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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”人間は羊に似ている”ということを考えてみました。


聖書は人間を羊に例えていますが、人間と羊とは多くの共通点があります。たとえば、羊は生まれつき道に迷う傾向がありますが、人間もそうです。預言者イザヤはこう言っています。

「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。」(イザヤ53:6) 

これは、私たちが神の御心を知らない理由です。実際のところ、ほとんどの場合において、私たちは神や他の人の言う事に従いたくないのです。私たちはみな自分の思う道を行きたがります。私たちは、自分に指示が必要であるとか、導きが必要であるなどとは認めたくないのです。 

羊に関するもう一つの特徴は、視力が弱いことです。彼らは遠い前方を見ることができません。彼らは崖に向かって歩いていても、それが分かりません。だから彼らには羊飼いが必要なのです。それは私たち人間も同じです。


私たちも将来を見ることができません。私たちは明日何が起こるかを知りません。ましてや来年、あるいは10年後に何が起こるか知りません。私たちは今日の午後に起こることすら知らないのです。 

神は、どんなに頑張っても将来を見ることができないようにあなたを造られました。たとえ将来を予測するためのあらゆる情報を持っていたとしても、あなたは将来何が起こるかを知ることはできないのです。では、なぜ神はそうされたのでしょうか。それは、あなたが神に頼るようになるためです。 

私たちは、将来を見ることができないので、しばしば躓きます。箴言14:12には
「人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。」と記されています。


私たちは皆、その時は正しいと思えたものが後になって間違いであったと分かるような決断をすることがあります。自分の知識と経験だけに頼ると、その道が行き詰まりになり、そこで私たちは困り果ててしまうのです。だからこそ私たちは、「私には神の導きが必要である」という大切な事実を認め、神の助けを祈り求めると同時に、聖書から神の知恵をいただく必要があるのです。

今日の 一言: 私には神の導きが必要である

 


鶴田健次


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2017.03.25 01:06 | お知らせ

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アメリカに住む私たちは、少なからず日本語と英語といったように、多言語に触れながら生活する機会に恵まれています。3つ以上の言語を巧みに使いこなす人も稀ではなく、改めてすごいな〜っと感じます。


とりわけ言語は、話す相手が理解できる方法でコミュニケーションをとって初めて、意思疎通が可能になります。20年前に渡米した当初は、言語はもちろん、文化も何もかもが異なる異郷の地で、どうしても自分が伝えたいことがうまく伝わらないといった経験を幾度となくしました。


私たちの愛の表現にも、同じような経験をすることはないでしょうか?大切な人に愛情を伝えているつもりでも、相手には伝わっていないということがありませんか? それはもしかすると、愛を伝える言語に違いがあるからかもしれません。


そんなことを考えながら、以前出会ったオーディオブックから、子供向けのバージョンを見つけ、子育てにもたくさんの気づきを与えてくれた「Five Love Languages( 愛を伝える5つの方法)」(Gary Chapman 著)をご紹介します。 


                 love-languages-book_convert_20170323014424.jpg 


この本の中には「どんな人間関係にも役立つ5つの愛を伝える方法」として


① Words of affirmation= 肯定的な言葉

Quality time= クオリティータイム

 Gifts= ギフトを贈る/受け取る

Acts of service= サービス行為

Physical touch= 身体的なタッチ 


があるとあります。


私たちは大切な人に愛を示す時、自分が愛を感じる方法、つまり自分の愛の言語を使って伝えますが、必ずしも相手の言語が同じではないため、うまく伝わらず、すれ違いが生じることがあります。


子育て真っ最中の私も、この本を読みながら、自分と子供のLove Languageの違いに気づかされました。


子供のLove Languageが②クオリティータイムなのに、親である私が、自分のLove Languageである④サービス行為で愛情を表現すればするほど、子供は、いつも忙しさのあまり一緒に過ごす時間がなくなってしまう私に苛立ちを覚え、「いつも何かしてて、一緒に時間を過ごしてくれない」と言います。一方私は、「こんなにたくさんのことをあなたのために行なっているのに、、、、なぜそれが伝わらないんだろう。。。」と感じることがよくあります。まさにこれが、愛を伝える言語の違いによる、すれ違いだと思います。相手に最も響く愛の伝え方を学んでいくこと、それが大切なんだと知らされました。


あなたの愛を感じる言語はなんですか。またあなたの周りにいる大切な人の愛の言語はいかがでしょうか? 愛である神様はどうでしょうか?


神様は、聖書を通して数え切れない肯定的な言葉で、私たちへの愛を示してくださっています①。クリスマスには、この地上で最高の贈り物である、ひとり子イエス キリストをこの世に送ってくださいました③。私たちの罪のために十字架についてくださり、私たちへの愛の行為を示してくださいました④。イエス様の公生涯では、たくさんの身体的なタッチを持って愛を表現される場面がありました⑤。そして、神様は求めるものには、いつもクオリティータイムを用意し、愛を示してくださいます②。


今日もこの愛の神様は全ての方法で私たち一人一人に愛を伝え続けてくださっています。私も周りにいる大切な人に、その人が愛されていると感じる方法を使って、愛を伝えていきたいと願うばかりです。


神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

マタイの福音書3:16


(YK)


参考:http://www.5lovelanguages.com


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2017.03.23 01:52 | お知らせ
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  まず結論から言いますと、主イエスの十字架のためにユダの裏切りは”必要”ではありませんでした。多くの人は、ユダの裏切りがなければ、主イエスの十字架もなかったと誤解していますが、ユダの裏切りは、必ずしも”必要”なものではありませんでした。たとえユダの裏切りがなくても、主イエスは遅かれ早かれ、捕らえられたことでしょう。

  また、ユダの裏切りは、本来、神の意志ではなく、ユダ自身の意志でした。神は彼の意志を予知しておられたので、それを旧約聖書の預言の中に記されたのです(ゼカリヤ11:11-12)。つまり、初めにユダの意志があり、次に神の予知があり、それから神の予定があるのです。これを予定論と言います。多くの人が誤解しているように、予定論というのは”神が予定をして予知される”ことではないのです。

  第一ペテロ1:2に、「父なる神の予知に従い・・・・選ばれた人々へ」という言葉があります。まず予知があり、その予知に従って選ばれ、救いに予定された人々がクリスチャンなのです。ユダの行動についても、まずあったのは、ユダ自身の意志であり、また神の予知です。神は、ユダが裏切ることを予知しておられたので、それを旧約聖書の預言の中に記されました。そしてその予知通りに、ユダは裏切ったのです。

  では、ユダの裏切りが予知されていたのなら、もはや彼に救われる機会はなかったのでしょうか。いいえ、他のすべての人と同様、彼にも救われる機会はありました。彼が主イエスの弟子として生きる機会は、裏切り後も変わらずありました。なぜなら、裏切りが彼を滅ぼすのではないからです。

  もし人が天国に入れないとすれば、それはその人が何かを「した」からではなく、むしろ、あることを「しなかった」からなのです。人は悔い改めるなら、どんな罪も赦されます。キリストを裏切った罪も赦されます。キリストの十字架の横でキリストを罵ったあの強盗も、悔い改めて信仰を表明すると、即座に天国を約束されたのです(ルカ23:43)。

  ですから、ユダには、裏切りという罪を犯したあとにも、救われる機会はありました。しかし、彼は悔い改めることをしなかったので、悲惨な最期を遂げてしまったのです。このように、ユダが裏切ることは神に予知されていたものの、それによって彼が滅びに定められていたわけではありません。彼を滅びに定めたのは、神の意志ではなく、ユダ自身の意志です。ユダに限らず、私たちすべての行動は、神によって予知されています。しかしその予知が、私たちを救いに、あるいは滅びに定めるのではありません。私たちの意志が、私たちを救いに、あるいは滅びに定めるのです。

  ユダの出来事は、私たちすべての者に重要な警告を与えています。ユダは特に罪深い人間だったわけではありません。彼以上に罪深い人間は大勢います。しかし、誰であれ「悔い改めないなら、みな同じように滅びます」。もし人の人生が、滅びに終わるとすれば、その人は生きた価値があるでしょうか。いいえ、その人はむしろ「生まれなかったほうがよかった」と言わざるを得ません。なぜなら、滅びは、その人の人生を無価値にしてしまうからです。

  主イエスがこの言葉をユダに関して言われたとき、主はそれを「残酷な」宣言として言われたのでしょうか。そうではありません。主イエスは、この悲しい厳粛な事実を、ありのままに、ご自身の嘆きの言葉として言われたのです。

  歴史を支配しておられる神は、ユダの不信仰と裏切りすらも、ご自身の計画達成のためにお用いになるのです。こういう神を知ることは、歴史の変動期に生きている私たちにとっては、大きな慰めです。ヨハネの黙示録を学べばよく分かる事ですが、これから歴史は大きく変わります。しかし、聖書を通して、私たちはその対処の仕方を知ることができるのです。

  アメリカの著名な作家、フィリップ・ヤンシーはこの事に関して、次のように書いています。

「高校時代、私はチェスの腕前には自信があった。チェスクラブに入り、勝負ではほとんど負けたことはなかった。しかしその後の二十年は、チェスとは無縁の生活であった。ところがある時シカゴで、本当に強いチェス・プレーヤーに出会った。彼と数ゲームをした私は、名人と勝負するということがどんなものかを思い知らされることになった。こちらが古典的な攻撃法で迫ると、彼は古典的な防御で打ち返してきた。危険をおかして奇抜な手で仕掛けると、彼はそれをもうまく取り込んで自分の勝ちパターンにもっていってしまう。彼の腕にかかっては、私のもくろみは、全て彼に有利に働くだけだった。おそらく神も、ご自分の被造物である人類には、このように対処されるのだろう。神は私たちに、神が作られた計画に反抗する自由さえもお与えになった。しかし、私たちがいくら反抗を企てても、神はそれを、『人類救済計画』の実現のためにお用いになるのだ。」


LVJCC牧師:鶴田健次

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2017.03.21 03:54 | キリスト教 Q & A

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