FC2ブログ

LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

0418_top.jpg 


ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)

  

 今日は、Good Fridayです。今から約2000年前の今日、人類史上最大の事件がありました。それは神の子キリストが人類の罪を贖うために十字架に架かられた事件です。

 

 イエス・キリストはピラトの官邸で行なわれた裁判で死刑判決を受け、十字架を担いで処刑の場となったゴルゴダの丘まで歩いて行かれたわけですが、その曲りくねった道をVia Dolorosa(悲しみの道)と呼びます。そして、その道に沿ってイエス・キリストにまつわる出来事を記念した14のステーションが設けられています。

 

 まず、第一ステーションから第九ステーションまでは旧市街の通路の傍らにあります。最初の地点は主イエスが裁判を受けたとされる総督ピラトの官邸の跡地で、現在はエル・オマリア小学校の校舎が建てられています。そこからライオン門通りを隔てた向かい側に第二ステーションがあり、第三から第五ステーションまでがエル・ワド通りの細い路地の中に、第六から第八ステーションまでがヴィア・ドロローサ通りの南側に、第九ステーションが聖墳墓教会に隣接するコプト教会の中庭にあります。残りの第十から第十四ステーションまでは聖墳墓教会の内部に設けられています。

 

 

第一ステーション(主イエスが死刑判決を受けられた場所)

 

第二ステーション(主イエスが鞭で打たれ、十字架を背負わされた場所)

 

第三ステーション(過酷な拷問で体力を無くされた主イエスが倒れたとされる場所)

 

0419.jpg 

 

第四ステーション(母マリヤが群衆に混じって主イエスを見られたとされる場所)

 

第五ステーション(クレネ人シモンが主イエスに代わって十字架を担がされた場所)

 

第六ステーション(ベロニカが主イエスの顔をベールで拭ったとされる場所)

 

第七ステーション(主イエスが二度目に倒れたとされる場所)

 

第八スステーション(主イエスがエルサレムの婦人たちに語りかけられた場所)

 

第九ステーション(主イエスが三度目に倒れたであろうとされる場所)

 担いできた十字架はここで降ろされました。この辺りの丘がゴルゴダの丘ということになります。以下、第十ステージ以降は聖墳墓教会の中にあります。

 

第十ステーション(主イエスが服をはぎ取られる)

 

 ローマの兵隊たちは、主イエスを十字架につけると、くじを引いて、その着物を自分たちで分け合ったとされています。

 

第十一ステーション(主エスが十字架に釘づけられる)

 

第十二ステーション(主イエスが息を引き取られる)

 

 これはゴルゴダの丘の左側に設置されており、そこで主イエスが息を引き取られたと言われています。現在はギリシア正教会の管理下にあり、巡礼者の多くは長時間ここで足を止めます。それはゴルゴタの丘の岩盤が露出しているくぼみの箇所を直に触れることができるからです。

 

第十三ステーション(主イエスが十字架から降ろされる)

 

 夕方になると、アリマタヤ生まれの金持ちでヨセフという人が来ました。彼も主イエスの弟子であり、彼が総督ピラトのところに行って、主イエスの体の下げ渡しを願い出、ピラトはそれを了承しました。

 

第十四ステーション(主イエスが墓に葬られる)

 

 これは主イエスの墓とされる場所にあります。福音書によれば、主イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が所有する墓地に埋葬されました。

 

 

 このヴィア・ドロローサの歩みは、巡礼者の熱意によって自然発生したもののようです。主イエスを信じる者たちにとって、主イエスが十字架を担いで歩まれた道を辿ることは自らの信仰を見つめ、新たな献身の時となる良き機会です。

 

 あるいは、こうして14のステーションの一つ一つを聖書に照らし合わせて思い巡らすだけでも十字架の恵みが身に沁み、心に沁みます。あなたもこのヴィア・ドロローサを歩いて、深い感動を味わってみませんか?

 

 

今日の一言:十字架の悩みは我が罪のためなり

 

 

鶴田健次

 

 鶴田牧師

 下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨

 

 

 

2019.04.19 15:54 | 鶴田健次牧師より

04122019-1.jpg


『収穫の原則』

 

 今日は、『収穫の原則』について考えてみました。 

 

 「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。」(IIコリント910

 

 ところで皆さんは、自分の必要の供給源として、神だけに頼る決断をすることの大切さを考えたことがありますか。私たちクリスチャンは、自分の必要を満たすために、神だけを頼りにし、他の何ものにも頼らないことを神に申し上げる必要があります。

 

 私たちは、供給のチャンネルを供給の源と勘違いすることがあります。神は、あなたの必要を備えるために、そのチャンネルとして、仕事から得る給料を用いられるかも知れません。しかし、あなたの雇い主は神の備えの単なるチャンネルに過ぎないのです。そして、神が望まれるなら、いつでも別のチャンネルに移すこともおできになるのです。

 

 もしあなたが、自分の必要を満たすために何か別のものを頼りにし、供給のチャンネルと供給の源を間違い始めると、明らかな警告のしるしが見え始めます。それは“心配”です。

 

たとえば、供給のチャンネルの代わりに、供給の源として仕事を頼りにしているとしましょう。すると、あなたは、会社で事がある度に、「仕事を無くしたらどうしよう?」と心配し始めるに違いありません。

04122019.jpg 

 

しかし、知って下さい。供給のチャンネルは閉ざされることがあっても、あなたの必要を満たす供給の源は常に活発に働き、あなたのために備えようとしているのです。しかし、あなたが神以外のものを頼りにしているかぎり、あなたは神に備えていただくチャンスを与えないので、神が備えて下さるはずの供給のチャンネルを得ることはできないでしょう。

 

 あなたは、自分に何が欠けているかを知ると、その必要を満たすチャンネルを選ぶ権利を神に与えなければなりません。それは、あなたが選ぼうとしているものと違うかも知れません。実際、神は、あなたが神を頼りにし続けることを学ぶために、意図的に違うチャンネルを選ばれることがあるのです。しかし、そこには大切な目的があることを見落としてはなりません。

 

 神をどこまでも神として生きていくことこそ、クリスチャン生活の醍醐味です。神が、あなたの必要に対し、あなたが不可能と思っている方法で、あるいはあなたが考えたこともない方法でそれを満たして下さるのを見ることは、なんとスリルに満ちたものでしょうか。

 

 

今日の一言: 必要を備えて下さるのは神である

 

 

鶴田牧師

 下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨

2019.04.12 23:57 | 鶴田健次牧師より

04052019.jpg


Visionは若さのしるし

 

今日は、若々しさということについて考えてみました。

 

今年の2月に私は66歳になりました。早いものでアメリカ生活も42年が過ぎ43年目に入りました。この歳になると話の話題がすぐに健康のことになりがちですが、やはり健康は日頃の心がけが大切だとつくづく思います。ある牧師先生が「伝道者は最終的には体力だ」と言われた言葉をよく思い出します。(笑)

 

しかし、やはり若さというのは体力以上に心の持ち方ですね。実際、若者よりも生き生きとした若々しい中高年の方を見ると、やはり心構えの違いだなと分かります。

 

私の好きな詩のひとつにこんな詩があります。

 

青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな創造力、炎える情熱をさす
青春とは人生の深い泉の清新さをいう
青春とは臆病さを退ける勇気 
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する
時には、20歳の青春より60歳の人に青春がある
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる
歳月は皮膚にしわを増すが、
熱情を失えば心はしぼむ
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い 
精神は芥になる
60歳であろうと、16歳であろうと人の胸には、
脅威に魅かれる心、
幼な子のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある人から
神から、美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り
君は若い霊感が絶え、
精紳が皮肉の雪に覆われ、
悲嘆の凍りに閉ざされる時、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波を捕らえる限り、
80歳であろうと人は青春にして己む

 

考えさせられる詩ですね。聖書にも、年老いてなお青年の志で生きた人が何人も登場します。75歳で祖国を離れ新しい地に向かったアブラハム、80歳で出エジプトを指揮し数百万のイスラエル人を約束の地に導いたモーセ、85歳でアナキ人を追い出しヘブロンを手に入れたカレブ、いずれも主にあって心若き人々です。

 

預言者ヨエルは、「若者たちは幻を見る」と言いました。つまり、若々しさのしるしはVisionを持つことだということです。あなたはVisionをお持ちですか。ぜひ若さの証しであるVisionを持って、いつまでも若々しく生きていきたいものです。

 

今日の一言:Visionは若さのしるし

 

 

鶴田健次



下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。


✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨

 

2019.04.06 01:15 | 鶴田健次牧師より

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.