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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

牧師室より#361「万物の終わりが近づいている」_convert_20171118042358 


『万物の終わりが近づいている』(Iペテロ4:7-11)


 時どき、世の中には、この世の終わりがいつかを唱える人がいます。以前「エホバの証人」が、1914年に世の終りが来ると言いましたが外れました。他にも色んなカルト宗教が「〇年〇月に世界の終わりが来る」と言ってきましたが、すべて外れました。そういう中で、正当なキリスト教会の中には、終末に関して語ることに慎重になり過ぎてしまい、その結果、終末を語らなくなってしまった教会もあります。


 しかし、聖書の終末論は非常に大事な教義ですから、私たちは聖書をきちんと学び、正しい終末理解を持つ必要があります。第一ペテロ4章7節で、ペテロは、「万物の終りが近づいている」と言っています。さらに「ですから…」と言って、その先に話の続きがあることを示唆しています。


 それは「終わり」が単なる「終わり」ではなく、同時に、新しい「始まり」であることを意味します。そして、新しい始まりは、「神の審判」の向こう側にあり、神の審判で有罪判決を受けるか、無罪判決を受けるかで、その人の永遠が明らかになるのです。そこで今回は、万物の終わりが近づいている今の時代をどう生きるべきかについてお話します。 


①心を整え、身を慎んで祈る(7節)         

  

 ペテロは、万物の終わりが近づいてきたので、祈りのために、心を整え、身を慎みなさいと言いました。つまり、終わりの時代に備えるために、まず大事なことは、心を整え、身を慎んで「祈る」ということです。身を慎むというのは、何かに酔わないということです。酔うのはお酒だけではありません。


 苦しみの多い人生において、人々は何かに酔わないでは生きていけないという現実があります。何かに酔うことで、現実から逃避したいと思うのです。ドラッグに酔う人、仕事や研究に酔う人、思想や主義に酔う人、富や権力や知識や名誉に酔う人、ギャンブルや趣味やスポーツに酔う人がいます。そういう現実の中で、私たちは祈りのために心を整え身を慎まなければならないのです。         


②互いに熱心に愛し合う(8、9節)      

 

 ここでは、万物の終わりに備える生き方として、「愛し合う」ということが挙げられています。祈りが神様に対するものであるなら、愛は人に対するものです。この愛について、まず「互いに熱心に愛し合いなさい」と勧められています。


 聖書が教える「互いに」という人間関係の概念は、難しい言葉で言うと、「相互服従」という概念で、とても重要なものです。それは、一方だけが他方を愛するのではなく、お互いが愛し合うという関係、あるいは、自立した者同士の愛の関係ということです。


 クリスチャンとして自立した者の愛は、自己中心の愛ではなく、聖霊によって与えられる意思的な愛です。ですから、ここで言われている、「互いに熱心に愛し合いなさい」というのは、自立した者同士、意思的な愛で愛し合いなさいということです。つまり、自分を喜ばせ、自分を満足させ るために相手を愛するのではなく、相手の益を考え、相手を喜ばすために愛するということです。   


③神の恵みの良き管理者として生きる(10、11節)   


 ここでペテロは、「神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を生かして互いに仕え合う」ことを勧めています。やがて私たちの人生も終わりを迎えます。この事実は、私たちが今持っているものは本当の意味で私たちの所有ではない、ということを意味します。


 能力にせよ、何にせよ、私たちは人生の途上で色んなものを手放しながら生きていきます。そして、やがてすべてを手放す時がやってくるのです。もともと私たちは何も持ってはいませんでした。ですから、すべては神様から与えられたものです。だからこそ「賜物」なのです。 


 特にここでは、神から与えられた「聖霊の賜物」のことが強調されています。「聖霊の賜物」とは、神の奉仕をするための特別な能力のことです。そこで、それぞれが、この賜物の「良き管理者」として、それを上手く用い、管理して、神の栄光を表しなさいというのが、終わりの時代に備える私たちの生き方なのです。 


今日の一言:神の恵みの良き管理者として生きよう


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2017.11.18 04:25 | お知らせ
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こんにちは。
夏時間が冬時間に変わり、季節の変わり目を実感している今日この頃です。

3週間ほど前、車のブレーキチェンジに行ったのですが、予約をとった際に「1時間ぐらいで終わる」と言われていたので、前の日に大体の予定を立てる私は「明日は9時にブレーキチェンジに行って、そのあとはあれをして、これをして…」とその日のスケジュールを立てていました。
ですが、そのブレーキチェンジは思いの外、長くかかってしまい、11時になってしまいました。立てた予定が崩れてしまったので、少しイライラしていた私は気分を戻そうと、気分転換にスターバックスへ行きました。
スターバックスに着いて、入り口を入ろうとドアに手をかけようとした瞬間に、一人の女性も同じくドアに手を掛けようとしていました。その女性は足の少し不自由なお母さんと一緒に来られており、それを見た私は彼女と彼女のお母さんのためにドアを開けてあげました。彼女たちを先に通して、自分はその後に入り、「何にしようかな?」と迷っていました。自分のオーダーする番が来て、オーダーするものも決まり、オーダーしようとした瞬間にその女性がカードを手渡そうとするので、私はよく訳がわからず戸惑っていると、彼女は少し強引にカードを渡してきたので受け取ってみると、このようなカードでした。

 rinjinnai2.jpg

そして「これで払いなさい」と言ってくれました。このカードをいただいたおかげで、私のドリンクは1ドル弱になりました。「ラッキー!」と思いながら、車に戻り、家へ向かって運転しているときに、よく他の人のためにドアを開けてあげているので「やっぱり神様はご覧になってるんだ」という思いと共に『隣人愛』という言葉が頭に浮かんできました。
この『隣人愛』という言葉は何度か聞いたことがあり、聖書にもそれについて書いてあるということも知っていたので、少し調べてみました。大辞林には:

1. 身近な人々への愛情。
2. キリスト教倫理で他者たる隣人に対する愛。

とあります。マタイによる福音書22:39には“イエスは神を愛すること共に、この隣人への愛こそ最も大切な戒めだ”と書いてあります。そして旧約聖書のレビ記19:18には“あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない”とも書いてあります。

人というのはやはり自分が一番になってしまうので、自分の周りの人に目が行かないということがよくあります。私の場合、主人をガンで亡くしてからは自分と子供達のことだけを考え、自分の周りの人がどうであろうと関係ない、自分と子供達さえよければと思うことがよくあったように思います。
そう考えると、このマタイの福音書、そしてレビ記の言葉に反した行動を私はとっていたことになります。これはまだ私がクリスチャンになる前で、今、思うときっと周りの人には「自己中な人だな」とか嫌な人に思われていたのかもしれません。

教会に通うようになり、そしてクリスチャンになり、まだまだ聖書に関しては無知な私ですが、何かが起こるたびに「そういえばあの時、牧師先生がこんなメッセージを言ってたな」と結びつくことが多くなってきました。この『隣人愛』という言葉について調べているときに気が付いたことが一つ。最近、私の周りでは病気、特にガンの方、もしくはガンで旦那様、もしくは奥様を亡くされたという方が多くいらっしゃるということです。
ある日、M姉に「最近、私の周りでガンにかかったとか、ガンで旦那様が亡くなったとか、自分はそれを聞くたびに自分の旦那が亡くなった時のことがフラッシュバックする」と話すと、彼女は「なんでだろうね?」と答えました。それ以来、「なんでだろう?」という疑問が頭の中をぐるぐると回っていましたが、この言葉を調べたことでやっと答えが出たような気がします。
私なりの答えになりますが、神様が『隣人愛』を再認識しなさいとメッセージを送ってくれているのでは、ということです。主人が亡くなる前には自分の周りに困った人がいたら助けてあげる、というのが必ず頭の中にあったはずなのですが、気が付けば私はそのことが頭の中からすっかりと抜けてしまっていたからです。

この始めに書いた出来事というのはブレーキチェンジに時間がかかって偶然に起きたものではなく、きっと神様が私に『隣人愛』を再認識されるきっかけとしてくださったものだと思います。この出来事を通して、改めて『隣人愛』というものを私の中に叩き込まれたような気がします。そして自分や子供達のことも大切なのですが、やはりそれだけではなく自分の周りの人にも同じように大切にしなければならないということを改めて学ばされたような気がしました。

 rinjinnai3.jpg

彼は答えて言った。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」”(ルカによる福音書10:27)

(MK)

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2017.11.16 02:18 | その他
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こんにちは。季節もすっかり秋、冬に移行して肌寒くなってきましたね。日本の秋と言えば紅葉ですが、こちらでは見られないので、日本の恋しいもの中の一つです。さて、今日はデボーションについてお話しさせて頂こうと思います。

最近、私はデボーションを始めたのですが、神様との関係をもっと深めるのにすごく役立っているので、皆さんとシェアしたいと思いました。ある記事を読んでいたら、デボーションは神様とのデートのようなもので、神様と自分とだけの時間を過ごす時間とありました。なるほど!神様の臨在に触れられる、とても素晴らしい時間ですね(*^^*)

まず初めに。なぜデボーションをするのでしょうか?私は霊的教養を高めるためだと思っておりました。(先生、すみません・・・!)(._.) そうではなく、静まって、聖書の御言葉を読み、神様との関係を深めることだそうです。
それでは、どういう方法でデボーションをしたらいいのでしょうか?個人個人、デボーションの仕方は違います。”デボーション”の英語の動詞は”devote”、”捧げる”という意味です。ですので、神様にお捧げするというのが一番大事なポイントなのです。デボーションは色々な形ですることができます。お祈り、賛美、告白、感謝、嘆願、とりなしの祈り、などなど。また、聖書を読んで神様が私たちの祈りにどうこたえてくださるのか、耳を傾けることもできます。こちらは、英語のサイトになりますが、デボーションの助けになるサイトです。

In Touch Ministries
https://www.intouch.org/read/magazine/daily-devotions
毎日、聖書の読む場所を示し、その解説をしてくれます。また、それに関するメッセージ。

Daily Bread (アプリもあり)
https://odb.org/
短い証集。本のDaily Breadのデジタルバージョンです。

Solid Joys(アプリもあり)
https://www.desiringgod.org/articles/is-god-s-love-conditional
In Touch Ministriesに少し似ているスタイル。御言葉と、その解説とメッセージ。

そして、聖書ではデボーションについて何と言っているか?デボーションについて直接的に書かれているところはないのです。なぜなら、これは何年もクリスチャンによって、聖書の勉強と神様との時間を持つことの大切さを知るために、発展されてきたものだからです。それでは、もとになっている聖書箇所を紹介します。

ヨハネの福音書20:31
しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」とあるように、聖書が書かれたこの目的を心に留めながら、御言葉を通して更なるキリスト理解が深められていくことを心がけるのです

へブル人への手紙20:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

デボーションを通して、神様にもっと近づくことができ、クリスチャンとしても成長できるのですね!私は最初のブログでシェアさせて頂いた通り、怠惰なのでいつも肉の自分との闘いです!どうか、皆さんも毎日少しずつ神様との関係を深めることができるといいですね。

(TK)

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2017.11.14 02:35 | その他

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