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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を



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今度、文句を言いたくなったら・・・


先日、このような詩を目にしました。
ちょっと立ち止まって考えさせられました。


今度、文句を言いたくなったら・・・

今度、自分の人生はなんと酷いものかと思ったら、今ちょうど息を引き取った人がいることを思い出しなさい。

今度、食べ物のことで文句を言いたくなったら、次の食事をどうやって手に入れたらいいか分からない人がいることを思い出しなさい。

今度、あなたの伴侶や友達のことで文句を言いたくなったら、一人ぼっちで話し相手もいない人もいることを思い出しなさい。

今度、みすぼらしい家で文句を言いたくなったら、道ばたで生活している人もいることを思い出しなさい。

今度、長い通勤時間で文句を言いたくなったら、歩いて通勤しなければならない人もいることを思い出しなさい。

今度、仕事のことで文句を言いたくなったら、仕事のない人もいることを思い出しなさい。

今度、誰かの失敗に文句を言いたくなったら、われわれはみんな間違いを犯す者であることを思い出しなさい。

あなたの持っている良いものを見るようにしなさい。

あなたは思ったより恵まれているものです。


今日の一言: 私は思ったより恵まれている


鶴田健次

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2022.11.26 03:21 | 牧師室より

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コペルニクス的転回

 

コペルニクス的転回とは、もともとはインマヌエル・カントが自らの哲学を評するために使った言葉ですが、これから派生して、旧来の天動説に対するコペルニクスの地動説のような、物の見方が180度変わる大転換をコペルニクス的転回と言うようになりました。

 

また、このように、人は人生の様々な特殊体験を通してコペルニクス的転回を経験し、物の見方が180度変わることによって、その生き方が変わり、人生が大転換されるものです。

 

たとえば死から復活されたキリストとの出会いを通して、キリスト教の大迫害者からキリスト教の大伝道者に変わった使徒パウロなどは、まさにこのコペルニクス的転回の経験者の良い例です。また、ニクソン政権の大統領補佐官であったチャック・コルソンもその一人として挙げることができるでしょう。

 

敏腕弁護士であった彼は、ニクソン大統領の補佐官として活躍しましたが、ウォーターゲート事件で実刑判決を受け、刑務所生活を送ることになります。しかし彼は、そこに至る苦悩の日々の中で、イエス・キリストを救い主として受け入れ、また数年に及ぶ服役体験が、彼の人生を大きく変えました。受刑者たちが獄中で人間以下の扱いしか受けていないことを体験した彼は、出獄後、刑務所の改善運動と受刑者伝道にその生涯を捧げるのです。

 

パウロにしろ、コルソンにしろ、キリストを通して神との関係を回復し、新しい価値観、人生観、世界観を与えられることでコペルニクス的転回を経験したのです。

 

カリフォルニアにあるカルバリーチャペルにラウル・リースという牧師がいます。メキシコから渡って来たギャング、またカンフ-の達人であった彼は、殺人をはじめ、麻薬の売買、強盗、恐喝、売春と、ありとあらゆる悪事を働き、すべての人から嫌われ、恐れられ、最後には妻と一人娘までもが彼を恐れ、彼から離れて行こうとしました。 

 

その事を知った彼は、この世で唯一、自分の側にいてくれると思っていた妻と娘まで失うくらいなら、いっそうのこと二人を殺して、自分も死のうと決心します。彼はライフル銃をつかみ、二人が外出から帰って来るのを待ちました。そこには完全に人間としての望みを捨ててしまった者の姿がありました。

 

心のイライラをまぎらすために、彼はテレビのスイッチを入れました。するとそこに映し出された画面は、カルバリーチャペルのチャック・スミス牧師が神の愛について説教をしているところでした。

 

彼は、生まれて初めて聞く神の愛についてのメッセージを信じる事が出来ませんでした。自分のような悪人を、たとえ神でも愛してくれる筈がない。ここまで悪い事をしてきた者を、たとえ神でも赦す筈がない、と彼は思いました。 

 

しかしメッセージを聞いていくうちに、もしこんな自分でも愛してくれるという神がいるなら、またこんなひどい罪を犯した自分を赦してくれるという神がいるなら、死ぬ前に、その神に自分の人生を賭けてみようと決心するのです。

 

そう決心するやいなや、彼は、いても立ってもいられなくなり、急いで車を飛ばし、この礼拝のテレビ中継をしているコスタメサにあるカルバリーチャペルという教会に行きました。

 

教会に着いて礼拝堂のドアを開けると、ちょうど説教が終わり、イエス・キリストを信じる決心をした人々が、静かな音楽が流れる中を、チャック・スミス牧師のいるステージにゆっくりと向かっているところでした。彼は、その意味も分からないまま、生まれて初めて大粒の涙を流しながら、中央の通路を走り、ステージの前にひざまずきました。

 

言いようのない神の愛を全身に感じながら、彼は、ただただ感動の涙に肩を震わせるだけでした。そして、はからずもその時、その礼拝堂の会衆の中に、この信じられない光景を見ていた彼の妻と娘の姿がありました。

 

この大きな神の愛を経験した彼は、全く生まれ変わり、愛する妻と娘を取り戻すことが出来ました。家庭に喜びと明るさがもたらされ、彼はこの素晴らしい神の愛を伝える為に牧師になり、今では大教会の牧師をしています。だれが昔の彼の人生に、こんなシナリオを書く事ができたでしょうか。

 

神の愛はどんな人の人生をも変えることができます。どんな人にもやり直しの機会を与えます。神の愛は傷ついた人の心を癒し、絶望の中にいる人に希望を与えます。

 

あなたは、この神の愛を受け取っておられますか?

神の愛はあなたをあらゆる罪の束縛から自由にします。 

 

 

今日の一言: 誰にでもコペルニクス的転回を経験する機会がある

 

 

鶴田健次

 

 

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2022.11.12 16:52 | 牧師室より

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天使が奏でるピアノ



人間の可能性に関して、世の中を見まわして感じることのひとつは、人間の可能性はその人の能力次第ではなく、その人の心次第であるということです。つまり、心が何を信じているかで、その人の生き方は決まってしまうと言っても過言ではないと思います。

 
もし、その人の心が医者になると決めていれば、その人は将来、医者になるでしょう。もしその人の心がプロ野球の選手になると決めていれば、その人はきっとそうなるでしょう。もちろん、そこには様々な困難の壁が立ちはだかるでしょう。しかし、単にそうなりたいという願望ではなく、そうなると心が決まっていれば、その人はどんな困難の壁があろうと、心が決めた道を突き進み、やがて目標を達成していくのです。
 
二本指のピアニスト、イ・ヒアさんのお話をします。彼女は19859月生まれの37歳。先天性四肢奇形で両手に2本ずつ、全部で4本の指しかなく、さらに膝下の足もありません。そんな彼女が、文字どおり、血のにじむような練習を重ねて、世界中の人々に感動を与えるピアニストになったのです。
 
彼女がまだ5歳のとき、指の関節の力もなく、鉛筆も満足に持てない彼女に、お母さんは関節の力をつけさせようと、ピアノを習わせました。ところが、思うようにピアノを引けない彼女にしびれを切らした先生は、「この子には才能がない」とさじを投げてしまいます。
 
そこで、お母さんは自分がピアノを習い、それを娘に教えるということを始められたのです。わが子に必要なものを得させるために、愛をもって心を鬼にし、娘がどんなに練習を嫌がっても、それを許さず、一日に10時間以上練習させることも珍しくなかったと言います。
 
ヒアさんは、そのような厳しい母親に対し、「この人は本当に私の母親なんだろうか」と憎しみを覚えることもあったようです。しかし、彼女はその厳しい練習に耐え、信じられない可能性が開花されていったのです。それはヒアさんの努力の賜物であると共に、お母さんがそうすることを心に決めておられたからだとも言えるでしょう。
 
ヒアさんは、ピアニストとして世界中で活躍するようになった今、「私を産んでくれた母に、私をここまで育ててくれた母に心から感謝したい」、「私の演奏で、多くの人が勇気をもってくれたら嬉しい」と言われます。
 
一日10時間に及ぶ練習は、確かに彼女にとって過酷な戦いだったでしょうが、そのおかげで、以下のような栄誉に与ることができたのです。
 
7歳にして学生音楽コンクールで最優秀賞を受賞。
19936月、第6回全国障害者芸術大会で最優秀賞を受賞。
199710月、初のリサイタルを開催。
1999年、障害克服大統領賞を受賞。
金大中大統領の招きで、青瓦台(大統領官邸)での演奏を行う。
200010月、シドニーで開催されたパラリンピックにて祝賀演奏。
20015月、世界原子力会議での招待演奏。
20024月、愛の音楽会の招待演奏で、江南シンフォニーと協演。
20031月、アメリカ、カナダ・ツアーを行い各地で絶賛。
12月には韓国の名ソプラノ、スミ・ジョーと共演。
20046月、KBS交響楽団と協演。
20052月、カナダ・ツアーを行う。
(この後にも多くのコンサート活動が続きます)
 
また数多くのマスコミで採り上げられたほか、童話、マンガ、DVDなど多くの媒体で紹介され、さらに国内外で多数の演奏会を開くなど、立派に障害を乗り越え、多くの人々に勇気と感動を与えています。
 
ある音楽家の方が、このようなコメントをしておられます。
 
「ショパンの幻想即興曲を弾く彼女の姿をテレビで見た時は信じられませんでした。指10本でも右手と左手を合わせるのが難しい難易度の高い曲です。彼女は、この1曲を仕上げるためにどれだけの時間をかけたのでしょうか。音大卒の私は、一日8時間以上ピアノに向かうことが普通だってことや、弾けない箇所があれば、たった2小節を何時間でも練習することが当たり前だということも知っています。私はクラシックとは、人間の限界の境界に存在する音楽だと認識しています。指が10本あったとて、1曲を完全に仕上げるためには、それくらいの努力が必要なのです。」
 
それでは、イ・ヒアさんの演奏と練習模様をお楽しみください。
 
 
演奏を観ていると天使が一緒にピアノを弾いているようです。
 
 
今日の一言: 心を決めて努力をすれば人には計り知れない可能性が広がる
 
 
鶴田健次
 
 


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2022.10.01 15:06 | 牧師室より

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永遠の世界

 

 

いきなり変な質問をしますが、あなたは、死後に”永遠の世界”があることをご存知ですか? このメッセージは、「永遠の世界って何?」とか、「そんなものあるわけないよ!」と思っている方にぜひ読んでいただきたいものです。

 

ある日、かげろうとバッタが一緒に遊んでいました。夕方になった時、バッタはかげろうに、「今日はこれでやめて明日また遊ぼう」と言いました。かげろうは、「明日ってなに?」と聞きました。バッタは、「夜になると暗くなり、その後しばらくすると明るくなるでしょ? それを明日というんだよ」と答えました。しかし、結局、かげろうはバッタの話が理解できませんでした。

 

ある日のこと、バッタがカエルと一緒に遊んでいました。カエルは、「もうじき寒くなるから、しばらく一緒に遊べないね。また来年会おう」と言いました。するとバッタは、「来年って何?」と聞きました。カエルは、「来年というのは、寒い冬が終わって、暖かくなったら来るものだよ」と言いました。しかし、バッタはカエルの話を理解できませんでした。

 

人は誰でも、もしその人が本当に望むなら、『永遠の命』を得ることができます。しかし、この世の事しか解らない人は、「永遠の命って何? そんなもの信じないよ!」と言うのです。

 

ところで、あなたはなぜ自分が今いる所に住んでいると思ってらっしゃいますか? あなたのその所での生活は、そこに住んでいる理由をどう考えているかで大きく違ってくるものです。

 

あなたがそこに住んでいるのは、仕事がそこにあるからですか? 家をそこに買われたからですか? それとも学校に行くためですか? あるいは家族や親しい友人がいるからですか? おそらく、それぞれが色んな理由でそこに住んでおられることでしょう。

 

しかし、ここで立ち止まって考えてみて下さい。毎日、仕事に行って、帰って寝て、また仕事に行きます。時どき旅行に行ったり、映画を見たり、友達と食事をしたりして楽しく過ごします。その繰り返しで10年、20年、30年、40年があっという間に過ぎていきます。

 

そこであなたにお聞きします。人生とは果たしてそれだけの事でしょうか? それだけの事のために人間は生きているのでしょうか? もし人生がそれだけのものなら、人生は空しくはありませんか? 年を取るにつれて、寂しさ、空しさ、死の恐れが増すだけです。

 

しかし、そうではありません。人生はそれだけではないのです。人生にはもっと素晴らしい意味があり、目的があり、永遠の希望があるのです。なぜなら神がおられるからです。私たちの存在よりも遥かに確かな存在として神はおられるのです。ところが、ただ目に見えないという理由だけで人は神を信じようとしないのです。私もかつてはそうでした。

 

そんな中、物事を見る視点が変わり、色んな事を聞いて、学んで、解かってくると、目からうろこが落ちて、神の存在を疑いようのない事実として私は信じるようになりました。その神は、日本人の頭の中にある八百万の神のように、自分たちの都合に合わせて人間が作った神々などではなく、永遠の中に存在しておられる偉大なお方です。

 

その偉大な神は、天地万物を造り、今の世の世界と永遠の世界とを支配し、罪を持ったままでは永遠の地獄に行くしかない人間のために、ご自分の独り子イエス・キリストを遣わし、人間の身代わりとして十字架に架けることによって人間の罪を裁き、また三日目に死からよみがえらせることによって、信じる者に永遠の命を与えることを保証して下さったのです。

 

ですから、この世の人生は、キリストにある救いを手に入れることが最大の目的ということになるのです。なぜなら、私たちは、自分の罪のために永遠の裁きが定められているからです。

 

あなたは、この事実と本気で向き合ったことがありますか? それとも、あなたは確かな根拠をもって、死後の世界などないと言い切ることができますか? もしできなければ、それが事実かどうかを確かめるために、少しの時間を使ってみて下さい。キリストにある救いを得ずに永遠の滅びを刈り取るとしたら、それはあまりにも失うものが大き過ぎるからです。

 

 

今日の一言: 永遠の命は失うにはあまりにも損失が大きい

 

 

鶴田健次


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2022.08.23 00:07 | 牧師室より

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失敗に学ぶ人生

 

人生には、失敗はつきものです。何かをやろうとしたら、最後までスムーズにやり遂げることなど滅多にありません。ほとんどの場合、人は途中でくじけそうになったり、諦めかけたりするものです。

 

しかしながら、自分の経験だけでなく多くの人々の経験から分かることは、失敗を通して色んなことを学ぶことができるということです。

 

そもそも英語のSUCCESS(成功)という言葉は、「後から来る」という意味のラテン語に由来しています。それが何の後から来るのかというと「失敗」の後からなのです。つまり、成功とは失敗の後から来るものだということです。特に、大きな失敗は、一時的には大きな痛手にはなりますが、その度合いが大きいほど、めざましい変化につながります。なぜなら自分を真剣に変革しようという気持ちが生まれるからです。

大失敗したり、大病を患ったりした人は、その中で多くのことを考え、学び、人間的にも大きく成長して、以前よりずっと魅力的な人間になることができます。最悪の失敗が最良の結果をもたらすこともあるのです。

 

世界最高峰に7度の登頂を果たした米国の登山家ピート・アサンズは、「エベレストに挑んだ最初の4回の遠征では、どうやったら登れないかを学びました。失敗は、アプローチに磨きをかけるチャンスを与えてくれるものです」と言っています。

 

その意味では、中途半端な失敗よりも、大きな失敗の方が良いくらいです。人間というのは、どうも成功からはあまり学ばず、失敗して初めて真剣に物事を考え、大切なことを学び取っていくようです。

 

聖書の中にも、多くの失敗をした人々の人生が記されています。信仰の父と呼ばれる、あの偉大なアブラハムでさえも大きな失敗を経験しました。その一つが創世記の16章に出てくる出来事ですが、彼の生涯において最も大きな失敗でした。

 

アブラハムはこの失敗によって、13年間も神からの呼びかけを聞くこともなく、神からの導きも一切ないという神の不在経験を余儀なくされたのです。逆に、その失敗は家庭内にいろいろな問題を引き起こし、そればかりか、4000年以上たった今日においても、世界はその問題を引きずっているのです。

 

神を信じるクリスチャンにとっても、失敗のない人生、失敗のない信仰生活はありません。創世記16章のような出来事は信仰者の誰もが必ず引き起こす間違いです。つまり、それは神から与えられた約束を私たちの力で実現しなければならないと考えてしまうことからもたらされる失敗です。

 

「失敗は成功のもと」という格言があるように、神を信じる人生においても、私たちは多くの失敗の痛みを通して、多くのことに気づかされ、成長していくものです。やがてイスラエルの民も自分たちの国を失うという痛みを経験しながら、はじめて神の教えを喜びとし、昼も夜もそれを口ずさむというライフスタイルを形成していきます。

 

「苦しみに会ったことは、私にとって幸いでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇11971)という詩篇の記者の告白も、自らの失敗を通して学んだ結実でした。

 

創世記に記されたアブラハムの全生涯を見渡すとき、彼に対する神の導きの中に失敗の経験が無駄なく組み込まれているように見えます。失敗それ自体は、辛く、痛みを伴うものですが、それがやがて益となり、アブラハムをして「信仰の父」と呼ばれる者に導かれた神の恵みと真実に目を留めたいものです。

 

 

今日の一言: 成功は失敗の後から来る

 

 

鶴田健次

 


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2022.08.05 11:10 | 牧師室より

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