをしておられた呉服豊兄のご好意で、ホテルの会議室を無料で使わせてもらい、最初の礼拝を持つことができました。本当に感謝なことです。

 

更に主は、教会に何人もの働き人を送ってくださいました。Norman兄&美佐子姉ご夫妻、Omar兄&みつこ姉ご夫妻、Vivian& FamilyGreg兄、また、栄子姉のお宅で長年行われていた聖書勉強会の数人も加わりました。その他にも何人もの兄弟姉妹が主に呼び集められました。

 

そして、提出していた非営利団体としての教会登録が受理された2002822日が、教会が正式に設立された日となりました。

 

こうして主「わたしは荒野に道を設け、砂漠に川を流れさせる」(イザヤ43:19)と言われた通り、この荒野に囲まれた街ラスベガスに初めての日本人教会を立上げ、イエス・キリストに繋がる道を設けてくださり、乾ききった心に聖霊の川を流れさせてくださいました。まさに、「神のなさる事は、すべて時にかなって美しい。」 

 

教会設立から15年の間、祝福に満たされたことも、試練の中を歩んだこともありました。ですが、どんな場合でも、それは神様からの愛と恵みの機会でした。

これからの教会の歩みがどのように導かれるかわかりませんが、「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私たちはわざわいを恐れません、あなたが共におられるからです。」と言ったダビデのような心を持って、生涯、主に従っていけたら何と幸いでしょう。

そして、私たち教会が、ラスベガスの失われた日本人の魂を、一人でも多く救うことができますように祈ります。

 

MU

 

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2017.06.21 20:07 | お知らせ

Lynsiが語る生きた証し

先週のIn – N – Burger (1)に続き、35歳で億万長者となった In-N-Outバーガーのオーナー社長Lynsi Snyder (Lynsi Torres)の生活が、主によってどのように変えられたかご紹介させていただきます。

クリスチャンファミリーに生まれたLynsiは、自身もクリスチャンハイスクールを卒業しています。そんな彼女の最初の大きな困難は12歳の時に訪れました。両親が離婚したのです。それ以来、人からの注目や愛情、特にお父様からのそれを求め始めたそうです。更に5年後、Lynsiが17歳の時に大好きだったお父様が亡くなりました。愛情や注目に飢えていた彼女の前から、お父様という存在そのものが消えてなくなったのです・・・。 その時の事を彼女は「世界から閉ざされたようで真っ暗な闇の中で孤独感を味わった」と言っています。

その孤独感を埋めるかのように、Lynsiは18歳で最初の結婚をしました。しかし、Lynsiの孤独感は癒されず、結婚中に他の男性と関係を持ち、結婚から約3年後に離婚しました。彼女は後、この結婚の前に「結婚はしないように」と言う神様からの小さな声を聞いたけれども、寂しさに勝てなかったと言っています。

その頃家族から見放されたこともあり、他の男性からの愛情を更に強く求めたLynsiは、マリファナやアルコールを常用する男性との生活を始めた様です。しかし、そのような自分を薬物中毒で亡くなったお父様の姿と重ね合わせ、主の前に出て自分が変われるように祈り、マリファナやアルコールを手放すことができたそうです。それだけではなく、男性にも同じようマリファナやアルコールから離れる生活を勧め、男性がイエス様を信じる者となったそうです!
その後、その男性と結婚し2人の子供を与えられましたが、最初の結婚と同じように他の男性と関係を持ち、約6年間の結婚生活を終えました。

この上なく自分の不甲斐なさを感じたLynsiですが、自分を取り戻すことも孤独に勝つこともできず、直ぐに以前から関係を持っていたその男性と3度目の結婚をしたのです。
今度の結婚は大丈夫だろうと思ったのもつかの間、Lynsiの妊娠中から約3年半の間、夫が他の女性と関係を持つ生活が続いたそうです。ただ愛し合い、感謝しあう関係を求めていたのに、Lynsiはゴミくずの様に扱われ、求めていた生活とは程遠い最悪の時期を過ごしたそうです。3度目の離婚危機を感じるこの様な生活は、過去の自分の罪から起きていることで、神様からの罰だと思い、この上もない敗北感を感じながらも最悪の状況を耐え忍んでいたそうです。

そんな時主は、お父様や過去の男性たちにすがって主にたよることをしなかったばかりか、その素晴らしいご計画を知ろうともしなかったLynsiに、それらを手放すことを強制されたそうです。
それにより3人目の夫と離婚したLynsiは、人にすがる生活から離れ一人の時間を過ごしました。しかし、その時間は完全に一人ではなく、水の上を歩き、病を癒されたイエス様が共に居てLynsiの心に触れ、その空間を埋め、神の目から見たLynsiという人間を示し、自分の存在意義を示してくださったそうです。
まるで、Lynsiのお父様が自転車の乗り方を教えてくださったように、主はこれからの人生を歩むLynsiに道を示してくださり、お父様との時間とは比べ物にならない、これまでの人生で一番満たされた最高の思い出の時間を与えてくださいました。

イエス様によって心の空間を埋められ癒されたLynsiは、4度目の結婚をしました。そして、今度は目に見える「人間」からの愛を求めるのではなく、キリストの体である人たちを集め、キリストの愛と聖霊の力により傷ついた人たちを癒す事を目的とした「Army of Love Foundation」というボランティア団体をその夫と立ち上げ、キリストの愛を分け与える人間となりました。
Lynsiにその存在意義を示してくださった主は、今もLynsiと共に居てくださり、主から預けられた大切なIn-N-Outバーガーを大切に経営する力と知恵、そして主の愛で傷つき助けが必要な人達を助けるための力を与えてくださっているようです。


こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。6主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 0なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分のきよさにあずからせようとして、懲らしめるのです。 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ヘブル書 12:1-11

(KS)

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2017.06.13 01:02 | お知らせ

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数多くの忘れられない感動的なストーリーが続々と繰り広げられるオリンピックゲームから、早八ヶ月ほどが経ちました。私は4年に一度開催される夏のオリンピックが特に大好きで、次回2020年はなんと母国日本で開催されることがとても楽しみで仕方ありません。


何よりも、参加するアスリートの背景や生き様に興味をそそられます。特に選手を支える信仰が明らかにされる場面に出会う時、素晴らしい感動を覚えます。そして神の御介入を疑う余地がない、そのような出来事から、多大なる励ましを受けます。


今日は、すでにご覧になられた方も多くいらっしゃると思いますが、2016年リオ・オリンピックで起きた感動のエピソードをご紹介します。


女子5000メートル予選で、米国のアビィー ダゴスティーノ選手とニュージラントのニッキー ハンブリン選手がおよそ2000メートル地点で接触し、転倒してしまいます。


致命的な状況下でアビィー選手は、先に転倒したニッキー選手が倒れたままであるのを見て、真っ先にニッキー選手の肩に手を差し伸べ「立って、立って、最後まで走らないと!」と励ましました。


母国の代表として晴れて参加の切符を手に入れた選手たちは、この晴れ舞台のために、一生をかけて想像を絶するほどのトレーニングを積み重ね、万全に備えた上で挑むのが当然であり、たとえ転倒してしまったとしても、即座に立ち上がり振り向くことなく先頭群に追いつけるよう走行を再開するのが普通でしょう。


でもアビィー選手は、違いました。実際に負傷したのは彼女自身であったのに、まず先にニッキー選手を励まし、2人でレースを走り続けるのでした。膝に大怪我を負ったアビィー選手は、棄権をも止むを得ない状況にもかかわらず、最後までレースを走り抜けたのです。そして先にゴールしたニッキー選手は、最下位のアビィー選手をゴールで待ち続け、二人は感動の抱擁を交わすのでした。この時まで、二人はお互い全く知らない存在でした。


最後まで諦めずにゴールを目指した二人の姿に称賛が集まり、大会側も特例で2人の決勝出場を認めたのでした。(アビー選手は怪我のため決勝出場ならず)


クリスチャンであるアビィー選手は、これまでにもSNSなどで普段から自分の信仰をシェアしており、陸上を通して神に栄光を帰することへの喜びを綴っています。


そんな彼女は、この場面を自身で振り返り、このように語っています。


「きっと瞬時に本能からあのような行動をとったのかもしれませんが、今思うと神様があのように応答するようあらかじめ私の心を備えてくださったのだと確信しています。」


さらには、「神から来る平安と喜びと満たしを経験するには、自身を神に明け渡す事の他にはないと頭ではわかっていましたが、自分の信仰が公に表される状況下に置かれる経験をすることができたことはとても新鮮でした。」と語りました。


感動のシーンを何度も見ながら、自分もまた神に全てを明け渡し、イエス様から目を離すことなく「信仰」のレースを走り抜きたい、そう切に思いました。と同時に、目に見えるスコア上の勝利ではなく、「本当の勝利」って、なんだろう?と改めて考えさせられるのでした。


その時のシーンはこちらから


こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。


信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。


ヘブル書12:1−2



YK



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2017.04.27 00:37 | お知らせ

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