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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

牧師室より#399-「障害者という者は存在しない_」_convert_20180818023545 


障害者という者は存在しない



皆さん、お元気ですか?


まずはこちらの動画をご覧ください。私はこれを見て甚く感動し、忘れかけていた大切なことを改めて教えられました。


いつ頃からか、アメリカでは障害者のことをHandicapped personDisabled personではなくChallenged personと呼ぶようになりました。これは障害を持った人を「挑戦という使命を与えられた人」「挑戦する機会や資格を与えられた人」と呼ぶことで、障害を否定的に捉えるのではなく、もっと肯定的に、さらに言えば、障害者と呼ばれてきた人たちの本当の存在目的をこの世に示そうとしているのだと思います。


ところで、この動画の青年を見て、あなたはどんな事を感じられましたか? 彼を可哀想な人、気の毒な人だと思われましたか? それとも凄い人、多くの人に励ましを与える人とは思われませんでしたか?


私はこう思いました。世の中の人々は、彼の生き様を見るのと私の生き様を見るのとどちらに感動を覚え、どちらから励ましと生きる力を与えられるだろうか?と。もちろん彼のほうです。


それから次に思いました。この世的には、彼よりも私のほうが多くの面で優っているはずなのに、なぜ人は彼の姿に感動するのか・・・? そして、その理由をいろいろ考えてみました。そこで最終的に行き着いた結論は、彼が彼自身を一生懸命に生き、そういう彼を神様が用いられておられるからだということでした。


イエス様は、弟子たちが生まれながらの盲人を見て、その人が生まれながらに盲人なのは彼の罪のせいか、それとも彼の両親の罪のせいか、と尋ねられたとき、彼が生まれつき盲人なのは「神の御業が彼の上に現れるためである」と答えられました。


つまり、それを言い換えれば、すべての肉体の障害は、神様がその人をご自分のメッセンジャーとして用いるためだということです。


この世は効率を追求します。便利さを求めます。ジャガイモを収穫し、洗って皮をむき、薪で火を起こして料理をし、しかもすべての工程を足だけでこなし、それを食べるまでに何時間もの時間を要する生活を誰もしたいとは思いません。しかし、なぜこの青年の姿に感動を覚えるのでしょうか?


この青年の、不平不満を言わず、前向きに、一生懸命に生きる姿を見て、不平不満の多い、後ろ向きな、中途半端な生き方をしている自分を示され、これではいけない、これからはもっと頑張ろう、と思わされるからではないでしょうか。


足の指をまるで手の指のように自由自在に使う姿を通して、彼は人間の体の素晴らしさ、可能性を私たちに教えてくれ、「あなたにもできるよ」と語りかけてくれるからではないでしょうか。


あの貧しい、非文明的な生活の中でも活き活きと暮らしながら、彼は「物の豊かさが人の幸せを決めるのではありませんよ」と言っているかのようです。


Challenged personは障害者ではありません。大切な真理を私たちに示し、貴重な教訓を私たちに与えるために神様から特別な任務を与えられている人たちだとは思いませんか?



今日の一言: この世に障害者という者は存在しない



鶴田健次





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2018.08.19 01:43 | お知らせ

牧師室より#398-「成功」の反対は何? 

“成功”の反対は何?


 

 皆さんは「成功」の反対は何だかご存知ですか? 「成功」の反対は「失敗」だと思っていませんか? 実はそうではないのです。昔から「失敗は成功のもと」と言われるように、「失敗」はむしろ「成功」への不可欠な道であり、「失敗」の数が多いほど成長するものです。

  

 発明王エジソンは、一万回以上も失敗を繰り返した末、遂に白熱電球を発明しました。ある時、エジソンは新聞記者に、「電球を発明するのに一万回も失敗したそうですね」と聞かれたとき、「私は失敗なんてしていない。うまくいかない一万通りの方法を見つけただけだ」と答えたそうです。またさらに、「もし、一万回以上も挑戦して成功できなかったとしたら、今頃何をしていると思いますか」と聞かれ、とエジソンは「今でも研究室で実験を繰り返していると思うよ」と答えたそうです。

  

 多くの人が、成功するためには失敗してはいけないと考えています。そのために新しいことに挑戦する一歩をなかなか踏み出すことができないのです。新しいことに挑戦して、一度も失敗せずに、全てが思い通りにいった人など一人もいません。自転車に乗れるようになることすら、実際に自転車にまたがって、何回も転んで練習するしかないのです。

  

失敗とは、うまくいかない現状を受け入れて、自分が諦めてしまった時にのみ起こる現実です。ウィンストン・チャーチルは、「成功とは、情熱をなくさず失敗から次の失敗へと移行することである」と言いました。つまり成功のためには失敗は必然なのです。


では成功の反対は何でしょう? 成功の反対は「何もしないこと」です。  


聖書の中に、「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」という御言葉があります。これは神の霊を注がれた者に約束されたことで、大人でも子供でも、神は信じる者に幻(夢)を与え、その実現を目指して歩むことを求めておられるのです。


あなたの夢は何ですか? 夢を持っていない人は、まず神が与えて下さる夢を持ちましょう。そして、その夢の実現を信じ、夢に向かって歩み続けましょう。失敗を気にせず歩み続けましょう。信じて歩み続ける者は、必ず夢の実現を見ることでしょう。



今日の一言:「成功」の反対は「何もしないこと」     



鶴田健次



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2018.08.11 01:48 | お知らせ

見逃しの三振_convert_20180804012301 

見逃しの三振


野球の試合を見ていて何が一番悔しいかというと、バッターがバッターボックスに立って一度もバットを振らずに三振をすることです。


どんな球でもバットを振りさえすればヒットになる可能性があります。またランナーを送ったり、仲間にホームを踏ませたり、ホームランになる可能性だってあります。しかしバットを振らなければ、そのすべての可能性が閉ざされてしまいます。なのに、なぜバッターはバットを振らないのでしょうか?


理由は簡単です。それはバッターが、飛んでくる球からヒットが見えないからなのです。つまり、バッターはその球を打つとアウトになるイメージを瞬間的に見てしまうので、アウトにならないためにバットを振らないのです。


実際、打った球がどこに飛んでいくかは誰にも判りません。甘いストライク球でもアウトになることもあれば、明らかなボール球でもヒットになることがよくあるものです。しかし、アウトになるイメージを見てバットを振らなければ、間違いなく見逃しの三振になるのです。


これは人生においても同じです。人は誰でも人生のバッターボックスに立ちます。そこで、期待している事が上手くいかないイメージを見る人は失敗を恐れて何もしようとしません。しかし、将来に期待していることが上手くいくイメージを見る人はバットを振りつづけるので、必ずやがてヒットを打つのです。


使徒パウロは「私は、私を強くしてくださる方(キリスト)によって、どんなことでもできるのです」と言いました。ですから、私たちは何も恐れる必要はないのです。恐れて何もチャレンジしないというのではなく、キリストにあってどんなことでもできると信じてチャレンジをすべきです。


あなたは人生のバッターボックスでバットを振る人ですか? それとも振らない人ですか? ストライク球を見逃さずにバットを振り続け、ぜひ人生のホームランを打って下さい。



今日の一言: 人生のホームランを打とう



鶴田健次 

      

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2018.08.04 01:23 | お知らせ

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