
5月13日は母の日礼拝が持たれました。
この日の説教は「父と母を敬え」と題して、エペソ書6:1-4の御言葉から鶴田先生が取り継いでくださいました。説教の冒頭で母の日の由来を教えて頂きました。
母の日は、約100年ほど前に、キリスト教会から生み出された記念日です。ウェストバージニアにあるアンドリュー・メソジスト教会で、アン・ジャービスという婦人が20数年間、教会学校の教師をしておられ、常々「父と母を敬え」という十戒の中にある教えを子供たちに教えていたそうです。
その彼女が1905年に天に召され、その2年後に、娘のアンナ・ジャービスさんが、母親の記念会で、母を敬う気持ちで白いカーネーションを参列者に送られたそうですが、それ以来、教会学校で生徒やお母さんたちを招待し、母の日を記念するようになったとのことです。
その後、その話に感動したジョン・ワナメーカーというデパートの経営者が、自分のデパートで母の日のイベントを行い、これが全米に浸透していくことになります。そして1914年の連邦議会で、5月の第二日曜日を母の日と定めたということです。
ちなみに日本には、宣教師から伝えられ、森永製菓が1937年、豊島園で母の日のイベントをしたのが全国的に広まるきっかけになったようです。ともかく母の日は教会から始まり、しかも「十戒」の第五番目の戒めである「あなたの父と母を敬え」という教えがそのもとになっています。
「十戒」には、私たちが神の恵みにあずかり、人が人として人間らしく生きてゆくにはどうしたらいいか、人が神を愛し、人を愛して生きてゆくための方法が10の戒めにまとめられています。
昔ユダヤにおいて、家庭というのは神の言葉を教える所で、「父と母」は子供たちにとっては、神から与えられた教師でした。ユダヤ人は「人は、父と母を敬うことを通して神を敬うことを学ぶ」という考えを持っていたからです。ですから、父と母を敬うということは、現代の私たちが考えている以上に大切なことだったのです。
現代は、「人は、父と母を敬うことを通して神を敬うことを学ぶ」という側面が軽んじられていますが、旧約聖書の時代には、両親は、家庭において、神と人との間を司る役割をする人でした。「父と母を敬う」ことは、父、母を通して私たちに語りかけ、私たちを導こうとしておられる神を敬うことになるのです。
「父と母を敬う」ことによって人は愛を知り、幸福に導かれていきました。また、人が生まれて初めて出会うのが、父、母であるように、人は、父、母を愛することを通して、他の人への愛を学んだのです。
この戒めは、時代が変わっても、決して変わるものではありません。第五の戒めは新約聖書にも引用されています。聖書は、両親に服従するというばかりでなく、年老いた両親を世話することも命じています。
エペソ6:1を見ると、「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」とあります。
また第一テモテ5:8では、「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」と言われています。両親が年をとって力が衰えたからといって、軽蔑したり、子供が両親を支配しようとしたりしてはいけないのです。
母の日というと、単に自分の母親を敬い、感謝を表す日として受け止める事が多かったかも知れませんが、説教の中で「父と母というのは、自分の両親だけにとどまらず、広い意味では、周りにいる年長者や上司、能力や立場において高いポジションにある人たちをも含む」ということを教えて頂きました。
そういう意味では、教会の中にはお互いに敬うべき方々が多くおられることが分かります。私達は神と人との関係、人と人との関係の中で生かされていることを改めて考えさせられました。
礼拝後は、教会に集っている全ての姉妹達に、先生よりバラのお花、そしてサンデースクールの子供達からは可愛いペーパーカーネーションのプレゼントがありました。
姉妹達は皆様、笑顔で、母の日にちなんだ神様からの祝福を頂きました。
ありがとうございます。
(LVJCCブログ制作チーム:薫)
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今日は、‘逆説’ということを考えてみました。
‘逆説’というのは、一見、真理に背いているようで、その意味が解ると、それこそ真理だと言える表現のことです。実際、‘逆説’は他のどんな表現でも言い表せない事を伝えることができます。
イエス・キリストは、多くの逆説的表現を用いられました。それは聞く人々の注意を引くためであり、それによって人々はその事を考えさせられたのです。使徒パウロも、またよく逆接的表現を用いた人です。
クリスチャン生活は、それを信じて生きている人にとっては別ですが、多くの人々に対して逆説的です。そこで以下の‘逆説’は、クリスチャンであることを理解する助けになります。
失うことによって得る
自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。(マタイ10:39)
与えることによって得る
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。(ルカ6:38)
低くなることによって高くされる
だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。(マタイ23:12)
弱い時にこそ強い
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(2コリント12:9、10)
仕えることによって治める
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。(マルコ10:42−45)
死ぬことによって生きる
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。(ガラテヤ2:20)
では、これらの事は何を意味するでしょうか。もしクリスチャン生活が逆接的であるなら、クリスチャンの生き方がクリスチャンでない人に不思議に思われるということです。クリスチャンが同じ状況の中でクリスチャンでない人と正反対のことをするなら、彼らの人生に対するアプローチに疑問を呈することになるのです。
今日の一言: 真理は逆説の中に
平安
鶴田健次
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今回は、去年当ブログ(前回の記事)で紹介させていただいた山口スカイ(州海)君の経過をご報告したいと思います。
スカイ君は、生まれながらに心臓の病気の一種であるファロー四徴症(しちょうしょう)を患っております。
前回2回目の手術で、無事4つの症状中2つの症状
1.心室中隔欠陥(右心室と左心室の壁に穴がある)
2.右心室肥大(肺動脈が狭いため、心室は右心室の方が左心室よりも高圧なので、右心室が大きくなる)が、完全に治療されました。
現在は、以前は血液中の酸素が70だったのが通常の93程度に落ち着き、普通の生活を送ることができています。そんなスカイ君も、生まれて18ヶ月。体重16ポンド、身長が28インチ、食べることが大好きで、野菜でも何でも家族の誰よりも食べ(!?)、大好きな食べ物はブロッコリー。どこへでも自分の好きなところに歩いていくマイペースな男の子に成長しました!
毎日お兄ちゃんの愛都(あいと)くん、そして、たまに遊びに来るジャズミンとジョナサン、教会の大きいお兄ちゃんお姉ちゃんたちに囲まれながら、負けじと逞しく育っています。
ブログでも触れましたが、前回の手術のインフェクションでできた胸部の骨のでっぱりがまだ残っており、その骨が手術後だんだん大きなり、前に突き出た状態になってしまいました。
ご両親の愛子姉妹とマーク兄弟がドクターと話し合った所、
1.出てる骨の部分をギブスで固定して骨を強制し、平らな胸部に戻す。
2.手術で骨を削って、胸部を平らな状態に戻す。
の二つの選択肢を与えられました。
そして、ご両親はギブスで固定する方法を選ばれました。この方法は、戦争で帰ってきた兵士さんたちに適応された方法でありましたが、スカイ君のように小さい子供に対しては、初の試みだそうです。通常、治療完了まで6ヶ月かかるらしいのですが、おそらくそれ以上かかるかもしれないとのことです。
そして、まだ
1.肺動脈狭窄(心臓から全身に送られ戻ってきた血液を肺に送る動脈が狭い)
2.大動脈騎乗(肺動脈が狭いため、そこにかぶさる大動脈が大きい)
の二つの疾患は治っておらず、18歳ごろに肺動脈と弁の手術の予定です。
汗っかきなスカイ君の胸部がギブスを当てられた部分が汗疹(あせも)がひどくなりつつあります。これから、ラスベガスの本格的な夏が始まりますから、活動的になる夏には、ギブスをはめるスカイ君が乗り切れますようにただただ主に祈るばかりです。
このギブスの方法が効かなかった場合、やむを得ず手術となります。もうすでに、3回同じところを切っております。どうかこの幼子に速やかなる癒しが与えられますように、執り成しの祈りをお願い致します。幸いにも、3回の手術の傷跡は順調に回復し、もうすでに薄くなっているということです。
スカイ君は、よく笑うハッピーベイビーです。これも、上からの力強い励ましと力を頂いている証拠です。山口ファミリーに必要なものをこれまで与えて下さった主に心から感謝します。ハレルヤ!
“弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。”ヨハネ福音書9:2−3
(ブログ制作チーム: Sao)
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